道草小噺 繰り返し嫌、記録の蓄積好き、シンプルがいい

実家に引っ越す際に洗車道具セットも持って帰ってきたけれど、それが見当たらないんだよね。
雪が降ったせいで車🚗がかなり汚くなってしまい洗いたい。
この車放置男が洗いたいというのだから相当なものである。

洗車道具といっても、高価な物は無いのだが、どうやら捨てられてしまったらしい。
捨てて良いか一言聞いてくれても良かっただろうに。

身だしなみや、車の手入れなどに気が回るようになってきたのは嬉しいことだけど、洗車ってやってもやっても終わりがないし、すぐに汚れる。
1年もつコーティングは高いし、常に綺麗にしておくには週イチくらいで洗車しないといけない。
結構大変だよね。
時間も取られるし、洗車している時間も惜しい。
家の庭で洗車すれば良いのだけど、ホースも見当たらないような気が、、、

やってもやっても終わりが無くて、繰り返し続ける事が僕はどうやら嫌いみたいです。
無駄というか、それやらないで良いでしょうという考えになるのです。
花や料理も似たような感覚。
いくら綺麗な花も数日で枯れるし、料理はいくら作っても食べたらなくなるし、常に腹は減るからまた作らないといけないしで、何かが違うような感じがするんだよね。
何かしら行動したら、それが結果としてずっと残る事が好きなのでしょう。

写真や日記などにこだわり、整然と管理しているのは、記録の積み重ねを好むからでしょう。
そう考えると洗車は無駄な事という感覚に近いんだけど、もうコーティングしてもらうしかないよね。
高いからちょっと今は出来ないのだけれどもね。

記録の積み重ねに執着している部分はあるけれど、現物としての物にはあまり執着はない。
身の回りは非常にシンプルだ。
無駄な物はガンガン捨てるし、部屋には最低限の物しか置いていない。
捨てられない人ではない。

無駄な事だと思う事柄が人とちょっとズレてしまっているのは感じているけれど、シンプルでありたいと思って生活しています。
面倒くさがりだと言われれば、そうなのでしょう。

今日も畦道通信に来てくれてありがとう。