僕とうつ病 闘病記 発症から退社へ 010 2005年、統合失調症の症状に苦しむ

2005年11月
・先生からは表情が豊かになってきたという話を聞き、薬を一種類減らして生活できるか様子を見ることになった。
話の最期に仕事の話も出て、土浦、真鍋にある就職支援センターに行くことを勧められた。
自分としては、人と会う事がまだストレスになるので、まだ時間がかかるという考えだが そのことを先生に伝えなかった。
薬が減ったことや、仕事の話が出たなどのことを両親にメールをすると焦らずじっくり治していきなさいという返事が返ってきた。
病気を理解してくれているという実感があり、治療に専念できる環境にしてくれていることに感謝する。
・ストレスや不安を忘れるために甘い物を食べてしまう衝動が、また出てきた。
・朝、鬼嫁が洗濯物を干しているときに、出勤までの時間が迫ってきていることからか
イライラし何か独り言を大きな声で言っていた。
自分が家事を手伝わない事が原因ではないかと自分を責めて、体が重くなった。
仕事もしないで、パソコンをいじっている自分に対し、言いたい事が山積みになってイライラしているようだ。
なんとか家事を手伝ってあげたいのだが、体がいうことをきいてくれない。
・朝起きたときから体が重く、自殺することを考えてしまう。
気分転換にコンビニに行ったが、チョコレートを沢山買ってきてしまい、それを一気に食べてしまう。
・家の前の道路を工事していて、そこで働いている人の声が聞こえてくると、自分の事を話しているように感じ、窓を閉め切って昼間を過ごした。
夜になり電気をつけると家に自分がいることがわかってしまうので、電気をつけずに過ごす。

2005年12月
・家の前の道路を工事しているときのエンジン音は実際に外でなっているのか、耳を澄ましているから聞こえてきたのか、頭の中でなっているのかが自分でも分からなかった。
頭の中でなっているとしたら、統合失調症の症状なので、落ち込む。
・朝から体が重く、朝食は食べられず、ブブ彦の散歩にも行くことができなかった。
13時半ごろになり、家の裏でブブ彦のトイレだけをすませ、またこたつで休んだ。
体調が悪くなっている原因は鬼嫁が言った「シャキっとしてよ」という一言だが、言われたからとすぐに良くなるわけでもなく、鬼嫁が出勤したら首を吊って死のうと考えた。
・鬼嫁がまた「しゃきっとして」と連呼するので、それを言うのをやめてくれと伝える。
鬼嫁は不満そうな顔をしていた。
この前病状が悪化したのがこの言葉だと、本人は気付いていないようだった。

2006年1月
・初詣に行っている時、夜TVを見ている時などで、何回も死ねという声が聞こえる。
統合失調症か?
・死ねという言葉で頭の中がいっぱいになり、「黙れ、うるさい」と叫びたくなる。
昼寝をしてからは声がすることは無くなったが、死んでみようかという考えが少し残っている。
昼寝中に見た夢も人を殺したり、自分が殺されそうになったりする気持ちの悪くなるような内容を見た。
・ニュースで公演のトイレで首を吊って自殺した人がいるのを見て、うらやましく思った。
・薬が切れてしまっているので、今日病院に行くつもりだったが、体が重く、行くことができなかった。
出発する予定の時刻を過ぎると、窓の外で誰かが見ているような感覚が現れて、家の中でも動けなくなってしまった。
死ねという言葉で頭の中がいっぱいになり、首の頚動脈を包丁で切ることを考えていた。
ふすまの前あたりには人影が見えたりもした。
寝惚けてはいなく、間違いなく見えていた。
・甘いものをたくさん食べてしまう。
我慢しようとしても、家の中に甘い物があると、結局食べてしまう。
鬼嫁は自分が食べるために買ってきたと言って怒っていた。
また、いびきがうるさいとコタツの中の足を蹴ってきた。
これらが影響して、死ぬ方法を具体的に考えるようになってきている。

僕とうつ病 闘病記 発症から退社へ 009 2005年9月 入院

2005年9月
薬を変えてか死にたいと思うことがかなり減った。
この病状で電気治療は必要かどうかは、自分にはわからないが、さらによくなればと思う。

先生に物忘れのことを伝えると、そうなる人もたまにいるということだった。
自分と先生の考えは同じで、自殺して命を失うよりは、少しくらいボケても構わないと考えが一致した。

落ち着いているが、姪っ子を見ていると気分が悪くなってくる。
姪っ子に限らず子供、特に赤ん坊を見ると頭がおかしくなりそうになる。
自分のような人間が汚れていない赤ん坊には近づかないようにした方が良いと
無意識に考えてしまっているような気がする。
この調子だと自分が子供を持つなどということは絶対に無理だと思う。

筑波大学病院に入院する。
病棟の異様な雰囲気に圧倒される。
視線を感じたり、壁がざわついている症状を抑えるために飲んでいた薬が肝臓に負担をかけていることが血液検査でわかり、その薬をやめて様子を見る子になった。

NANAの8巻を読み終わったところで気分が悪くなった。
妊娠したハチの周りで「簡単に生みすぎる」「認知」などの会話が溢れ、自分の事と重ねて見てしまう。
急に身体が重くなり、横になり2時間眠った。
起きてからも気分が悪く、命の事や、生きる意味などをかんがえてしまい
じょじょに死にたい気持ちになる
このままではまずいと感じ、先生と話をする。

物忘れはあいかわらずで、毎晩飲んでいる薬を量が増えていないか?と尋ねてしまったり、母から届いたメールを読んだ事を全く覚えていなかったりする。

電気治療を行うが、効果が現れたのか、たまたま体調が良かったのかが分からない。
よほど強い力で歯を食いしばっていたのか、手術後、奥歯が痛む。

電気治療を行ったが、前回よりめまいや頭痛が続く。
気分は落ち着いており、なんとなくではあるが効果が出ているように感じる。
自殺願望があるので、病棟から外に出ることができない。

2005年10月
絵の具をこぼしたような絵を見て何に見えるかというテストを行った。
血や死体などに見える物が多く、自殺願望がまだある事を実感する。
いつも廊下で騒いでいる患者が、朝食の時に香田昭正さんの話を始め、殺された時の声を真似していた。
これが原因で一日中気分が落ち込み、談話室でも騒がれ、吐き気を催した。
自分の事を話していない事は頭でわかっていても、病気が自分の事を話しているように思わせてしまい、苦しい。

弟とその彼女がこの家に寄ったという記憶が無く、そのことを鬼嫁に言うと露骨にうんざりした表情を出した。
後から悪かったと一言あったが、やはりうつ病の人間と接するのは嫌なのだろう。
自殺しようかと本気で考えた。

朝から体が重く、15時くらいまでずっと寝ている事が多い。

死ねという声が頭の中でずっと響いている。
この声を消すために大声で止めろと叫びたくなる。
声から逃げるために死んで消えてしまいたくなった。

僕とうつ病 闘病記 発症から退社へ 008 2005年6月 統合失調症の症状が現れる

2005年6月
・自分の身体が汚れているように感じ、石鹸で手を洗い続けるが、
気持ちが治まることはなく、気持ちが悪くなる。
・ゲームをやって気分転換をしようとしたが、面白いと感じることもできず、30分でやめる。
・夜中に外で誰かが呼んでいるような感覚になる。
散歩というよりは死に場所を探してさまよう感覚に近い。
・弟から電話があったが、出ることも、かけなおす事もできない。
家族でも電話はしたくないし、できない。
電話の着信音のボリュームをゼロに設定した。

2005年7月
・引っ越したタイミングで病院を変える。
評判の良い病院なので、病気の改善に期待する。
・新しく処方された薬はとても強く、一日中眠い、歩いていても
酒を飲んだときのようにまっすぐ歩いているのかわからない。
副作用で手が振るえて握力が出ない。
・強い薬の影響で自殺願望は無くなってきているが、物忘れが激しい。
今朝何を食べたかも、ブブ彦に餌を与えたかも思い出せない。
一日の行動を思い出してみても、何をしていたのかわからない空白の時間がある。

2005年8月
・手の震えがひどく、タイプミスを連発している。
手首から先に錘が付いているように重く、握力が無く疲労感がある。
カッターを見つめながら、手首を切りたい衝動に駆られたが、我慢する。
・話をするときに、どもってしまったり、どう話をして良いかが、わからなくなることが多くなった。
・小学校の時から自己否定や自殺願望があることと、死に関する事や他人を
傷つけたり、自分が殺されるような夢を見るようになった話を先生にした。
以前通っていた病院の先生とは違い、新しい病院の先生はとても真剣に
話しを聞いてくれて、アドバイスや発想の転換方法、記憶の風化の話などをした。
新しい病院に来て良かったという実感と、うつは治るという考え感覚を持つようになる。
・一日中体が重く、死ぬことだけをずっと考えていた。
手首を切りたい衝動に駆られ、カッターを持ち腕に押し付けたが、
何も変わらないと思い、やめた。
・死ぬことを考えることが多かったことを伝え、壁が隠れるほどの虫が
ざわついているように感じたり、 家の周りで誰かが会話をしているような気がすることを先生に伝えた。
統合失調症の可能性があるという事で、薬を全面的に変えることになった。
頭に電流を流す治療を行ってみるか?と聞かれ、
自分からすすんでやらせてくださいと伝えた。
電気を流すことに関して不安や恐怖は無い。
・病院から紹介された筑波大学病院に行ってきた。
2~3週間入院して、週に2回ほど電気療法を行うということになる。
治療は全身麻酔と筋弛緩剤を使って行われ、死亡する確率は 5万分の1になるという。
・病気を両親に告白した時よりも、随分病気について
理解をしてくれるようになり助かる。
・物忘れが激しく、何故ここに寝ているのか、いつ何を食べたとか、など数分前のことも思い出せないことが目立つ。
病状は良くなってきているので、薬の副作用なのかもしれない。
・気が付くと痒くも無いのに腕や足をかいている事に気付いた。
かきすぎて腕はあちこちにかさぶたができて、少し痛むのだが、なぜか身体を傷つけていると気分が落ち着くこの癖の延長上にカッターで腕を傷つける自傷行為があるように感じる。

僕とうつ病 闘病記 発症から退社へ 007 2004年12月、傷病手当が降りました

2004年12月 傷病手当の手続きが終わり、やっと手当てがもらえるようになりました。
月に10万円ほどの手当てが降り、金銭的なプレッシャーは減りましたが、病気は相変わらず。
この頃から会社からの電話も少なくなり、仕事を退職する方向に話が進んでいきます。

2005年3月 退職しました。
最後の頃は上司から電話がかかってくることも無くなり、正式に退職しました。
うつ病になった時は、退職や離婚などの重要な決断をしてはいけないと言われています。
今になって思えば、退職するべきではありませんでした。
しかし、当時は仕事から離れ、治療に専念することを優先しました。

2005年3月 夜中の工場でバイトをするが、強い吐き気に襲われてしまい仕事が続けるのが困難だと判断。
2回だけの出勤で辞めることになりました。
次にコンビニのチルド品の配送をするバイトを始めるが、仕事の時間が近づくと身体が重くなり動くことができなくなってしまい、10回の出勤でバイトを辞めることになりました。
社会復帰の難しさを痛感し、うつ病からの復帰が困難だという話を身をもって実感しました。
働くことができないとわかり、病状はまた悪化しました。

2005年4月
・両親は自分を追い込むような事は言わなくなったが、
自分は無言のプレッシャーを感じるようになる。
・環境を変えるために、アパートを借り暮らしを始める。
・朝に洗濯が終わった物を干すことができない、外に出るのも怖く郵便物などが
届いても居留守をするようになり、一日中家の中で過ごす。
・味覚が鈍り、味が分からない。
・色も目に入らず、ダリの曲がった時計のように、景色が歪んで見えるようになる。

2005年5月
・死ぬ、殺す、傷つけるといった内容の夢を良く見るようになる。
頭を使ったり、人と接する必要がある事ができず、
一人の時間には、今なら死ぬことができると考えてしまう。
薬で自殺したい衝動は多少弱くなっているが、ゼロにはならない。

・求人情報誌がテーブルに置かれていると、早く働けと
言われているようで、強いストレスを感じる。
・包丁を見ると心臓に刺したくなる衝動に駆られるので、
台所に行ったときは包丁を見ないようにして生活する。
・過食の傾向があり、何かを口に入れたくなる衝動に駆られ、
台所で食べ物をあさり、チョコレートなどを見つけると
むさぼるように食べてしまう。
この衝動をなかなか抑えることができない。
・部屋の壁を大量の虫が歩いているように錯覚したり、
自分の考えが頭からもれているような感覚に襲われる。
この症状は統合失調症の物なので、心配する。

僕とうつ病 闘病記 発症から退社へ 006 2003年10月 休職期間

2003年10月、仕事から離れる事ができましたが、病状が軽くなったかというと、何も変わりませんでした。
今度は別の物にとらわれるようになっていきます。
仕事のプレッシャーからは解放されましたが、自分がいると周りに迷惑をかけていると考えるようになり、自分の存在そのものを否定するようになっていきます。
体が重く一日中横になっているだけの生活。
病気を治したいというより、死んで楽になりたい。
死ぬ=苦しみから解放される と考えるようになり、死ぬ事が怖くなくなっていきます。
そして死ぬ方法を一日中考えるようになりました。
確実に死ねる自殺方法を調べたり、致死量になるアルコールや農薬の量を調べたり、集団自殺の募集を見たり、死のうとしている人達が集まる掲示板に行き、一緒に死のうと話をしたこともありました。

休職してからは、月1回の頻度で上司からの電話があり、病状を尋ねられ、職場復帰用の簡単な仕事を用意してあるから、出てこないか?と言われました。
今思えば、病気を理解してくれて、自分用の仕事を用意してくれるなんて、なんと有難い事か。
でも当時は電話がかかってくるのが怖くて怯えながら電話に出ていました。
か細い声で「出社します」とは言いながら、当日になると体が動かなくなってしまい出社できない事を繰り返しました。
親切にしてくれているのに、それに応える事ができない事を責めました。
そして、また自己嫌悪になり、さらに死にたくなることの繰り返しでした。
苦しかったです。
この頃が一番辛かったように思います。
今、思えば、この時期をよく死なずに乗り越えたなぁと、自分でも驚きます。
ちょっとしたきっかけ、例えば、病気を理解できない人からのなにげない言葉など、本当にちょっとしたきっかけがあっただけで死んでいたと思います。
本当にギリギリのところを、たまたま死なない方に傾いただけだったように感じます。
危ないところでした。