僕とうつ病&統失 闘病記 2010.11 弟を失って

最悪の時期から、現在(2019)のだいぶ元気になるまでの昔話です。
症状を箇条書きにしてますので重い内容になります。

読める人だけ目を通してください。
そのうち元気な内容に変わっていきますが、この状態からここまで来たのかとプラスになる読み物にしてくれたら嬉しいです。

・病院に行ってきた。
 前回病院に行った時は、まもなく弟が帰ってくるので、
 比べられるのではないか?と不安だと話し、
 先生に「弟は他人」という名言をもらってきたのだった。
 今回は、その弟が帰ってきてから2週間が経過し、
 今自分がどうなのかを話してきた。
 弟は全てが完璧で、僕に出来ない事を平然とやってのける。
 その話をより具体的に先生に話した。
 特に弟が作った料理を食べる事が辛いし、
 片付けもせずに自室に戻る時が辛いという事と、
 日中隣の部屋に弟がいると思うだけで居場所がなくなり、
 息が詰まるという事を重点的に話す。
 先生の答えはシンプルだった。
 「だって、できないんだからしょうながいじゃん」
 力が抜けた。
 精神科医らしからぬその言葉、その口調、その表情。
 この人に話した自分が馬鹿だったというわけではない。
 むしろ、この意見を自分は言ってほしかったのだという気持ちに
 自分でも初めて気付く。
 確かにそうなのである、やろうと思っても、家事は手伝えないし、
 部屋にこもりっきりだし、どう頑張っても弟のようにはなれない。
 こうも先生は言ってきた。
 「出世払いでいいじゃん」「できるようになってかっら恩返しすれば」
 またも力が抜けた。
 こうも先生は言ってきた。
 「弟とは別人。 生きるスピードも方法も違う。 比べる必要はないよ」
 この過激発言で有名な先生が、ここまでカウンセリングっぽい事を言うのは
 初めてかもしれない。
 話をしていて、心が随分と軽くなった。
 たしかに、無理な物は無理だし、それで苦しむ必要無い。
 今できる事を頑張るなり、治療に専念するしかないのだと、
 あらためて考える。
 それにしても、話を聞きながら、ずっと爪きりで爪を磨いていた先生。
 話は半分聞き流していたのかもしれない。
 この人というものは・・・・と軽〜〜〜〜〜〜くムっとなったのだが、
 それがまた、この人のゆるさを表しているし、
 真顔で「だって無理でしょ」と言われるよりはずっと救われたのだった。
 だからこそネットで賛否分かれる批評が飛び交う先生なのだが、
 僕にはこの病院が合っているような気がする。
 今回の先生には、随分と救われました。
 僕が弟を気にもとめなければ、全てが上手くいくのだ。
 やりたいようだから、やらせておけ くらいの考えにならないと、
 こっちの身がもたない。
 もっと神経を図太くしないと と、理想だけは持っている。
 薬は、「どうしようかなぁ〜 変えようかなぁ〜」とブツブツ先生が
 言っていたが、変わる事なく3ヶ月連続で同じ。
 朝:セルシン2mg、アキネトン1mg
 夜:セルシン2mg、アキネトン1mg、ピーゼットシー4mg、セレネース3mg
 「薬の作用も副作用も感じないんですけど・・・・」と伝えると、
 「効果は出てるよ。 表情が変わってきてる」と言われた。
 今日はニコニコして話すような内容じゃなかったはずだが、
 精神科医には分かる違いでもあったのだろうか?
 必死に辛さをアピールしようとしたから、目ヂカラはあったかもしれない。
 そこを見逃さなかったか先生。
 また、死なないように頑張ろうと思う。

・昨日の先生のアドバイスが効いているのか、
 弟が何をしようと気にならなくなってきている。
 まだ完全に他人事とは思えないが、随分と楽になった。
 やりたいんだから、勝手にやってろ そう思うようにしている。

・比較的身体が軽く、あまり寝ないで一日を過ごす事ができた。
 薬が効いているのだろうか?
 明日はまた逆戻りするかもしれないし、期待はしないようにするつもりだ。

・弟が遺書を残していなくなる。
 夕方弟が降りてこないからと母が部屋に行って遺書を見つけた。
 遺書には、中学の頃から死にたかった事や、
 自殺未遂を何度もしている事、未来に希望がもてないなどが書かれていた。
 遺骨は散骨してほしいや、臓器移植の意思なども書かれている。
 すぐに父が警察に届出に行って、その間に弟を僕と母で探す事にした。
 夜なので見つかるわけもなく、2時間くらいで帰ってきた。
 パソコンに何かを調べた履歴が無いかも調べたが、何も見つからない。
 部屋のゴミ箱をあさると、遺書の下書きや、臓器提供の意思や、
 第一発見者が父へ連絡が取れるようにするための
 電話番号などが書かれた物などが見つかる。
 恐らく、これと同じような紙を持って出ていると思われる。
 明日一日中探してやらないといけないので、
 夕食を食べようという事になったが、弟が作った煮物には手が出なかった。
 食事もほとんど喉を通らず、手の震えが止まらない。

・弟を探しに朝からあちこち探すが見つけてやれない。
 午後になってから警察から父に電話があり、弟と見られる人物が発見されたとあったようだ。
 その父から、外を探していた母と自分に電話があり、警察に身元確認に行く事になった。
 弟は検視室に眠るように横になっていて、冷たくなっていた。
 遺体の臭いを消すための薬品の臭いで気持ち悪くなる。
 父、母、自分の三人で警察官たちがいることもはばからず、大声で泣いた。
 弟が東京から帰省したのは人生を終わらせる為。
 家事や食事の用意をやっていたのは、最後の恩返しをするためだった。
 そんな弟を邪魔者扱いして、自分の居場所がなくなったと思っていた兄は最低だ。
 もう取り返しがつかないし、起こっている事が現実なのかも分からない。
 どうして救ってやれなかったのか。
 こんな事になるなんて。

・弟を火葬してくる
 叔父は息子達3人と来てくれた。
 火葬場で母が大泣きしている。
 弟の棺桶の顔の部分の蓋が閉められる時、
 「もう顔を見ることはできないのですか?」と尋ねる。
 当たり前の質問だったが、最後の時が少しでも先になるように声をかけたのだ。
 僕一人だけで弟の顔を見て、皆の前で声を出して泣いた。
 「お前の分も生きるからな」と何度も言って弟と約束した。
 火葬の扉が開き、それが閉まる時は辛かったが、
 火がついてしまってからは、もう気持ちが整理されはじめていた。
 待合室では、来ていただいた人たちに挨拶回りをした。
 病気の自分にそんな事ができるのかわからなかったが、
 最初に叔父の所にいって、手を繋いで話していたら、
 気分が救われたような気がした。
 その後、全員の席を回り話をした。
 集骨の準備が整いましたと連絡があり、骨を目にする前に母に話をした。
 これで弟は楽になれたんだし、
 今日からまた家で一緒に暮らせるようになるのだから と。
 さすがに骨を目の前にした母は大泣きしていたが、
 集骨をしてくれる人がとても丁寧に念入りにチリまで集めてくれて、
 本当に嬉しかった。
 母と何度もお礼を言って、火葬場を後にする。
 家に着くと、食事の準備が完璧に用意されていて驚く。
 しかし、お酒を頼むのを忘れていた事に気付き、
 いとこと一緒に酒を買いに行く。
 あまり話をしない人だし滅多に会わない人なので
 車の中は沈黙してしまうのかと思っていたら、
 このいとこが気を利かせて色々と話をしてくれた。
 僕たちは引きこもりのような生活をしてるから、
 それは変えていかないとね という話になる。
 Masaは趣味はあるの?と聞かれたが、無い。
 映画鑑賞もあまり行かなくなったし、サーフィンはやめてしまったという話をしたら、
 いとこもサーフィンは良いなと言う
 ちょっと驚いたが、いとこ自身も変わらないといけないと
 思っているんだろうと分かった。
 食事が終わると叔父をみんなでイジリ盛り上がる。
 いつ集まっても叔父を中心に話題が盛り上がる。
 それでとても救われた。
 弟が遺骨になってしまったら、もうこれ以上辛い事は起こらないし、
 これからは弟とまた一緒に寝られるので、気分がスッと楽になった。
 遺書を見つけてから数日、これまで食事が喉を通らなかったのに、
 美味しく食べる事ができて自分でも驚いた。

・病状は悪化していない、買い物などに出かけるのは身体がだるいが、
 何かしたいし、身体を動かしてる時の方が気がまぎれるから
 これで良いと思う。
 仏具店などを周り色々と買ってくる。
 夜に両親自分の三人でたくさんの事を話した。

・気が張ってるので、落ち込む事も眠くなる事も無い、
 明日から日中一人になってしまうので、心配ではある。

・弟が亡くなって初めて家で一人になった。
 悪いことを考えたり自分を責めたりして泣くのかと思ったが、
 そんな事は無く、眠ってしまった。
 眠ったら弟が夢に出てきた。
 デパートの子供が遊べる一角を2人で眺め、ニコニコしていた。
 いとこのお姉ちゃんと叔父に帰り道を教えないと と
 話している所で目が覚めた。
 一番仲が良かったのが僕だから、僕のところに出てきてくれたのでは?
 という話になった。
 
 元嫁が家に来てくれる。
 弟の前で泣いていたが、笑い話や思い出話も出て安心した。
 まだ実感がわかないし、信じられないと言っていたが、
 それはこちらも同じだと話す。
 色々な話になり弟の事を沢山思い出した。
 沢山のケーキの他に焼き菓子も沢山買ってきてくれて、
 沢山お金を使わせてしまった。
 途中から母が帰ってきて、4人で話をした。
 元嫁には幸せになってほしいと思っているんだという話をしたら、
 元嫁は大泣きしていた。
 ずっと申し訳ない事をしたと思って自分を責めていたという。
 元嫁には本当に幸せになってもらいたいと思う。

・コルクボードに飾ったり、いとこのお姉ちゃん、父、母に渡す弟の写真を探すが、その作業が辛い。
 身体が重くなるいつもの症状と、精神的に悲しくて辛いのとで、
 ぐったりしてしまう。
 あまりのんびりやってるわけにもいかないので、無理して作業をする。
 今日は僕の34歳の誕生日。
 弟の命日が近くて不謹慎だが、姉から生きててくれてありがとうとあり、
 ちゃんとお祝いはおこなってほしいとあった。
 友達からもメールがあり、何処かの国は本人におめでとうと言う他に、
 母親にありがとうと言うとありました。
 それはいい習慣だと、僕も母にありがとうと話した。
 母は34年前にお腹を痛めて生んだんだからと、鼻高々だった。
 母が笑ってくれて良かった。
 僕がしっかりしなければ。

・薬を飲み忘れがちだが、一日に飲む量は守っている。
 弟が亡くなってから、自分が死にたいと思う事は無くなった。
 弟がついていてくれるような気がして、力がわいて来るような気がする。
 ただし、喪中ハガキを書いたり、写真を整理しようとすると、
 すぐに身体が重くなってしまって、横になってしまう。
 病気が良くなったわけじゃなくて、発想が変わっただけ、
 気が張ってるだけなのだと思う。
 反動で落ちるように悪くならないかが心配だが、大丈夫なような気もする。

・5時に起きて婆ちゃんの家へ向う。
 4時半に起きて愛犬の散歩に行くはずが、携帯のアラームが正しく動かず、
 出発15分前に目が覚めた。
 散歩は中止しトイレだけにして、婆ちゃんの元へ向う。
 早めに着いてしまって、いとこのお姉ちゃんと婆ちゃんを
 慌てさせてしまったが、その分話をする事ができた。
 9時から寺で住職と話をして、弟の戒名を話し合う。
 几帳面で、明るいという事を伝える。
 1週間ほどで戒名を考えてくれるらしい。
 住職は弟と会った事がありますよね?と言ってくれた。
 背が高く、ひょろひょろしていてと言うと、なんとなく覚えていると
 言ってくれた。
 その後、近くの石屋に行き、49日の納骨時の打ち合わせをする。
 婆ちゃんの家に戻って、たくさん話をして、昼になったので、
 行きつけの和食店に寄ってから帰る事にした。
 遺骨だけを置いて家を空ける事は可哀想だと、留守番している母を
 一人にしている時間を短くしたかったのだが、姉が家に甥っ子と来てくれて
 一緒にお弁当を食べてくれた。
 姉に来てくれてありがとうとメールを送る。
 しかし、姉は弟が亡くなったのと同じ頃に近くの河原で
 自殺した人の苗字が姉の嫁ぎ先の苗字だったらしく、
 学校で「弟さんの事大変でしたね」と言われたそうだ。
 新聞を見て苗字が同じだから姉の弟だと思い込んだらしい。
 それを言ってきた人なりに、姉におくやみを言ったのだろうけど、
 新聞に姉と同じ苗字が載ってしまったばかりに、
 姉は今後も同じような事を言われるのだと思う。
 せっかく姉が元気になってきているのに、どこまで苦しめるのだと、
 やりきれなくなる。
 何かあったらメールして としか言えない自分が歯がゆい。

・伯父が今日も来てくれて、元気を分けてくれた。
 またケーキを買ってきてくれて、感謝感謝である。
 もうお金は使わないでいいと父が言っても、
 俺の気持ちだからとだけ言って聞き入れてくれない。
 弟はこれだけ愛されていた事を理解していたのだろうか?
 理解できていたら、自殺などしなかっただろう。

・姉が家に寄ってくれた。
 母の事が心配で、仕事中にも電話したそうだ。
 僕や母に言わせると、姉の方が何倍も心配なので、
 大丈夫なのか?と聞いたが、大丈夫だという。
 たぶん無理して明るくふるまっているのだと思う。
 姉が帰ってから、骨壷の入った箱を母が抱きたいと言いだした。
 今までは骨壷が怖いと言っていたから心配になったが、
 弟をこうして抱きしめられるのも49日まで。
 それ以後はもうできなくなるんだからと話をすると、
 母も泣きながらも落ち着きを取り戻した。
 ちょっと骨壷の蓋を開けてみたら、弟の頭蓋骨が見えた。
 生々しい骨を見ても、それが弟の物だとは信じられない。
 検死室で弟の遺体を見て、納棺士と一緒に納棺し、火葬場で骨を拾っても、
 それが弟なのだと認められない。
 東京に帰っただけで、またひょっこり帰ってきたり、
 トシ・ヨロイヅカの話をメールしてくるような気がする。
 ずっと遠くにいたから、悲しみが少しで済んでいるというわけだが、
 それは同時に弟はずっと孤独だった事を意味する。
 もっとしょっちゅう会いに行ってやるべきだった・・・
 そう後悔ばかりしている。

・母に早く病院に行ってほしいと言われる。
 先生に今の苦しみを吐き出してきて、アドバイスを
 もらってくるようにしてほしいそうだ。
 僕としては薬があと10日分あるので、まだ行くつもりは無かったのだが、
 母も父も同じ意見だったので、明後日の月曜に朝から行く事にした。
 遺書を発見した薄暗い夕方に、遺書を発見した母を一人にするのは心配だし
 月曜に行くしかない。
 友達に弟の戒名が届いたけど、弟の名前だと思えないし、実感が無いと送る。
 すると、毎日戒名とお経を3回唱えると弟の徳になって、
 49日に閻魔様に会って何処に行くか決める時に役立つって送られてきた。
 もう遺族は悲しむだけで、弟に何もしてやれないのかと思っていたので、
 何かをしてあげられるというだけで気持ちが軽くなった。
 母にもその話をしたら、笑顔を見せてくれた。

・龍馬伝の最終回を見た。
 龍馬が殺されるシーンを見るのは辛かったが、
 それよりも弥太郎が龍馬の死を知り、
 大切な人なんです、返してくれ というセリフが弟と重なって
 涙が溢れた。

・病院に行き弟が亡くなった話をしてきた。
 僕は今は元気で、気持ちも大丈夫だけど、今もし
 落ち込むような事になったらと思うと怖いので、
 薬が重くなっても構わないと話したが、今安定しているので
 薬を変えるのはリスクが高いので今までと同じ薬を処方された。
 弟はうつ病だったのでしょうか? と聞いたら、
 そうとは言い切れないという返事だった。
 僕も経験があるから良く分かるが、
 死ぬことで頭が一杯になっている時に、明るくふるまったり、家事をしたり、
 あれだけの遺書は書けないという話だった。
 僕と似たDNAを弟も持っているわけだから、
 僕と同じ妄想的な感じがあった可能性は高くて、
 いじめにあった事が人よりも強烈に植え付けられたんじゃないか?
 という話だった。
 もしどこかの精神科で治療を受けていたらまた違った事に
 なっていたかもしれないから、残念だ と言っていた。
 でも弟は、僕らに病気の話はしなかったわけだし、
 自分から病院に行く事もなかったわけだから、
 僕達はどうする事もできなかったと、母と話をしていた。
 もし遺書を見つけてから、弟が死ぬ前に見つける事ができて、
 その時は助けられたとしても、近いうちにまた、
 同じ方法で死のうとしただろうとも家族で話していた。
 だから、僕達はどうすることもできなかっただろうっていうのが先生の考え。
 死ぬ事を夏ごろから逆算して、行動に出ていたわけだし、
 それだけ楽になりたかったのだろうって先生言ってた。
 それは僕も同じ考えで、弟が楽になって良かったと思ってます
 とは伝えた。
 後は他にも喋ったような気がするけど、泣きながら話をしていたし、
 何を言ったのか言われたのか良く覚えてない。
 どうする事もできなかった という事。
 弟は楽になったんだ という事は良く分かった。


今日もあぜ道通信に来てくれてありがとう。

投稿者:

Masa

うつ病と統合失調症の僕。 病気への誤解偏見を無くすため。 そして同じような境遇の人たちへ元気と笑いを届けたい! 基本的に「マッタリ行きまっしょい」というスタンスです。 その他食べ物話、音楽話が多いです。 映画とデジモノもちょっとだけ。 気楽にコメント書いてくださると嬉しいです。 お待ちしてま〜す。 ٩( 'ω' )و