僕とうつ病&統失 闘病記 2013.11 薬無し3週間&過食で闘病する気があるのか 

最悪の時期から、現在(2019)のだいぶ元気になるまでの昔話です。
症状を箇条書きにしてますので重い内容になります。

読める人だけ目を通してください。
()は当時の自分に今の自分がアドバイスしている文章です。
参考になればと思います。
そのうち元気な内容に変わっていきますが、この状態からここまで来たのかとプラスになる読み物にしてくれたら嬉しいです。

・朝まで眠れ無かった代わりに日中倒れるように横になる。
 深夜2時を過ぎても眠くない夜は、
 素直に睡眠薬を飲むほうが良いのかもしれない。
(もうさぁ、深夜2時を待たずに23時とか24時になる前に睡眠薬飲んで、布団に入って眠くなるのを待つべきだと思うんだ。 飲んで直ぐに眠れるわけでもないしね。 もっと生活を正す心構えが必要だと思うよ。 何の為に睡眠薬だしてもらっているか分からないじゃん。 早寝早起きが基本だよ。 寝るのが遅いから翌日の昼間も眠いって事だってありそうじゃん。 薬をしっかり管理して有効に使うようにしないと、渋々病院に行ってくる意味も無いしね。 もっとしっかりしなよ。)

・弟にお供えするケーキを買いに、市内のケーキ屋に行ってきた。
 ついでにスーパーに行き、
 カップラーメン、カステラ、プリン、カマンベールチーズを購入。
 今度こそ一気食いしないようにしたい。
 食べ物を買いに行くという目的があると、外に出られるような気がする。
(この日は弟の命日だから行動することが出来たね。 余計なものを買い込んでしまっているのは褒められないけど、外に出ないよりはいいか。 でも毎日少しずつ食べるようにしないといけないけど、どうせ過食するんだろうな。)

・少し死にたくなってしまう。
 薬はきちんと飲んでいるので、死にたい気持ちは
 抑えきれないという事だろう。
 あるいは、別の薬にしてもらわないといけないのか。
(死にたい気持ちはゼロにはならない、薬をきちんと飲んでいても体調が一定という事にはならない。 期待は苦しむだけ。 死にたくなっても、生きているのは何故? 何か少しだけなら楽しめることや心が落ち着く事があるんじゃないか? そういう事だけ考えたりやっていれば良いんだよ。 高望みはしない、現状から考えて出来ることだけを考えてその中で生きていくしかない。 そこで選択肢の少なさに落ち込まずに、自分なりの幸せの形を見つけることです。 幸せはなるものじゃなく、感じるものです。)

・今日の分の薬が無い。
 体は比較的軽くて、お昼とおやつを買いにセブンイレブンまで行く。
 大量にスイーツを購入し、半分は一気食いしてしまった。
 体重はまだ増え続けていて、過食をやめたいがそれが出来ない。
(セブンイレブンに行くことが出来たなら、その勢いで病院に行けばいいのに。 病院に行ったご褒美にセブンイレブンに寄るようにすれば良いんじゃないかな。 先にご褒美が手に入ってしまったら辛い病院には行かないよね。)

・薬が切れて3週間近くが経った。
 薬を飲んでないと旧あぜ道でポロリとこぼした事で、
 病院行けと常連さんに言われ、力をもらって病院に行く。
 薬が切れていることを楽しんでるようようなニュアンスで
 お知らせしてしまったが、病院に行くのは身体の負担が大きい。
 遠い事、混む事、先生との対峙。
 どれもヘビーである。
 体調を見ていたつもりが、気付けば3週間。
 体調は万全ではないが、行かねばなるまい。
 心配してくれる人達に失礼だから。
 今回の病院、何を先生に話そうかと考えたのだが・・・
 何も浮かばない。
 ノープランである。
 僕にはもう薬が必要ではないのでは?というやりとりは
 さんざんやったし、なんと返ってくるのかも分かっている。
 今回は薬だけもらって帰ってこよう・・・ そんな感じだった。
 先生に「どうですか?」と聞かれ、
 「朝起きられないです。 夕方頃になってやっと動けるようになり、
 犬の散歩に行き、ご飯を食べ、寝る。
 朝は動けと強く思っても、身体が言う事を聞きません。」と伝える。
 ここで先生が意外な行動にでる。
 薬を熟考しだしたのだ。
 こんな事は今まで一度も無かった。
 薬の知識は半端ではなく、定番から最新の薬まで、
 あらゆる組み合わせを瞬時に考え、最適な組み合わせを
 導き出してくれる先生が、今月は悩んでいる。
 ぶつぶつ独り言を言い、1分くらい考えていただろうか。
 動けるようになっても、手が震えるのはやだよね?
 壁を虫が這っているのは、最近見る?
 などと質問をいくつか繰り返し、決めたようだ。
 髪切って、さっぱりした方が良いよ。 と最後に一言。
 美容院に行くのが怖くて行けないんだってば。
  朝:エビリファイ6mg2錠、アーテン2mg1錠
  夕:エビリファイ6mg1錠、ジプレキサ10mg2錠
  就寝前:リーマス200mg3錠
 診察後に採血し、肝臓と脂肪?と、リーマスの効き具合をみるそうだ。
 とても疲れた。
 お正月は病院休みなので、12月中に遅れないで病院に行く必要あり。
 行けっかなぁ〜
 とか言ってちゃだめだよね。 行きます。
 またひと月頑張ろう。
(あの先生が処方に悩む理由は分からないけど、どうしたらいいのか分からなくなってしまったのかもしれない。 でも助けてやろうとするから悩むわけで良く考えてくれてると思うよ。 その薬を大切に飲んで、切らさない事。 多くの人が自分の事を考えてくれている事を忘れてはいけないよ。)

今日も畦道通信に来てくれてありがとう。

道草小噺 アイスコーヒーが作れない

ここ数日、横なって過ごすことが多かったのだけど、夢を見るんですよね必ず。
だから安眠は出来てなくて浅い眠りなんだと思う。

夢では弟が久々に出てきて、一緒にキッチンカー🚙の中で調理をしているのだけど、お客さんがアイスコーヒー☕を注文した。
このアイスコーヒーが厄介で、2人して作業しているのに、一向にアイスコーヒーが作れないのです。

グラスに氷を入れてアイスコーヒーを注ぐだけなのに、コーヒーが無い。
そんなに広い車内じゃないのにどこを探してもコーヒーが見つからなくて焦ってくるし苛々してくる。

もう作れましぇーんってお客さんに泣きつこうとしたところで目が覚めた。
弟は全く戦力になってなかった。
自分も全くコーヒーを見つけられなかった。
2人がかりでも1円も稼げなかったな(笑)

この夢の夢診断。
「意味なんて無い」

今日も畦道通信に来てくれてありがとう。

僕とうつ病&統失 闘病記 2010.12 家族の絆

最悪の時期から、現在(2019)のだいぶ元気になるまでの昔話です。
症状を箇条書きにしてますので重い内容になります。

読める人だけ目を通してください。
()は当時の自分に今の自分がアドバイスしている文章です。
参考になればと思います。
そのうち元気な内容に変わっていきますが、この状態からここまで来たのかとプラスになる読み物にしてくれたら嬉しいです。

・身体が少し重いが、気力でなんとかする。
 これくらいで動けなくなるわけにはいかない。
 2階でゴロゴロしていたいが、母を一人にするわけにもいかないので、
 無理をして1階で過ごす。
 うつ病になりやすい性格、なってしまった人に
 どうやって接するべきかのTV番組を、母が見始めたが、
 こういう番組は僕がいない所で見るようにしてほしい。
 一緒に見ていて、追い込まれるような、気持ち悪くなるような感覚になる。

・弟の写真の現像、隣町の有名スイーツ店で49日のお返しの予約など、
 結構あちこち行ったけど、
 そんなに疲れることもなく、昼寝もまったくせずに過ごせた。
 今日は調子が良かったのかな?
 弟の写真は全部で130枚くらいあり、それを全部現像してきた。
 母は写真を選んでいる段階で少し泣き出してしまったが、
 この写真で弟の祭壇を飾ってやるんだから・・・といって励ます。
 家に帰ってきてから父に写真を見せたら、父も泣き出してしまって、
 3人で軽く泣いた。
 でも最後はいい思い出ばかりだねと言って、笑顔になった。
 家族といとこに渡す写真は、遺影になっているピースをしている写真に決めた。
 爺ちゃんと弟、Masa、姉が写っている写真はコルクボードに飾る事にした。
 爺ちゃんの所に弟が行ってしまうまで、2週間になってしまったので、
 もっと弟と話をするようにしようと思う。

・今日は僕が外出するので、母が初めて家で一人になってしまう状態になった。
 母の友達がお線香をあげにきてくれて、少し気がまぎれたようだ。
 昨日、弟に謝るんじゃなくて、ありがとうって言おうって話をしたので、
 今日の母の顔は穏やかだった。
 こうやって良い思い出だけが残っていって、
 じょじょに辛かったり自分を責めたりするような気持ちが
 薄れていくんだろう。
 それよりも、姉がうつ病にならないか心配。
 弟にありがとうとはまだ言えないって書いてあった事も心配。
 このまま2週間が終わってしまったら、そのまま弟に
 謝ったり後悔したままの気持ちでずっと過ごす事になるような気がしている。
 姉には、僕は弟に
 「31年間も笑わせてくれてありがとう」
 「弟に会えて最高に幸せだったよ」って毎日言ってやるんだ と送った。
 弟は生まれてきて良かったと思えた事は無いって遺書に書いていたけど、
 産んでくれてありがとう、お父さんお母さんありがとう、感謝してます
 なんて人は一握りだと思う。
 みんな何かしら悩みや苦しみを持っているだろうし、
 弟だけが特別だったわけじゃないと思う。
 弟は弱かったからこんな事になってしまったわけだけど・・・・・
 弟は自分が生まれた意味を問い続けてきたかもしれないけど、
 僕は弟に幸せをいっぱいもらったと思っているし、
 本人の周りが感謝してくれたり、笑ってくれるなら、
 それだけでも生きている意味はあるような気がする。
 僕だってなんで親が離婚しそうになるような家庭の子に
 生まれてきたんだ?ってずっと思っていたけど、そうではなくて、
 僕が生きる事で、周りは幸せになっているのかもね って
 最近は思うようになった。
 残された家族の事を考えて死なないでほしいっていうのは、
 自分さえよければ、病気の本人がいくら苦しくても生きろっていう
 勝手な意見だと思っていたけど、違うよね。
 家族がいるからこそ生きないといけないんだと思ってる。
 僕は死なないよ。
 絶対に。
 弟に40年〜50年後に会ったら、こんな人生をおくったんだって自慢して
 うらやましがらせるんだから。
 もう誰一人欠けることなく、生きていくんだ。
 ずっとだよ。
 僕はそう思ってる。

・昨日の疲れが出たのか、朝コタツに移動して2度寝してしまった。
 起きてくるのが遅いからと母が覗きに来たらしいのだが、
 まったく気付かなかった。
 1階に降りてからもコタツでぐっすり眠り、今日はたっぷり休養と取った。
 体調が悪いのか?と両親に言われたがそんな事は無く、
 昨日の疲れが残っているだけである。
 つまり運動不足なのである。
 明日は弟の月命日。
 明日線香をあげにきたいと伯父が言ってくれた。
 家が一番近いとはいえ、家まで来てくれる伯父ちゃんには、
 本当に感謝している。
 両親と僕の3人で残り11回しかない弟との夕食を何にするか考える。
 弟が何が好きだったのかがすぐに出てこないのが、寂しいし、
 申し訳ない気持ちで一杯になるが、必死に考える。
 父が「俺が金だすから、寿司にしてやってくれ」
 「特上で頼んでやりたい」って言ったのを聞いて3人で泣いた。
 すき焼きや、鰻や、天ぷらや、生姜焼きをやってやる事になり、
 弟が隣で一緒にメニュー表を覗き込んでいて喜んでいるような気がした。
 気のせいじゃなく、本当に隣に弟がいるような暖かい感覚に包まれた。
 母は大変な夕食の準備を一人でやるつもりだったらしいが、
 自分だけ良い格好する気なのか?とツッコミ、僕も手伝う事にした。
 手伝うのは当たり前だと思っていたが、母はそこまではさせられないと
 思っていたらしい。
 兄らしい事は何一つしてあげられなかったので、
 弟の為になる事はなんでもしてやりたい。

・今日は一日中眠くて、1階のコタツで寝て過ごす。
 母が弟のご飯を作る事で気持ちの整理をつけ安定しているので、
 僕も安心して寝る事ができる。
 薬の影響なのか?なんなのか分からないが、とにかく眠い。
 夕方になると元気になるあたりが、相変わらずうつ病の症状だなと思い、
 少し落ち込む。
 伯父が朝起きたらもう家に来ていて、母との話し声が聞こえる。
 言っていたとおり、月命日の今日線香をあげに来てくれえた。
 甘い物も買ってきてくれた。
 ありがたいことだ。
 夕方には姉が一人でやってきて、線香をあげてくれた。
 姉はまだ「ありがとう」って言える気にはなれないと言っていた。
 僕たちのように、長いこと弟と一緒にいたとしても、
 やっと最近ありがとうと言えるようになったが、
 姉は家を出ているので、弟と接する時間がずっと少ないので、
 そう簡単には気持ちが切り替えられないのだ。

・身体が若干重いような気がする。
 伯母が来てくれた時も眠くて、あくびを何度もしてしまった。
 申し訳ない事をしてしまったと思う。
 どうして最近眠いのか原因は不明。
 夜は熟睡できてるし、薬の副作用で今までは眠くなったりしなかったからだ。
 戦後の沖縄で、医師免許をもたない町医者のドラマを見ていた。
 患者さんが遺書を残して失踪して、必死に探すんだけど、
 首吊ってる状態で見つかるシーンがあった。
 普通だったら首吊りのシーンは、浮いている足だけ映したり、
 ロープと頭だけ映したりするけど、
 特撮をつかってワイヤーなどを消しているらしく、
 全身が完全にロープ一本で吊られているように映っていた。
 直視できなくて、慌ててテレビを消した。
 遺書を見つけて探しに行く展開になった時にテレビを消すべきだった。
 ショッキングで、今はちょっと吐き気がして、手が震えるような感じがする。
 一緒に見ていた母は、途中から居眠りしていて、
 このシーンを見ることは無かったから良かった。
 辛い思いをするだけだし、取り乱して、不安定になりかねないからね。
 昔だったら、こんなシーンで吐き気がするような事は無かっただろうけど、
 今後ドラマや映画で遺書や自殺のシーンを目にする事があると思う。
 その時、今と同じような状態になってしまうような気がして不安だ。

・2階で3〜4時間寝ていいと言われたので、精神的に楽だった。
 毎日こうであると助かるが母が心配なので、それは無理だろう。
 弟の話を3人でした。
 母と僕の2人で話始めて、父は最初寝ていたが途中から起きて
 話に入ってきて、3人で話す。
 母は弟が遺書を見つけるであろう時刻から死亡推定時刻の21時までの
 2時間くらいの間、探しに来てほしかったのでは?と
 ずっと思っていたらしいが、それは違うと話をする。
 もし弟が自殺をする前に見つけたとして、
 家族4人で話合いでもしたとしたら、遺書を読まれてしまった弟は
 本当に居場所がなくなってしまい、
 今度は誰にも見つからないような場所に行って死のうとするだろうと話す。
 父がこのあたりから起きてきて、話に入ってきたのだが、
 父はひと月の間、ずっと弟は
 「親父、なんで来てくれなかったんだ」と言われているような
 気がしていたと泣きながら、話し始めた。
 僕と母が弟を見つけた可能性はあるけれど、
 もし母が弟が吊られた状態を見たら、気が狂ってしまうだろうと話す。
 見つけてやってもロープを切る物は持ってないし、
 警察が来てくれるまで待たないといけないし、
 警察が来ても、事件性の可能性も考え、すぐに弟は降ろしてくれないで、
 吊られた写真を撮ったりするだろう。
 1秒でも早く降ろしてほしいのに、1〜2時間弟の側で
 見ているだけしかできないというのは、母には耐えられないだろう。
 弟が亡くなった翌朝は朝霧がすごくて、散歩をしている人の目にも
 つかなかっただろうし、パトロールの人から直接警察に連絡が行き、
 地元の人に見つかることもなく処理してくれたのは、
 本当に良かった。
 弟は家族に見つけてほしかっただろうけど、
 遺族としては一番いい方法ですぐに見つけてもらって救われたと話す。
 父も自殺前に見つけていたら、弟はもっと苦しむという事を納得し、
 気分が楽になったと話をした。
 母は自分の育て方が悪かったとまた言い出したので、
 それは残された僕と姉にしてみると不愉快だと話す。
 自分は出来損ないだとうつ病で自分を責めてきたのに、
 子育ての方法が悪かったと言われるのは正直きつい。
 弟はもう戻ってこないけど、僕と姉は一生母の子供なんだし、
 これから出来なかった事、後悔している事を実践してくれと話す。
 弟の死から何かを学んで変わらないと、弟の無駄死になると言った。

・病院に行ってきた。
 僕はここ数ヶ月とても安定しているので、今日は自分の話はせずに、
 ほとんど姉の話をしてきた。
 姉の「消えたい」メールを、先生はかなり心配していた。
 僕がマメにメールしたり、この前も姉の家に母と一緒に押しかけて、
 元気か確認しに行ったのだけど、
 そういう時は元気にふるまってるだけの可能性があるって言われた。
 確かに、家にまで来てくれたら、落ち込んでるところは見せられない
 って心理は働くよなと思う。
 姉に会うといつもニコニコしていて安心させられるけど、
 それは無理してるんじゃないか?と今更になって気付いた。
 苦しかったら何でもメールしてって言っても、
 姉はメールを読む相手の事を考えて書いてるだろうから、
 100%吐き出してないと思う。
 頼りない弟かもしれないけど、何でもいいから吐き出してほしい と送った。
 それに対して、姉を納得させる答えを返せるかは分からないけど、
 誰かに気持ちをぶつけるだけでも違ってくると思う。
 それと、1月になっても姉が「消えたい」と思っている場合は、
 病院に連れて行くって話があるが、
 普通だったら初心予約の場合、3ヶ月待ちのところを、
 特別に早めに診察できるようにはからってくれると先生が言ってくれた。
 「なんとしても、もう家から死者を出すわけにはいかない」と先生言ってた。
 それは僕、父、母の3人の事を言ってるんじゃなくて、
 姉を死なせるわけにはいかないって事を言ってるわけだ。
 身内が自殺した場合、遺族がうつ病になってしまう事は多いのですか?
 って聞いたら、「多い」ってキッパリ言われた。
 だから姉が心配で心配でね。
 姉は精神化に通う事に抵抗があるかどうかは分からないけど、
 早くに行けば行くだけ治りも早いし、
 精神科は拍子抜けするくらいに、普通の病院と同じだよ。とメールする。
 1月になっても気分が落ち込んでるなら、
 「病院紹介して」って正直に言ってほしいと言った。
 僕は安定しているので、薬に変更は無し。
 朝:セルシン2mg、アキネトン1mg
 夜:セルシン2mg、アキネトン1mg、ピーゼットシー4mg、セレネース3mg。

・母が熱を出してダウンしてしまう。
 今の時期にうつると49日法要に出られなくなる可能性があるので、
 何としてもうつるわけにはいかない。
 2階にいたほうが良いと言われたので素直に従い、
 2階のコタツで寝て過ごす。
 僕と父は、かかるわけにはいかないので、家の中でも
 マスクをして生活することになった。
 弟が夢に出てきて、台所で一緒に料理を作っていた。
 8畳の部屋に行くと母がいて、弟が可哀想だから戻ってあげてと言われ
 台所に向おうとすると弟が影のように真っ黒になっていて、顔が見えない。
 夢はそこで終わったが、いつも弟の顔が見えないのは、
 弟がまだ苦しみから解放されてなくて、
 笑顔を見せられないからでは?と考えてしまう。
 母と父にその話をしたら、そんな事は無いと言ってくれた。
 弟は楽になっているとは思うけど可能性の話で、やはり考えてしまう。
 顔が見えないのも悲しいが、舞台がいつも昔の家というのも悲しい。
 今の家になってからの弟との思い出が無いからだ。
 もっと一緒にいたかった。
 話をしたかった。
 会いたいよ。

・日中2階で寝ていたら、弟がまた夢に出てきた。
 今回の弟は子供に戻っていた。
 今回は弟の顔がハッキリ見え、笑ってくれていた。
 それは何か意味があるのか?と考えてしまう。
 夢に出てくれると嬉しいが、目が覚めると寂しい感じがする。

・弟の骨壷を抱いて過ごす。
 夕食時も弟のお骨はリビングに連れてきて、弟が座っていた場所に置いて
 一緒に夕食を食べた。
 いよいよ、明日一日で一緒にいられるのは最後なので、
 明日も膝の上に乗せて過ごそうと思う。
 母の体調が良くなって良かった。
 日曜が終わるまで油断はできないので、マスクは外せないし、
 父も母とは別に寝ている。
 明日は、ケーキ屋に焼き菓子を取りに行かないといけないし、
 花瓶も探してこないといけない。

・眠くて、母と買い物に出かけている間も寝そうになった。
 母がホームセンターとスーパーで買い物をしている間は車に残り、
 寝させてもらった。
 家に帰ってきてからも1階のコタツで2時間くらい熟睡してしまった。
 1階で熟睡は珍しい。
 昼寝をするのが習慣になっているのか?
 日ごろの疲れが出てしまったのか? 分からないが、
 身体が日に日に重くなっているような感覚はある。
 薬は変わってないし、ちゃんと飲んでいるし、何か原因があるとすれば、
 やはり1階にいる時間が増えて、気疲れしている部分だろうか?
 でも、母のためになるべく1階にいてやるようにしたいし、
 就職がきまってからも仕事から帰ってきたら、
 すぐに1階に降りていくようにしたいと思ってはいる。
 それくらいはやれるだろうと思うし、やらないといけないと思う。
 弟のお骨と過ごす最後の夜になった。
 お骨を持ってきて、弟が座っていた場所に置き、一緒に夕食、
 おやつを食べる。
 その後、祭壇にお骨を戻したが、涙が溢れてきて、
 そのまま母と2人で話をした。
 その後父も加わり、最高の息子だった、親孝行いっぱいしてもらったし、
 いっぱいおいしい物を食べさせてくれた。
 ありがとう、ありがとうって何度も言った。
 母も僕も泣いていたが、寂しい涙じゃなくて、
 何で泣いているのか分からないような涙だった。
 母が「弟の前で約束して! 私より先に逝かないって」
 と言ってきた。
 僕は笑って、
 「弟の前で自分は生きるって誓っただろう?」ってまた言った。
 母は昨日も2階で寝ている僕に向って、Masa?いるの?って声をかけてきた。
 寝てるの?でも、何してるの?でも、降りておいで、でもなく、
 いるの?って聞くって事は、僕まである日いなくなってしまって、
 同じ事をするんじゃないか?という怖さがある証拠だろう?と聞いた。
 母はそれについて答えなかったが、軽く頷いていたように思う。
 その後は父が加わり、3人で弟の前に座り、話をした。
 「Masaには俺と母を送らせる事になるから、一番辛い思いを
 させてしまうけど、俺達は歳で逝くんだから、悲しむ必要は無い。」
 と言われる。
 さっき母よりも先に逝かないって約束をしたんだと母が父に話をして、
 そのとおりだって事になった。
 僕たち3人と弟と爺ちゃんの5人で酒を飲めるのは、
 50年後だねって話になり、最後に僕が墓に入る頃には
 母も日本酒が飲めるようになってるかもねと笑いあった。
 ただし、こういう話は姉にはしないようにと釘を刺される。
 そんな事は言われなくてもわかってる。
 いま姉が一番心配だから、少しでも傷つけないようにしたいし、
 孤立感を感じないようにさせてやりたいと思っている。

・弟の49日法要、100か日法要、納骨が終わった。
 前日にあれだけ泣いたのに、当日は起きてからバタバタと忙しく、
 あっという間に家を出発。
 婆ちゃんの家にもあっという間に着いてしまったような気がする。
 10:30に寺に到着したら、姉の家と叔父の家は先に到着していた。
 11時までに時間が30分あったので、待合室に一同が集まると、
 最後に初めて会う親戚のおじさんがやってきた。
 婆ちゃんから話は聞いていたおじさんはイメージ通りの
 人が良さそうな感じで、すぐに僕は挨拶に行った。
 長男のMasaですと言ってしまってから、
 もう長男だと自己紹介するべきでないと気付く。
 すぐに法要が始まった。
 お経が唱えられえ始めると、初めて弟にお経が聞かされている事で、
 本当に弟が死んでしまった事が分かり、涙が止まらなかった。
 母も泣いていたが、後になって理由を聞いてみたら、
 小さい頃からの弟の人生を思い出して泣いていたそうだ。
 お経は思ったよりも短く終わってしまって、
 あっさりと納骨しに行く事になってしまった。
 弟とお別れになる心の準備ができていないのに、事はどんどん進む。
 父がお骨を持ち、僕が塔婆を持ち、姪が遺影をもって移動する。
 墓の前に行くと、もう墓石はどかされていて、中を見ることができた。
 骨壷に名前が書かれている物もあり、弟の骨壷にはマジックで
 名前を書いていたので良かった。
 塔婆を立てる役を僕にやってほしいと言われ、快く引き受けるが、
 墓の裏側に回っている間に納骨は終わってしまい、気がついたら、
 蓋が閉められていた。
 今日弟の骨壷を一度も見ることなく、納骨が終わってしまった。
 姉は、あんな冷たくて暗い中に弟を入れるのが可哀想だったと
 後でメールしてきたが、僕や母はそういう気持ちは全く無く、
 爺ちゃんと一緒になれて、弟が嫌いだった地元から離れたこの地に
 眠る事ができて、本当に苦しみから解放されたんだと思っている。
 弟の骨壷は父の話によると、一番真ん中に置いてくれたそうだ。
 弟を囲むように、爺ちゃんやひいお婆ちゃんがいてくれると思うと、
 随分と救われる。
 法要が終わって行きつけの和食店に移動する。
 挨拶回りにも今回も行く事が出来た。
 父は挨拶を頑張ってこなし、大役を果たした。
 自分にああいうスピーチができるか?と言われたら出来ないと思う。
 その後伯父ちゃんの献杯が行われて、とてもいい49日法要になった。
 駆けつけてくれた皆に何か恩返しがしたいが、
 とりあえず何もしてあげられないので、
 今後何かあったらすぐに駆けつけるくらいの事はしたいと思う。
 母と話をしたのだが、今日一日を終えて気持ちがスッキリした。
 火葬場から弟のお骨を持ち帰り、食事した時にご飯が食べられ、
 おいしく感じたのと同じで、
 また気持ちが楽になり、軽くなったような感覚になる。
 弟にはもう会えない悲しさはほとんど無く、
 弟がやっと安らかに過ごせているという事を納得しているのだと思う。
 お骨から位牌になり、遺影がコルクボードになった事で、
 気持ちも明るくなった。
 いいコーナーが出来たと思う。
 これから弟と一緒に頑張っていかなかければと思う。
 自慢の兄貴になれるように努力をしていきたいと思う。

・畦道通信に2ヶ月前に弟を自殺で亡くしたという人からコメントがあった。
 発見されるまでに40日かかったとあったので、
 その間どれほど苦しかったか、良く分かる。
 弟は一晩だけ行方が分からなかったが、それでも家族は
 常に弟の事を考え、心配をする。
 暗くなれば寒いだろうと考え、天気が悪ければ濡れているだろうと思う。
 まして、亡くなって遺体になっているとしたら・・・
 と考えるようになったら、
 一日でも早くに見つけてやりたいと思うのは当然の事。
 このコメントに対して何と返したら良いのか、しばらく考えてしまった。
 まだまだ気持ちの整理などつかないでしょうが、
 何か苦しかったらまたコメント書いてくださいね。
 必ず返事書きますから。
 お互い少しずつでいいので、前に進みましょうね。 とだけコメントした。

・身体が日に日に重くなるような気がする。
 死にたくなったりはしないので、うつ病が悪化している感覚は無い。
 チビ達が家に来ているので、精神的に疲れているのが原因のような気がする。
 また、49日を終えて張っていた気が緩み、疲れが出てきたのかもしれない。
 いずれにしても、薬はちゃんと飲んでいるし、
 うつ病っぽくはないので、安心はしている。

・身体が重いし、眠気が強いので、22時に寝る事にした。
 どうして眠いのかは分からない。

・弟の遺体が見つかった場所と、僕が自殺未遂し倒れていた場所は
 100mくらいの距離しか離れてない。
 母と今日は一緒に愛犬の散歩に行き、現場近くまで行った時に
 その話になった。
 母には、僕の自殺未遂を「あれは自殺未遂だったんだ」と話したら、
 「知っている」という。
 倒れていただけなのに、何故それを知っているのか?と思ったら、
 家でうなされながら「死なせてくれ」と何度も言っていたらしい。
 それは記憶に無いし、初めて聞いた事だったので、驚いた。
 というのも、自分は死ぬのが馬鹿らしくなって家に帰ろうとしていた時に
 倒れていただけなので、死ぬつもりは無かったからだ。
 うなされながら「死なせてくれ」と何度も聞かされた家族は
 どんな気持ちをしたか考えると、申し訳なくなる。
 弟も死ぬのが馬鹿らしくなってくれなかったのだろうか?とも考える。
 弟の場合、ずっと思いつめて出した答えだから、
 ゆるぎない決心だったのだろうけど、僕のようになっていてくれればと
 考えずにはいられない。

(弟の死はとても辛い出来事で、今でも思い出して泣くことがある。 家族はこの記事の中にあるように、絆が強まる事になり、それは弟が命をかけて改善してくれた事だと思っている。 もうあれから9年が経つわけだけど、今だに悲しい気持ちは消えない。 こうして話をまとめていると、死なない決意をしたことを思い出す。 死にたいと思ってしまうのは病気のせいだけど、もっと僕の人生を歩まないといけないと強く思うようになった。 忘れていたことを思い出した感じだ。 もう泣くのはやめよう。 前へ前へ。)

僕とうつ病&統失 闘病記 2010.11 弟を失って

最悪の時期から、現在(2019)のだいぶ元気になるまでの昔話です。
症状を箇条書きにしてますので重い内容になります。

読める人だけ目を通してください。
そのうち元気な内容に変わっていきますが、この状態からここまで来たのかとプラスになる読み物にしてくれたら嬉しいです。

・病院に行ってきた。
 前回病院に行った時は、まもなく弟が帰ってくるので、
 比べられるのではないか?と不安だと話し、
 先生に「弟は他人」という名言をもらってきたのだった。
 今回は、その弟が帰ってきてから2週間が経過し、
 今自分がどうなのかを話してきた。
 弟は全てが完璧で、僕に出来ない事を平然とやってのける。
 その話をより具体的に先生に話した。
 特に弟が作った料理を食べる事が辛いし、
 片付けもせずに自室に戻る時が辛いという事と、
 日中隣の部屋に弟がいると思うだけで居場所がなくなり、
 息が詰まるという事を重点的に話す。
 先生の答えはシンプルだった。
 「だって、できないんだからしょうながいじゃん」
 力が抜けた。
 精神科医らしからぬその言葉、その口調、その表情。
 この人に話した自分が馬鹿だったというわけではない。
 むしろ、この意見を自分は言ってほしかったのだという気持ちに
 自分でも初めて気付く。
 確かにそうなのである、やろうと思っても、家事は手伝えないし、
 部屋にこもりっきりだし、どう頑張っても弟のようにはなれない。
 こうも先生は言ってきた。
 「出世払いでいいじゃん」「できるようになってかっら恩返しすれば」
 またも力が抜けた。
 こうも先生は言ってきた。
 「弟とは別人。 生きるスピードも方法も違う。 比べる必要はないよ」
 この過激発言で有名な先生が、ここまでカウンセリングっぽい事を言うのは
 初めてかもしれない。
 話をしていて、心が随分と軽くなった。
 たしかに、無理な物は無理だし、それで苦しむ必要無い。
 今できる事を頑張るなり、治療に専念するしかないのだと、
 あらためて考える。
 それにしても、話を聞きながら、ずっと爪きりで爪を磨いていた先生。
 話は半分聞き流していたのかもしれない。
 この人というものは・・・・と軽〜〜〜〜〜〜くムっとなったのだが、
 それがまた、この人のゆるさを表しているし、
 真顔で「だって無理でしょ」と言われるよりはずっと救われたのだった。
 だからこそネットで賛否分かれる批評が飛び交う先生なのだが、
 僕にはこの病院が合っているような気がする。
 今回の先生には、随分と救われました。
 僕が弟を気にもとめなければ、全てが上手くいくのだ。
 やりたいようだから、やらせておけ くらいの考えにならないと、
 こっちの身がもたない。
 もっと神経を図太くしないと と、理想だけは持っている。
 薬は、「どうしようかなぁ〜 変えようかなぁ〜」とブツブツ先生が
 言っていたが、変わる事なく3ヶ月連続で同じ。
 朝:セルシン2mg、アキネトン1mg
 夜:セルシン2mg、アキネトン1mg、ピーゼットシー4mg、セレネース3mg
 「薬の作用も副作用も感じないんですけど・・・・」と伝えると、
 「効果は出てるよ。 表情が変わってきてる」と言われた。
 今日はニコニコして話すような内容じゃなかったはずだが、
 精神科医には分かる違いでもあったのだろうか?
 必死に辛さをアピールしようとしたから、目ヂカラはあったかもしれない。
 そこを見逃さなかったか先生。
 また、死なないように頑張ろうと思う。

・昨日の先生のアドバイスが効いているのか、
 弟が何をしようと気にならなくなってきている。
 まだ完全に他人事とは思えないが、随分と楽になった。
 やりたいんだから、勝手にやってろ そう思うようにしている。

・比較的身体が軽く、あまり寝ないで一日を過ごす事ができた。
 薬が効いているのだろうか?
 明日はまた逆戻りするかもしれないし、期待はしないようにするつもりだ。

・弟が遺書を残していなくなる。
 夕方弟が降りてこないからと母が部屋に行って遺書を見つけた。
 遺書には、中学の頃から死にたかった事や、
 自殺未遂を何度もしている事、未来に希望がもてないなどが書かれていた。
 遺骨は散骨してほしいや、臓器移植の意思なども書かれている。
 すぐに父が警察に届出に行って、その間に弟を僕と母で探す事にした。
 夜なので見つかるわけもなく、2時間くらいで帰ってきた。
 パソコンに何かを調べた履歴が無いかも調べたが、何も見つからない。
 部屋のゴミ箱をあさると、遺書の下書きや、臓器提供の意思や、
 第一発見者が父へ連絡が取れるようにするための
 電話番号などが書かれた物などが見つかる。
 恐らく、これと同じような紙を持って出ていると思われる。
 明日一日中探してやらないといけないので、
 夕食を食べようという事になったが、弟が作った煮物には手が出なかった。
 食事もほとんど喉を通らず、手の震えが止まらない。

・弟を探しに朝からあちこち探すが見つけてやれない。
 午後になってから警察から父に電話があり、弟と見られる人物が発見されたとあったようだ。
 その父から、外を探していた母と自分に電話があり、警察に身元確認に行く事になった。
 弟は検視室に眠るように横になっていて、冷たくなっていた。
 遺体の臭いを消すための薬品の臭いで気持ち悪くなる。
 父、母、自分の三人で警察官たちがいることもはばからず、大声で泣いた。
 弟が東京から帰省したのは人生を終わらせる為。
 家事や食事の用意をやっていたのは、最後の恩返しをするためだった。
 そんな弟を邪魔者扱いして、自分の居場所がなくなったと思っていた兄は最低だ。
 もう取り返しがつかないし、起こっている事が現実なのかも分からない。
 どうして救ってやれなかったのか。
 こんな事になるなんて。

・弟を火葬してくる
 叔父は息子達3人と来てくれた。
 火葬場で母が大泣きしている。
 弟の棺桶の顔の部分の蓋が閉められる時、
 「もう顔を見ることはできないのですか?」と尋ねる。
 当たり前の質問だったが、最後の時が少しでも先になるように声をかけたのだ。
 僕一人だけで弟の顔を見て、皆の前で声を出して泣いた。
 「お前の分も生きるからな」と何度も言って弟と約束した。
 火葬の扉が開き、それが閉まる時は辛かったが、
 火がついてしまってからは、もう気持ちが整理されはじめていた。
 待合室では、来ていただいた人たちに挨拶回りをした。
 病気の自分にそんな事ができるのかわからなかったが、
 最初に叔父の所にいって、手を繋いで話していたら、
 気分が救われたような気がした。
 その後、全員の席を回り話をした。
 集骨の準備が整いましたと連絡があり、骨を目にする前に母に話をした。
 これで弟は楽になれたんだし、
 今日からまた家で一緒に暮らせるようになるのだから と。
 さすがに骨を目の前にした母は大泣きしていたが、
 集骨をしてくれる人がとても丁寧に念入りにチリまで集めてくれて、
 本当に嬉しかった。
 母と何度もお礼を言って、火葬場を後にする。
 家に着くと、食事の準備が完璧に用意されていて驚く。
 しかし、お酒を頼むのを忘れていた事に気付き、
 いとこと一緒に酒を買いに行く。
 あまり話をしない人だし滅多に会わない人なので
 車の中は沈黙してしまうのかと思っていたら、
 このいとこが気を利かせて色々と話をしてくれた。
 僕たちは引きこもりのような生活をしてるから、
 それは変えていかないとね という話になる。
 Masaは趣味はあるの?と聞かれたが、無い。
 映画鑑賞もあまり行かなくなったし、サーフィンはやめてしまったという話をしたら、
 いとこもサーフィンは良いなと言う
 ちょっと驚いたが、いとこ自身も変わらないといけないと
 思っているんだろうと分かった。
 食事が終わると叔父をみんなでイジリ盛り上がる。
 いつ集まっても叔父を中心に話題が盛り上がる。
 それでとても救われた。
 弟が遺骨になってしまったら、もうこれ以上辛い事は起こらないし、
 これからは弟とまた一緒に寝られるので、気分がスッと楽になった。
 遺書を見つけてから数日、これまで食事が喉を通らなかったのに、
 美味しく食べる事ができて自分でも驚いた。

・病状は悪化していない、買い物などに出かけるのは身体がだるいが、
 何かしたいし、身体を動かしてる時の方が気がまぎれるから
 これで良いと思う。
 仏具店などを周り色々と買ってくる。
 夜に両親自分の三人でたくさんの事を話した。

・気が張ってるので、落ち込む事も眠くなる事も無い、
 明日から日中一人になってしまうので、心配ではある。

・弟が亡くなって初めて家で一人になった。
 悪いことを考えたり自分を責めたりして泣くのかと思ったが、
 そんな事は無く、眠ってしまった。
 眠ったら弟が夢に出てきた。
 デパートの子供が遊べる一角を2人で眺め、ニコニコしていた。
 いとこのお姉ちゃんと叔父に帰り道を教えないと と
 話している所で目が覚めた。
 一番仲が良かったのが僕だから、僕のところに出てきてくれたのでは?
 という話になった。
 
 元嫁が家に来てくれる。
 弟の前で泣いていたが、笑い話や思い出話も出て安心した。
 まだ実感がわかないし、信じられないと言っていたが、
 それはこちらも同じだと話す。
 色々な話になり弟の事を沢山思い出した。
 沢山のケーキの他に焼き菓子も沢山買ってきてくれて、
 沢山お金を使わせてしまった。
 途中から母が帰ってきて、4人で話をした。
 元嫁には幸せになってほしいと思っているんだという話をしたら、
 元嫁は大泣きしていた。
 ずっと申し訳ない事をしたと思って自分を責めていたという。
 元嫁には本当に幸せになってもらいたいと思う。

・コルクボードに飾ったり、いとこのお姉ちゃん、父、母に渡す弟の写真を探すが、その作業が辛い。
 身体が重くなるいつもの症状と、精神的に悲しくて辛いのとで、
 ぐったりしてしまう。
 あまりのんびりやってるわけにもいかないので、無理して作業をする。
 今日は僕の34歳の誕生日。
 弟の命日が近くて不謹慎だが、姉から生きててくれてありがとうとあり、
 ちゃんとお祝いはおこなってほしいとあった。
 友達からもメールがあり、何処かの国は本人におめでとうと言う他に、
 母親にありがとうと言うとありました。
 それはいい習慣だと、僕も母にありがとうと話した。
 母は34年前にお腹を痛めて生んだんだからと、鼻高々だった。
 母が笑ってくれて良かった。
 僕がしっかりしなければ。

・薬を飲み忘れがちだが、一日に飲む量は守っている。
 弟が亡くなってから、自分が死にたいと思う事は無くなった。
 弟がついていてくれるような気がして、力がわいて来るような気がする。
 ただし、喪中ハガキを書いたり、写真を整理しようとすると、
 すぐに身体が重くなってしまって、横になってしまう。
 病気が良くなったわけじゃなくて、発想が変わっただけ、
 気が張ってるだけなのだと思う。
 反動で落ちるように悪くならないかが心配だが、大丈夫なような気もする。

・5時に起きて婆ちゃんの家へ向う。
 4時半に起きて愛犬の散歩に行くはずが、携帯のアラームが正しく動かず、
 出発15分前に目が覚めた。
 散歩は中止しトイレだけにして、婆ちゃんの元へ向う。
 早めに着いてしまって、いとこのお姉ちゃんと婆ちゃんを
 慌てさせてしまったが、その分話をする事ができた。
 9時から寺で住職と話をして、弟の戒名を話し合う。
 几帳面で、明るいという事を伝える。
 1週間ほどで戒名を考えてくれるらしい。
 住職は弟と会った事がありますよね?と言ってくれた。
 背が高く、ひょろひょろしていてと言うと、なんとなく覚えていると
 言ってくれた。
 その後、近くの石屋に行き、49日の納骨時の打ち合わせをする。
 婆ちゃんの家に戻って、たくさん話をして、昼になったので、
 行きつけの和食店に寄ってから帰る事にした。
 遺骨だけを置いて家を空ける事は可哀想だと、留守番している母を
 一人にしている時間を短くしたかったのだが、姉が家に甥っ子と来てくれて
 一緒にお弁当を食べてくれた。
 姉に来てくれてありがとうとメールを送る。
 しかし、姉は弟が亡くなったのと同じ頃に近くの河原で
 自殺した人の苗字が姉の嫁ぎ先の苗字だったらしく、
 学校で「弟さんの事大変でしたね」と言われたそうだ。
 新聞を見て苗字が同じだから姉の弟だと思い込んだらしい。
 それを言ってきた人なりに、姉におくやみを言ったのだろうけど、
 新聞に姉と同じ苗字が載ってしまったばかりに、
 姉は今後も同じような事を言われるのだと思う。
 せっかく姉が元気になってきているのに、どこまで苦しめるのだと、
 やりきれなくなる。
 何かあったらメールして としか言えない自分が歯がゆい。

・伯父が今日も来てくれて、元気を分けてくれた。
 またケーキを買ってきてくれて、感謝感謝である。
 もうお金は使わないでいいと父が言っても、
 俺の気持ちだからとだけ言って聞き入れてくれない。
 弟はこれだけ愛されていた事を理解していたのだろうか?
 理解できていたら、自殺などしなかっただろう。

・姉が家に寄ってくれた。
 母の事が心配で、仕事中にも電話したそうだ。
 僕や母に言わせると、姉の方が何倍も心配なので、
 大丈夫なのか?と聞いたが、大丈夫だという。
 たぶん無理して明るくふるまっているのだと思う。
 姉が帰ってから、骨壷の入った箱を母が抱きたいと言いだした。
 今までは骨壷が怖いと言っていたから心配になったが、
 弟をこうして抱きしめられるのも49日まで。
 それ以後はもうできなくなるんだからと話をすると、
 母も泣きながらも落ち着きを取り戻した。
 ちょっと骨壷の蓋を開けてみたら、弟の頭蓋骨が見えた。
 生々しい骨を見ても、それが弟の物だとは信じられない。
 検死室で弟の遺体を見て、納棺士と一緒に納棺し、火葬場で骨を拾っても、
 それが弟なのだと認められない。
 東京に帰っただけで、またひょっこり帰ってきたり、
 トシ・ヨロイヅカの話をメールしてくるような気がする。
 ずっと遠くにいたから、悲しみが少しで済んでいるというわけだが、
 それは同時に弟はずっと孤独だった事を意味する。
 もっとしょっちゅう会いに行ってやるべきだった・・・
 そう後悔ばかりしている。

・母に早く病院に行ってほしいと言われる。
 先生に今の苦しみを吐き出してきて、アドバイスを
 もらってくるようにしてほしいそうだ。
 僕としては薬があと10日分あるので、まだ行くつもりは無かったのだが、
 母も父も同じ意見だったので、明後日の月曜に朝から行く事にした。
 遺書を発見した薄暗い夕方に、遺書を発見した母を一人にするのは心配だし
 月曜に行くしかない。
 友達に弟の戒名が届いたけど、弟の名前だと思えないし、実感が無いと送る。
 すると、毎日戒名とお経を3回唱えると弟の徳になって、
 49日に閻魔様に会って何処に行くか決める時に役立つって送られてきた。
 もう遺族は悲しむだけで、弟に何もしてやれないのかと思っていたので、
 何かをしてあげられるというだけで気持ちが軽くなった。
 母にもその話をしたら、笑顔を見せてくれた。

・龍馬伝の最終回を見た。
 龍馬が殺されるシーンを見るのは辛かったが、
 それよりも弥太郎が龍馬の死を知り、
 大切な人なんです、返してくれ というセリフが弟と重なって
 涙が溢れた。

・病院に行き弟が亡くなった話をしてきた。
 僕は今は元気で、気持ちも大丈夫だけど、今もし
 落ち込むような事になったらと思うと怖いので、
 薬が重くなっても構わないと話したが、今安定しているので
 薬を変えるのはリスクが高いので今までと同じ薬を処方された。
 弟はうつ病だったのでしょうか? と聞いたら、
 そうとは言い切れないという返事だった。
 僕も経験があるから良く分かるが、
 死ぬことで頭が一杯になっている時に、明るくふるまったり、家事をしたり、
 あれだけの遺書は書けないという話だった。
 僕と似たDNAを弟も持っているわけだから、
 僕と同じ妄想的な感じがあった可能性は高くて、
 いじめにあった事が人よりも強烈に植え付けられたんじゃないか?
 という話だった。
 もしどこかの精神科で治療を受けていたらまた違った事に
 なっていたかもしれないから、残念だ と言っていた。
 でも弟は、僕らに病気の話はしなかったわけだし、
 自分から病院に行く事もなかったわけだから、
 僕達はどうする事もできなかったと、母と話をしていた。
 もし遺書を見つけてから、弟が死ぬ前に見つける事ができて、
 その時は助けられたとしても、近いうちにまた、
 同じ方法で死のうとしただろうとも家族で話していた。
 だから、僕達はどうすることもできなかっただろうっていうのが先生の考え。
 死ぬ事を夏ごろから逆算して、行動に出ていたわけだし、
 それだけ楽になりたかったのだろうって先生言ってた。
 それは僕も同じ考えで、弟が楽になって良かったと思ってます
 とは伝えた。
 後は他にも喋ったような気がするけど、泣きながら話をしていたし、
 何を言ったのか言われたのか良く覚えてない。
 どうする事もできなかった という事。
 弟は楽になったんだ という事は良く分かった。


今日もあぜ道通信に来てくれてありがとう。

僕とうつ病&統失 闘病記 2010.10 弟の帰省、自分と比較し苦しむ

最悪の時期から、現在(2019)のだいぶ元気になるまでの昔話です。
症状を箇条書きにしてますので重い内容になります。

読める人だけ目を通してください。
()は当時の自分に今の自分がアドバイスしている文章です。
参考になればと思います。
そのうち元気な内容に変わっていきますが、この状態からここまで来たのかとプラスになる読み物にしてくれたら嬉しいです。

・一日中寝ていた。
 自己嫌悪

・午前中は体調が悪く、身体が重かったので、弟の引越し手伝いは
 辞退しようかと思っていたが、少し無理して車に乗ったら
 身体が軽くなっていく。
 弟の顔を見たら、来て良かったと思えた。
 行かなかったらどう思われていたか。と思うと、本当に行って良かった。

・今日も弟のアパートに行き、荷物を乗せて帰ってきた。
 次回は月末に行って、全ての荷物を回収してくることになる。

・一日中寝て過ごす。
 夕方になりやっと活動し始めるが、一日が短い。
 最近は6時起きもしてないし、早朝の散歩もできてない

・病院に行ってきた。
 簡単な調べ物が出来ない事、休んでも出来ない事。
 でも出来る日もある事。
 朝の早起きと運動はあまり出来てない事。
 食欲が無い事。
 弟が帰ってくるので、比べられるのではないか?と不安な事。
 障害年金を不正に入手するためのマニュアルが出回っている事などを話す。
 運動と早起きは、その後眠くなってしまっても良いので、
 続けると2ヶ月くらいで変わってくると言われた。
 弟は他人だと思って気にしないようにと言われる。
 年金の不正入手は、やる気の無い医師くらいしか
 引っかからないだろうという事だった。
 今は国が年金を出さない方向に持っていこうとしているらしく、
 簡単には支給されないようになっているらしい。
 薬は変わらず、朝にセルシン2mg、アキネトン1mg、
 夕方にセルシン2mg、アキネトン1mg、セレネース3mg、
 ピーゼットシー4mg。

・昨日、病院で運動は続けますと言ったくせに、今日は一日中寝ていた。
 身体が重い。

・今日も一日中寝て過ごす。
 書き溜めたブログもそろそろ無くなってくるので、
 明日は動ける一日だと良いのだが。

・夕方から1階に降りて、畦道通信の書き込みを続ける。
 下に降りれば、寝ることはできないので、都合が良いのだ。
 毎日下に降りるのは無理だろうが、なるべく下で作業するようにはしたい。

・夕方まで寝てしまい、愛犬の朝トイレも連れて行ってやれなかったが、
 夕方からは少し身体が軽くなり作業をすることができた。
 やはり夕方から元気になる生活パターンは変わらないような気がする。

・今日も夕方まで寝て過ごす。
 愛犬のトイレと散歩は行ってやらないと可哀想なので、きちんと行ったが、
 それ以外の時間はほとんど横になっていた。
 夕方から身体が動くようになり、ブログを書いた。
 一日中動けるようになりたい。

・午前中は寝ないようにしようと頑張ってみたのだが、やはり無理だった。
 薬も効いてるんだか、効いてないんだか分からない。
 若干であるが、動ける時間が増えたように感じるくらいか。
 明日は電機屋に行って、セキュリティーソフトを買ってこないといけない。
 動けるだろうか?

・セキュリティーソフトの期限が切れてしまったが、
 電機屋に買いに行く事ができなかった。
 明日こそ行かないとまずいだろう。
 身体よ動いてくれ。

・起きる時間が遅くなり、今日も電機屋に行くのをやめようかと思った。
 しかし、いつまでたってもこのままだろうから、無理して行ってきた。
 出かけたら、多少身体は軽くなった。
 やはり外に出る事は良いことなのだろう。

・身体が重くて、ブブ彦の散歩に行くのが辛い。
 ダイエットをしていて食べてないのも影響していると思う。
 しかし、ダイエットはやめるつもりは無い。

・日中ずっと寝ている。
 コタツを出してから、毎日こうだ。
 起きていられるのは一日でも3時間くらいだろうか?
 それ以上は身体が重くて、横になってしまう。

・弟が帰ってきた日、どうなるか不安ばかりでしたが、一日が終わった。
 とりあえず初日は平穏に終わるのか?と思った時に、両親から一言あった。
 弟が2階に荷物を持って行っているちょっとした隙に、小声で言われた。
 「弟が帰って来た事で、Masaが追い込まれるだろうというのは予想がつく」
 「弟がこれからするであろう事に対して、(仕事しろなど)
  色々言う事が出てくるだろうが、それは弟にだけ対して言うのであって、
  Masaに言うつもりは無い」
 「そこは全く気にしないで良いので、自分の治療に専念してほしい」
 という物だった。
 まさに僕が恐れている事を、先回りして気遣ってくれた。
 嬉しかった。
 同時に、相変わらず、周りを巻き込んでいる事に罪悪感を感じる。
 先生に「弟は他人」と言われて、そのつもりで初日に挑んだが、
 肩透かしをくらうような、予想外のプレゼントをもらった気持ちになった。
 だが自分の治療に専念して良いと言われても、それであぁそうですかと、
 ゴロゴロできるようだったら欝坊にはなってない。
 さっそく弟は夕食の後、すぐに食器洗いを始めた。
 僕は身体が動かないし、こうしてブログを黙々と書いている。
 早くも、優等生の弟に差をつけられた。
 今日一日引越しを手伝ってくれたお礼の気持ちもあるだろうし、
 弟だって実家に帰ってくるには負い目があるはず。
 だから食器を洗うという行動をしているのは分かる。
 分かるけど、優等生だの、差をつけられた と考えてしまう自分が嫌になる。
 今後も弟を意識し、自分を責め続けるだろう。
 しかし初日、終了。
(両親の気遣いに感謝。 自分は回復に専念することが一番の近道だと信じよう。)

・今日は朝から東京に行き、弟のアパート契約を終了してきた。
 帰りの車の中で電池が切れたように、大人しくなってしまったので、
 そこだけが反省点だ。

・身体が重いわけではないが、日中横になって過ごす。
 友人との食事会の準備をしないといけない時間になってから、
 やっと起きだした。
 土日と引越し、今日が食事会で、毎日入浴し、着替え、活動してきたが、
 身体の疲れがひどい。
 体力が相当落ちていると感じる。
 精神的にも疲れていて、こんな状態で働けるのか?と思ってしまった。
(少し活動しすぎ感がある。 もう少しゆっくり生活するようにしても良いはず。 焦るな。)

・弟が夕食を作ったり食器洗いをやったりするのが、
 プレッシャーになってきている。
 今日は台所も掃除したそうだ。
 昔はそんな事気にしたことは無いのに、
 病気になってから初めて一緒に生活するようになったので、
 こんな事を感じるようになってしまったようだ。
(何でもやる弟の優等生ぶりに自分はと考えて落ち込むよね。 でもできないんだし、自分に出来る事をやるだけだと思う。 弟も兄が病気だという事は十分理解している上での行動なのだから、気にしない事です。)

・一日中横になり、弟の事と自分の事を比べて、自分を責め続けている。
 弟は家事をなんでも積極的にこなし、夕食の準備から食器洗いまでこなす。
 ヒマな時には家の掃除もしているようだ。
 全てが僕に出来ない事を平然とやってのけるので、自分は落ち込むばかり。
 両親に弟の事は気にせずに治療に専念しろと言われたが、無理な話である。

・体調が悪く弟が食器洗いを始めると、気分が落ち込む。
 手伝ってやる事も、代わりにやってやる事もできないので、
 自分を責めるがどうしようもない。
 毎日が辛く、苦しいものになってきている。
 消えてしまいたい。
(弟との暮らしがこれほど辛いとは、引越しを手伝っている時は考えもしなかったよね。 でも弟も考えがあってやっている事。 気にしないで生活してほしい。)

今日もあぜ道通信に来てくれてありがとう。