僕とうつ病&統失 闘病記 2011.04 心配される自分

最悪の時期から、現在(2019)のだいぶ元気になるまでの昔話です。
症状を箇条書きにしてますので重い内容になります。

読める人だけ目を通してください。
()は当時の自分に今の自分がアドバイスしている文章です。
参考になればと思います。
そのうち元気な内容に変わっていきますが、この状態からここまで来たのかとプラスになる読み物にしてくれたら嬉しいです。

・ブログ読者さんからメールがあり、
 身辺整理が済んでないから死ねないというブログを読んで、
 元気をもらったとあった。
 この人も同じ気持ちで読んでいたそうだ。
(少しでも同じような境遇の人の役に立てるのならば、こんなに嬉しいことはない。 皆考えることは同じなのだろう。)

・今日一日をほとんど2階の部屋ですごす。
 父が昼過ぎに帰ってきても、ちょっと下に降りただけ。
 伯父が来ても姉達が来ても下に降りる事は無かった。
 これではまずいとは思うが、なんとなく気分が乗らなかったのだ。
 それではダメなのだと思う。
 身体が重い時にだって仕事に行かないといけない日が必ずある。
 少し無理をする事もリハビリになると思う。
 そういう意味もあってか、明日は墓参りに行く事にした。
 長時間の移動で疲れるだろうが、
 弟の事も考えると行かないといけないだろう。
(家族は理解してくれているはず。 だから辛い時は顔を見せに行く必要も、話をして元気そうにする必要も無い。 自分の体調を最優先にしてあげて。)

・身体が動くが重い。
 若干無理して動いた感があり、その反動が後で来ると思う。

・身体が重くて起きていることができず、朝ドラを見るのが辛い。
 内容も子供が産まれ、赤ちゃんのアップが増えているのだが、
 自分と違い順調に家庭を築いていく人達を見ていて辛いものがある。
 もう少し我慢して見てみようと思う。
(周りも家を建てた、何人目の子供が生まれたなどと情報は入ってくる。 田舎だから自分の状況も逆に伝わっていると思う。 でも他人と自分を比べることは全くの無意味な価値観なので、自分の人生を楽しむことを最優先にしたい。)

・食後に両親と一緒にTVを見るが、疲れてしまって2時間が限度。
 21時には愛犬のトイレに行き、2階に戻るような形になる。
 申し訳ないが、それが限度だ。
 一日中横になって時間が過ぎるのを待つだけの毎日。
 どうしたら良いのか自分では分からない。
(2時間も無理して一緒にいる必要はないよ。 辛いんだからやめた方が良い。 家族だし分かってくれるよ。)

・今日も夕食後に2時間1階にいたが、疲れがひどい。
 起きてるから疲れるのか?
 家族と一緒にいるのが嫌なのか?
 2時間だとちょうど21時頃になっていて、
 愛犬の餌をあげないといけないと言い訳して2階に上がるのが常だ。
 夕食だけを食べて、すぐに2階に上がってしまう日もあり、
 申し訳ない気持ちになる。

・昨日の夜母が部屋にやってきて、弟の話をした。
 僕は薄情なのか、弟が亡くなった事があまり悲しくない。
 また東京に戻ったような気がするし、楽になれた弟を責める気も無い。
 先に逝かれてしまって、残された自分が死ねなくなってしまった事は
 想定外だったが、これもまた人生なのだろう。
(9年も経っているのに、未だ身内から自殺者が出たことが信じられない部分はあります。 東京にいるような気がする。 薄情なのかな。 何も変わらず人生が過ぎていくなんてことは無いのだが、そういう錯覚に陥っている。)

・最近、朝8時ごろに起きて、愛犬の散歩に行くようになった。
 12時頃起き出す一日と違い、日が長い。
 一日中コタツで横になっているのも、もったいない気がしてきた。
 夏に一人旅を決行するならば、もう準備をしておかないといけないが、
 まったく何もやっていない。
 このまままた今年も行かないようになって、
 時間だけが過ぎてしまう一年になってしまうのだろうか?
 旅行に行かないならば、仕事を探すべきだし、
 何かしら動きださないといけないような気がしてくる。
(何もしていないならば仕事ができるだろう。という考えは違うと思う。 元気そうに見えても健常者と比べたら全然戦力にならないはず。 社会復帰はしたいと思うけど、難しい問題で、焦らずじっくり確実に進めていく必要があると思う。 そして復帰は無理と判断する事もあるかもしれない。 負け組と思われるだろう。 でもそれは他人の価値観。 自分が幸せならばそれで良いはず。 幸せとは自分の心が感じる事。 幸せになる という言葉は間違っている。 幸せを感じる が正しい。)

・今日病院に行くつもりだったが、行けなかった。
 早めに目が覚めたのだが、風呂に入る事ができず、身体も若干重い。
 薬はあと1週間分あるので、今度の週末にでも行ってこようと思う。
 相変わらず追い込まれないと動かない性格なので嫌になる。

・今日病院に行くって方法もあったが、やめにした。
 それよりもやらないといけない事が多すぎる。
 洗濯、狂犬病予防注射、ドコモショップ、愛犬の病院、餌買い、
 自分の病院、ホワイトデーのお返し、友人との食事会の企画。
 やらないといけない事が多くなると身体が重くなる症状は、
 病気になった時から変わってないな。
 仕事でやらないといけない事が増えると身体が重くなって、
 頭が回らなくなる。
 この症状が出ないようにしないと社会復帰は無理なんじゃないかと思う。

・入浴、狂犬病予防注射、ドコモショップでプラン変更など忙しく活動し、
 疲れてしまった。
 これしきの事で疲れてしまうとは情けないが、
 今の自分の現状なのだから受け入れるしかない。
 愛犬を病院に連れて行かないといけないし、
 自分の病院にも行かないといけない。
 犬のお手入れぐっずも買ってこないといけないし、
 やる事が山のようにあって、考えるだけでも疲れてしまう。

・母が帰宅して僕の顔を見るなり泣きそうな顔をするので、
 何事かと思ったら、僕にメールを出したが返信が無いので
 心配でしょうがなかったと言っていた。
 今日は携帯を見ていなかったので、メールに気付けなかったのだ。
 何故今日、急に心配になったのかは分からないが、
 なんとなく僕が死にたがっている事が分かるのかもしれない。
 夕食時も、「死んだらダメだからね」と言われる。
 弟の死を一番悲しんでないのは僕だが、
 その影響で死にたいと思ってしまうのも、僕が一番だと思う。
 婆ちゃんをこれ以上悲しませたくないし、姪甥への影響もあるし、
 母や姉の事を考えたら、とてもじゃないが死ねない。
 だけどどこかで、首を吊りたい、首を切りたいって考えてしまう自分もいる。
 病気がそう思わせているだけだという考え方ができる日もあれば、
 本心から考えている日もある。
 身辺整理だけはやらないようにしようと思う。
 ホームセンターに犬関連の物を買いに行ったついでに、
 ケーキ屋に寄って、タルトを2台買った。
 ホワイトデーのお返しができてない事がずっと気がかりだったのだ。
 震災でしょうがなかったとも言えるが、
 ある程度状況が落ち着いてきてからも外に出てなかったので、
 自分にも責任がある。
 姉の所はチェリーのタルト。
 母には苺のタルトをプレゼントした。
 姉の家には誰もいなくて、玄関のドアノブにケーキをぶら下げて帰ってきた。
 予想はしていたけど、お別れ前に良い所を見せようと思って、
 ケーキを買ってきたのでは?と心配のメールが届く。
 そんな事ではなく、お返しが遅くなってずっと嫌だった事をメールして、
 安心してもらった。
(母も姉も、僕が死ぬのではないかと思っているわけで、その心配を考えると申し訳なくなる。 本当だったら弟の事で悲しい時期なのに、僕がいるから気が気じゃない。 自分の存在など無ければと思ってしまうかもしれないが、自分が生きている事で出来る事もあるはず。 母と姉には感謝をしないといけないよ。)

・母が部屋にやってきて、病気の話をした。
 死にたくなると言った事で心配をかけてしまったようだ。
 死にたくなるというのは不思議なものだと話す。
 思考を乗っ取られるようだからだ。
 セロトニンやらの伝達がスムーズに行かない病気なのは分かる。
 分かるが、それがイコールなぜ死にたくなるのかが分からない。
 また、死にたくなっても、もう8年も死にたいのに死んでないんだから、
 今後も大丈夫だと言って安心させた。
 結局、姉にしても両親の3人が一番心配しているのは僕なのだ。
 申し訳ないと思う反面、図星のような気持ちもあり、複雑である。
 身辺整理をしていないから、死ねないと言っても、
 衝動的にやってしまうんじゃないか?と言われた。
 たしかにその可能性はある。
 あるけれど、ピストルでもない限り、一瞬で死ねる方法は無い。
 死ぬまでに冷静になって、やめると思う。
 とにかく、僕は死ぬわけにはいかないのだ。
(死なないと強く思っているようで心強いです。 苦しいだろうけど何とか生きていこう。)

・今日は死にたくはならなかった。
 毎日こういう日が続く事を願う。
 そうすれば、社会復帰に近づけるような気がする。
 病院には今日も行けず、薬は全部飲んでしまった。
 明日の午前の部には病院に行きたいが、起きられるかが問題だ。

・病院に行ってきた。
 今日は2時間の待ち時間のうち、1時間半を車の中で過ごす。
 シートを倒して、横になり、丸くなって過ごす。
 先生には、昼間も寝てしまうのは良くないと言われるが、
 弟の事の影響を心配する話がほとんどだった。
 髪は夏までに切ると言うと、もっとお洒落に気をつけないとと言われ
 ショックだった(笑)
 薬はいつもと変わらずの、
 朝、セルシン2mg、セレネース3mg、アキネトン1mg、ピーゼットシー4mg
 夕、セルシン2mg、セレネース3mg、アキネトン1mg、ピーゼットシー4mg
(弟の影響は確実にあるんだろうな。 でも家族が団結して乗り越えようとしているし、色々と変化はあった。 悪いことばかりじゃない。 自殺の危険も増えたが強くもなったように感じる。 振れ幅が大きくなって苦しみが増えただけかな。)

・身体が重いが、今日は食事会の日なので、風呂に入る。
 不調で話をするのも辛かったが、皆楽しそうなので
 早めに切り上げるわけにもいかず困る。

・早起きしてシャワーを浴びてから、旅行に行くつもりだったが、
 入る事ができず、寝てしまった。
 身体が臭いのでは?と思ったが、入る気力が無かった。
 実際はどうだったか分からないが・・・

・昨日も役者さんが自殺をしたというニュースがあった。
 弟の事を思い出して悲しくなったりはしない。
 それよりも第一発見者の人のショックは計り知れないだろうと思ってしまう。
 一生頭から離れない強烈な映像となって、その人を一生苦しめるだろう。
 うちの場合、家族で見つけてやろうと必死に探したけど、
 見つけることはできず、他の人の力を借りて翌日の昼には
 遺体と会うことが出来たけど、それで良かったと思っている。
 弟が亡くなった場所も知ってるし、どういう状態だったかも話は聞いた。
 目をつぶれば、どんな感じで弟が亡くなっていたかは想像がつくけれど、
 それを実際に目にしてしまうのと、想像するのとでは、大きく違うと思う。
 弟の部屋で遺書を発見した時の母の悲鳴が頭から離れません。
 遺書ですら相当なショックで、先日僕が外食をして家を空けた時も、
 部屋に遺書があるのではないかと思って、恐ろしかったと母が言っていた。
 遺書ですら心の傷になっているというのに、実際に亡くなっている現場を
 目撃してしまったら・・・・
 その人は、もう立ち直れないのではないか?と思う。
 弟の場合、自宅では死んではいない。
 未遂に終わってしまうような場所ではないが、
 ある程度探せば遺体を見つけてくれるといういい場所だと思う。
 弟は家族に見つけて欲しかったのだろうが、
 胸ポケットに父の電話番号が書かれたメモが入っていた事を考えると、
 家族以外の人に見つかる事も見越して逝ったのだと思う。
 弟には申し訳ないが家族の誰かが第一発見者にならなくて良かったと思う。
 特に母が見つけることが無くて良かった。
 母は寝る前に弟が暗く寒い中、亡くなっている様子を想像してしまう
 と言っていたので、もし実物を見てしまったら、心が壊れてしまうだろう。
 自殺のニュースはこれからも無くなる事は無いだろうが、
 僕の場合は亡くなった本人の苦しみよりも、
 残された遺族のこれから続く苦しみの方を考えてしまうのだ。
 毎日、自分が死んだら? と考えている状態だが、
 今回書いたように、残された人、見つけた人の事を考えたら、
 死ぬわけにはいかない。
 僕の場合、死ぬなら、自分の部屋か、弟と同じ場所だと思うので、
 家族が見つけてしまうと思う。
 だからこそ頑張って、死なないようしないといけない。
 頑張ろう。

今日も畦道通信に来てくれてありがとう。


僕とうつ病&統失 闘病記 2011.03 動けず考えは悪い方向に向かう

最悪の時期から、現在(2019)のだいぶ元気になるまでの昔話です。
症状を箇条書きにしてますので重い内容になります。

読める人だけ目を通してください。
()は当時の自分に今の自分がアドバイスしている文章です。
参考になればと思います。
そのうち元気な内容に変わっていきますが、この状態からここまで来たのかとプラスになる読み物にしてくれたら嬉しいです。

・薬を飲むのを忘れがちになっている。
 ちゃんと薬を飲むのが自分の仕事なので、そこはきちんとしたい。
(薬を飲むのを忘れない方法はいくらでもあると思うけど、それを考えられない状態なのでしょう。 母に薬の管理を任せるのも手だけれど、両親に闘病に口を出されるようで嫌だよね。 毎朝その日飲む分の薬をテーブル上の目に付く場所に置いてしまうというのも効果的です。)

・薬を飲むのを忘れた。
 夜に一気に飲むのはやめておいた方がいいのだろうか?
 この前の病院で聞くのを忘れてしまったから、
 どうしたら良いかが分からない。
(忘れた分を一気に飲むのではなくて、夜だったら夜の分だけを飲むようにした方が良いかと思う。)

・みぞれが降っていて、愛犬の散歩はおしっこだけにした。
 その後身体が重くなってきたが、16時に散歩に連れて行く。
 20時にもトイレだけ連れて行き、とても疲れた。
 愛犬にとっていい飼い主だとは言えないと思う。
(この子がいるから死なないで踏み止まっているという事も大きい。 可愛がっているし、この犬無しの生活は考えられない。 だったらもっとこの子の為にできる事をしてやったらと思うのだが、体が動かない日が多くて可哀想な事になっている。 こんな状態で犬を飼ってはいけないと思う。)

・一日中布団かコタツで横になっていて、何もやる気にならない。
 愛犬の散歩に行くのが苦痛だ。
 SEを辞めた事を悔いてばかりいる。
(SEをやったからうつ病になったのだし、もう何年前の話を今も考えているのか。 SEはいい仕事だけど、病気再発のリスクは激高だと思うから、この業界に戻るのは無理だと諦めよう。 別の事、自分にやれる事を考えて行動に移していけると良いね。)

・薬を飲むのを忘れる。
 夜に一気に一日分飲むのはまずいと思うので、今日は飲まない事にした。

・薬があと5日分しかないが、病院に行けるか分からない。
 放射能が漏れる中、外で待つ気にはなれない。
(3.11の直後で情報が錯綜していた時期だから色々と振り回されてしまったと思うけど、普段死にたいと思っているのに、こういう時は体に害がないかを考えてしまうのが面白いよね。 本当は生きたいと思っている事の現れのような気がします。)

・病院に行ってきた。
 薬は変わりなく
 朝:セルシン2mg、PZC4mg、セレネース3mg、アキネトン1mg
 夜:セルシン2mg、PZC4mg、セレネース3mg、アキネトン1mg
 と同じ物を2回。
 家が全焼したり、散歩の時に後ろから刺されるような気がすると話す。
 後追いしたいのか?いつもの被害妄想的な考えから来ているのか、
 自分でも分からないと話すと、先生はその考えは根深いよねと言う。
 この被害妄想的な考え方を直さないと社会復帰した後も
 また自滅する道を歩みそうな気がする。
(何か自分に起きるのではないか?という考えは今もあります。 家が燃えるのは考えなくなったけど、刺されるのではないか?という考えは根深く残っています。 何故そう思うのかは分からない。死んで当然の存在と思っているのかもしれないし、周りに迷惑をかけているからそのしっぺ返しが来ると思っているのかもしれないね。 でも刺されるなんてことはまず起こらない。 何も起きないから安心して。)

・弟の事を考えていて、散歩で現場近くまで行くと複雑な気持ちになる。
 どこかで死にたいと思っている節がある。
 死んでも弟に会えるとは限らないし、
 婆ちゃんをこれ以上悲しませたくないから自殺はしないと思う。
 しかし勢いで首を吊る可能性はゼロではない。
 身辺整理をやっていないので、それがストッパーになっている。
 このまま行こうと思う。
(弟のように死んで楽になれたらと思うようになってきているよね。 死んで楽になるのは自分だけのこと。 残された人の苦しみはよくわかったはず。 だったら死にたいなんて考えてはいけない。 でも頭の中に浮かんできてしまうんだよね。 なるべく考えない。 浮かんできたら別のことを考えるようにする。それで良いんじゃないかな。)

・死にたいと考えてしまう。
 死んで楽になりたいと考えてしまう。
 弟の分も生きると言ったが、
 その気持ちよりも死にたい気持ちの方が強くなってしまっている。
 身辺生理をやっていないので死ぬ事ができないが、
 もし済んでいるならば、死んでしまうかもしれない。
(あれだけ誓ったのに、この病気の恐ろしいところだよね。 身辺整理はやってはいけない。 止めるものが無くなってしまい、本当に死んでしまうから。)

・今日は比較的死にたい気持ちが弱い。
 朝も早くから活動する事ができて、一日が長く有効に使う事ができた。
 と言っても、一日中コタツ寝ていただけだが・・・・
 それでも早くに起きて行動できたのが嬉しかったし、
 意義のある事をしたような気分になった。

・今日は死にたい気持ちは弱い。
 夕食時の母の何気ない言葉で、死んではいけないのだとハッとする。
 どういう話でそう思ったかは忘れたが、
 母は僕が今後も生きていてくれる事が当たり前だと思っているし、
 この状態で僕まで死んでしまったら、
 母も生きてはいけない事になるような気がする。
 生きなくてはならない。

・身体が重く、メールを打つのも疲れる。
 今日はほとんど何もしない一日になってしまった。

・今日は友人たちと食事会で、朝早くに目が覚め、すぐに入浴。
 その後、帰ってきた甥とも遊んでやる事ができ充実していた。
 身体は軽く、食欲もあり、こういう日が続けばいいのにと思う。
(月末になって少し体調が良くなってきた感じだね。 体調の良い日に感謝して時分にご褒美をあげよう。 何もしてなくてもそれだけでも凄いこと。 まだまだ体調が悪いので自分には大甘でいいと思う。)

今日も畦道通信に来てくれてありがとう。

僕とうつ病&統失 闘病記 2011.02 悪化、強い薬で抑え込むが副作用に苦しむ

最悪の時期から、現在(2019)のだいぶ元気になるまでの昔話です。
症状を箇条書きにしてますので重い内容になります。

読める人だけ目を通してください。
()は当時の自分に今の自分がアドバイスしている文章です。
参考になればと思います。
そのうち元気な内容に変わっていきますが、この状態からここまで来たのかとプラスになる読み物にしてくれたら嬉しいです。

・ 一日中寝て過ごす。
 ダメだとわかっていても、寝てしまう。
 風呂にも入れないし、愛犬を病院につれて行く事もできない。
 自分が嫌になる。
(風呂に入らないといけないと思っていても、体が動かないのだからどうしようもないよね。 人と会う時は入るようにして、なるべく無理をしないで静養に努めてほしい。 無理をして動くのはまだ時期が早いと思う。)

・身体が重い。
 愛犬の散歩に行ってきたが、それもしんどい。
 大好きなPC作業の際も長時間起きてられなくて、すぐ横になってしまう。
 体力が無いのか、病気のせいなのか分からないが、
 夕方下に降りていくのも億劫。
 毎日顔を見るたびに「具合は?」と聞いてくる父だが、
 それも苦痛になってきている。
 表情や会話してくるかどうかとかで判断してほしい。
(父の配慮のなさ、相手の気持ちを汲む力のなさは昔からだけど、流石にこれはしんどい。 でも「空気読んで分かれよ」とも言えない自分がいるよね。 こちらだけがダメージを受けるようだし、毎日聞かないでほしいと言うべきかもしれない。)

・身体がとても重い。
 伯父が花を持って来てくれたようだが、
 1階には降りずに自室で横になっていた。
 感謝を忘れてはいけない立場なのに、ひどい兄だと思う。
(体調が悪いのだし、あまり自分を責める必要は無いと思う。 申し訳ないと思っているわけだし、その考えがあるのだから良いのだと思う。)

・身体が重く、なかなか動こうとしない。
 午前中に風呂に入るつもりが、
 昼になったら、3時になったら、とずれ込み、結局入ったのは4時半。
 愛犬の散歩も短距離だけで済ませてしまって可哀想。
 友人たちとの食事会でもあまり話しはせずに聞き手に回る。
 これではいけないと思いつつ、どうする事もできない。
(体調が悪いのによく友達に会う事ができたね。 反動が来るだろうけど、月イチの集まりなので、参加できると良いね。)

・愛犬の病院に無理して行ったからか、帰ると身体がすごく重い。
 起き上がる事もできずに時間だけが過ぎていく。

・今日も特に身体が重い。
 例によって一日中横になって過ごす。
 弟が亡くなる前よりもひどくなっているような気がする。
(これまで気が張っていた物が、遅れて自分の体調に跳ね返って来ているようにも感じるよね。 そうなって当然だし、考えてしまう事が増えたよね。 自分も死にたいと思い、同時に生きなくてはいけない と言う振れ幅が何倍にも大きくなったような感じがする、それだけに苦痛が増したはず。 薬に助けてもらうしかないのかな。)

・甥や伯父が来たので無理をして1階に降りるが、
 あまり長続きせずに夕食を食べたら、2階に戻ってしまった。
 伯父とも話しができなかったし、ダメダメである。

・身体が重くて、1日中2階にいた。
 18時からの大河ドラマも見なかったし、夕食の時以外はずっと2階。
 日に日に身体が重くなってきているような気がするが、
 何か用事があると動く事ができる。
 気持ちの持ちようなのか?
 だとしたら社会復帰もできるのだろうか?
(気持ちの持ちようではないと思う。 社会復帰は出来るとは思うけど、ずっと続けていく事は難しいと思う。 再発しない事、復帰したら一生頑張れるのか? そこが問題だと思う。)

・弟の彼女(亡くなるまで付き合っていた人)とその友達が家に来てくれた。
 弟の携帯に貼られたプリクラのイメージが幼くて
 可愛い感じの子かと思っていたら、とてもしっかりした人で驚いた。
 弟の最後の様子や、死に方、死に場所などの質問はせずに、
 こちらから聞いた事だけに答えるような形になり、とても救われた。
 駅に向う途中の車中で、
 こう聞かれたらこう答えよう、その言い方は間違ってるから
 変えるようになどとやりとりしていたのは、無駄だった。
 前向きで、プラス思考で、弟を上手にサポートしてくれていたらしく、
 弟もこの子にだけは、
 死にたい気持ちや、バイト生活のコンプレックスを話して、
 喧嘩も沢山したようだ。
 何でも話してくれるようになり、彼女も何でも聞いたそうだ。
 誰にも心の闇の部分を言わずに逝ってしまったと思っていたから、
 本当に嬉しかった。
 喧嘩できる相手が一番側にいてくれて、本当に良かった。
 「生まれてきて良かった」と彼女には言ったらしく、
 彼女も「生きてると良い事もあるでしょ?」と言ったそうだ。
 そうか、そう思えたか と力が抜けた。
 彼女達は3時間くらいの滞在で帰る事になった。
 改札口で母が食事代を渡そうとしたが、絶対に受け取らなかった。
 改札口を過ぎた彼女は、友達に背中を叩かれていた。
 振り返る事は無かったが、今まで我慢していた涙を堪えきれなくなった様子。
 僕達家族に迷惑をかけないようにと、泣かないようにしていたなんて・・・・
 弟と同じで気遣いができる子である。
(彼女と話をして弟が最後に色々と救われたことが分かり、自分たち遺族はどれだけ救われたか。 何でも話す事の大切さ、そう言う人たちが周りに僕などよりも沢山いたのに、弟は死を選んでしまったのはどう言う事なのか? 何故そうしてしまったのか?と言う気持ちは一生消えないのかもしれない。)

・今日病院に行くつもりだったが、身体が重くて行かなかった。
 無理して行こうと思えば行けただろうけど、
 コタツで横になっているのが居心地が良くて、明日行く事にした。
 明日行けるかも分からないが、コタツに入っている時は幸せである。
(横になって安静にしているのが一番楽で救われる時間だよね。 誰かと会うことは家族だとして気を遣う。 本当の状態を話さないで元気に振る舞ってしまうから、歪みが出てしまうのだけど、全てを話せば心配をかけることになるし、難しい問題だと思う。 言うべきなんだろうけど。)

・薬が切れたので病院に行ってきた。
 切れてから行ってはいけませんね。
 分かっている。
 分かっているけど、身体が動かないんだからしょうがない。
 今日は何を話そうかと思ったけど、
 ありのままの事を話すしかないなという事になり、
 そのままダラダラと近況を報告。
 死にたい事。でもその衝動は弱い事。
 弟がうらやましい事。残された自分は死ねない事。
 眠い事。
 天井を見てボーっとしているか、弟の事を考えて、後を追えたらと考える事。
 考えはするけど、やる事は無いという事。
 話がループして、頭回ってないと思われただろうけど、
 それが今の状態なのでしょうがない。
 弟がうらやましい と言った時
 「弟さんは地獄に行って、兄貴代わってくれと言ってるかもよ」と、
 笑いながら先生らしい事を言ってくれた。
 ありがたいことです。
 先生のブラックだが何処か憎めなくて、妙に納得する物の例えは、
 いつも僕を救ってくれます。
 薬を弱くすると、意識がハッキリしてきて、
 死にたくなって苦しい気持ちもハッキリしてくるから、
 ボーっとしてる方がいいんじゃなか?と言われる。
 「楽な方がいいです」と答えた。
 あとは、工場などで流れ作業をやると余計な事を考える暇がなくて、
 良いのでは?と言われた。
 短文のブログを毎日更新する事すらできないのに、
 決まった日に外に出て、何時間も仕事をするのは、まだ無理だと思う。
 先生には「考えてみます」とだけ言って、答えを濁した。
 薬は変わりなく
 朝:セルシン2mg、PZC4mg、セレネース3mg、アキネトン1mg
 夜:セルシン2mg、PZC4mg、セレネース3mg、アキネトン1mg
 と同じ物を2回。
 薬の副作用だと思うが、
 ろれつが回らなかったり、口の周りがヒクヒクと痙攣して麻痺したり、
 涎が垂れている事に気付かなかったりする。
 基本、家で寝ているだけなので、特に問題なしかな?

・弟の元彼女から8月の日曜に墓参りに行きたいという話が来た。
 8月が近づいてきたら話を進めようと返事を返す。
 先日は辛くて仕事を早退したとも書いてあった。
 毎日泣いているそうだ。
 お母さんにも全て話しをしているようで、その点では安心した。
 もう百か日になったが、
 自分ですら弟を許したり、怒ったり、喪失感だったり揺れているのだから、
 彼女にもしばらくは辛いだろうと思うと返した。
 辛いだろうけど自分を責めるのはやめるようにとだけ
 アドバイスさせてもらった。
 それから一人で考え込まないで、お母さんの力を借りるようにと送った。
(遺族も辛いが、一番側に最後までいた彼女の辛さは相当なものだろう。 恋人に自殺された人が再び交際しようと思える日が来るのか? 結婚はできるのか? 心配だが彼女には幸せになってもらいたい。 弟は馬鹿野郎だ。)

・今日はコタツで横になるがあまり眠れない。
 弟の事をずっと考えていた。
 考える事はいつもと同じ事。
 自分も楽になりたい事や、なぜ弟は死んでしまったのか?など、
 考えてもしょうがない事ばかり頭に浮かんでくる。

・下あごが痙攣していて、歯がガチガチいうような状態。
 震えは少しだが、気になる。
 また唇の感覚も鈍っていて、涎が垂れている事に気付けない。
 これでも相性の良い薬を処方されているんだし、
 死ぬよりはボーっとさせて頭を回らなくさせる方がマシという考えだから、
 この薬を飲み続けるしかない。
 今悪い波に飲まれるわけにはいかないので、仕方なく薬を飲んでいる。
(今の状態でも十分に悪いと思う。 悪い波が早く去ってくれる事を待つしかないのだろうか? いつそれはやってくるのか? ずっとこのままなのではないか?と考えてしまったよね。 必ず体調は良くなるから心を穏やかに保って、ゆっくり休んで。)

・朝起きるのが辛かったが、それは毎日の事。
 今朝は7時起きで8時までコタツで粘ったが、しょうがないので、風呂に入る。
 薬を今日は飲み忘れてしまったが、今のところ何ともない。
 副作用はきっちりと出ていて、顎の痙攣が治まらない。
 隣にいる友人に歯がカタカタ言う音が聞こえてしまうのでは?と思い、
 ヒヤヒヤした。
 喉仏と顎の先端の間の皮もヒクヒクと麻痺して、
 手で押さえて誤魔化したし、ろれつが回らない。
 母と父、姉にはその話をしたが、薬を変えるつもりは無い。
 先生も同じ事を考えるだろうが、
 今相性の良い薬を変えるデメリットの方が大きいように思う。
 眠くなって寝てしまうのは、死ぬよりは寝ていたほうが良いという
 先生の考え方に賛同し、それでいいと思う。

・身体が重く、日記も翌日書いているような状態。
 とにかく起きていて、座っているだけでもしんどい。
 今日は薬を飲むのを忘れたので、
 明日からまたちゃんと飲むようにしたいと思う。
(全てが後手後手に回る毎日。 でも続けていられるだけでも結構すごいことなんじゃないかな。 辛くても薬は飲むべき、今薬をやめたら自分も弟の後を追う最悪の行動に出かねない。 辛いけど耐えてくれ。)

・今日は身体が軽く、愛犬の散歩で遠くの消防署近くを回ったり、
 1階に少し長くいる事ができた。
 ろれつが回らないや、涎が垂れる事も無くなってきていて、
 副作用が弱まっているように感じる。
(副作用が弱まって来ていると言うより、この日は体調が良かったと言うだけかもしれないから、楽観視はしないほうが良いかと思う。 期待をすると裏切られる病気。 客観的に冷静に、辛抱強く回復していこう。)


今日も畦道通信に来てくれてありがとう。


僕とうつ病&統失 闘病記 2010.12 家族の絆

最悪の時期から、現在(2019)のだいぶ元気になるまでの昔話です。
症状を箇条書きにしてますので重い内容になります。

読める人だけ目を通してください。
()は当時の自分に今の自分がアドバイスしている文章です。
参考になればと思います。
そのうち元気な内容に変わっていきますが、この状態からここまで来たのかとプラスになる読み物にしてくれたら嬉しいです。

・身体が少し重いが、気力でなんとかする。
 これくらいで動けなくなるわけにはいかない。
 2階でゴロゴロしていたいが、母を一人にするわけにもいかないので、
 無理をして1階で過ごす。
 うつ病になりやすい性格、なってしまった人に
 どうやって接するべきかのTV番組を、母が見始めたが、
 こういう番組は僕がいない所で見るようにしてほしい。
 一緒に見ていて、追い込まれるような、気持ち悪くなるような感覚になる。

・弟の写真の現像、隣町の有名スイーツ店で49日のお返しの予約など、
 結構あちこち行ったけど、
 そんなに疲れることもなく、昼寝もまったくせずに過ごせた。
 今日は調子が良かったのかな?
 弟の写真は全部で130枚くらいあり、それを全部現像してきた。
 母は写真を選んでいる段階で少し泣き出してしまったが、
 この写真で弟の祭壇を飾ってやるんだから・・・といって励ます。
 家に帰ってきてから父に写真を見せたら、父も泣き出してしまって、
 3人で軽く泣いた。
 でも最後はいい思い出ばかりだねと言って、笑顔になった。
 家族といとこに渡す写真は、遺影になっているピースをしている写真に決めた。
 爺ちゃんと弟、Masa、姉が写っている写真はコルクボードに飾る事にした。
 爺ちゃんの所に弟が行ってしまうまで、2週間になってしまったので、
 もっと弟と話をするようにしようと思う。

・今日は僕が外出するので、母が初めて家で一人になってしまう状態になった。
 母の友達がお線香をあげにきてくれて、少し気がまぎれたようだ。
 昨日、弟に謝るんじゃなくて、ありがとうって言おうって話をしたので、
 今日の母の顔は穏やかだった。
 こうやって良い思い出だけが残っていって、
 じょじょに辛かったり自分を責めたりするような気持ちが
 薄れていくんだろう。
 それよりも、姉がうつ病にならないか心配。
 弟にありがとうとはまだ言えないって書いてあった事も心配。
 このまま2週間が終わってしまったら、そのまま弟に
 謝ったり後悔したままの気持ちでずっと過ごす事になるような気がしている。
 姉には、僕は弟に
 「31年間も笑わせてくれてありがとう」
 「弟に会えて最高に幸せだったよ」って毎日言ってやるんだ と送った。
 弟は生まれてきて良かったと思えた事は無いって遺書に書いていたけど、
 産んでくれてありがとう、お父さんお母さんありがとう、感謝してます
 なんて人は一握りだと思う。
 みんな何かしら悩みや苦しみを持っているだろうし、
 弟だけが特別だったわけじゃないと思う。
 弟は弱かったからこんな事になってしまったわけだけど・・・・・
 弟は自分が生まれた意味を問い続けてきたかもしれないけど、
 僕は弟に幸せをいっぱいもらったと思っているし、
 本人の周りが感謝してくれたり、笑ってくれるなら、
 それだけでも生きている意味はあるような気がする。
 僕だってなんで親が離婚しそうになるような家庭の子に
 生まれてきたんだ?ってずっと思っていたけど、そうではなくて、
 僕が生きる事で、周りは幸せになっているのかもね って
 最近は思うようになった。
 残された家族の事を考えて死なないでほしいっていうのは、
 自分さえよければ、病気の本人がいくら苦しくても生きろっていう
 勝手な意見だと思っていたけど、違うよね。
 家族がいるからこそ生きないといけないんだと思ってる。
 僕は死なないよ。
 絶対に。
 弟に40年〜50年後に会ったら、こんな人生をおくったんだって自慢して
 うらやましがらせるんだから。
 もう誰一人欠けることなく、生きていくんだ。
 ずっとだよ。
 僕はそう思ってる。

・昨日の疲れが出たのか、朝コタツに移動して2度寝してしまった。
 起きてくるのが遅いからと母が覗きに来たらしいのだが、
 まったく気付かなかった。
 1階に降りてからもコタツでぐっすり眠り、今日はたっぷり休養と取った。
 体調が悪いのか?と両親に言われたがそんな事は無く、
 昨日の疲れが残っているだけである。
 つまり運動不足なのである。
 明日は弟の月命日。
 明日線香をあげにきたいと伯父が言ってくれた。
 家が一番近いとはいえ、家まで来てくれる伯父ちゃんには、
 本当に感謝している。
 両親と僕の3人で残り11回しかない弟との夕食を何にするか考える。
 弟が何が好きだったのかがすぐに出てこないのが、寂しいし、
 申し訳ない気持ちで一杯になるが、必死に考える。
 父が「俺が金だすから、寿司にしてやってくれ」
 「特上で頼んでやりたい」って言ったのを聞いて3人で泣いた。
 すき焼きや、鰻や、天ぷらや、生姜焼きをやってやる事になり、
 弟が隣で一緒にメニュー表を覗き込んでいて喜んでいるような気がした。
 気のせいじゃなく、本当に隣に弟がいるような暖かい感覚に包まれた。
 母は大変な夕食の準備を一人でやるつもりだったらしいが、
 自分だけ良い格好する気なのか?とツッコミ、僕も手伝う事にした。
 手伝うのは当たり前だと思っていたが、母はそこまではさせられないと
 思っていたらしい。
 兄らしい事は何一つしてあげられなかったので、
 弟の為になる事はなんでもしてやりたい。

・今日は一日中眠くて、1階のコタツで寝て過ごす。
 母が弟のご飯を作る事で気持ちの整理をつけ安定しているので、
 僕も安心して寝る事ができる。
 薬の影響なのか?なんなのか分からないが、とにかく眠い。
 夕方になると元気になるあたりが、相変わらずうつ病の症状だなと思い、
 少し落ち込む。
 伯父が朝起きたらもう家に来ていて、母との話し声が聞こえる。
 言っていたとおり、月命日の今日線香をあげに来てくれえた。
 甘い物も買ってきてくれた。
 ありがたいことだ。
 夕方には姉が一人でやってきて、線香をあげてくれた。
 姉はまだ「ありがとう」って言える気にはなれないと言っていた。
 僕たちのように、長いこと弟と一緒にいたとしても、
 やっと最近ありがとうと言えるようになったが、
 姉は家を出ているので、弟と接する時間がずっと少ないので、
 そう簡単には気持ちが切り替えられないのだ。

・身体が若干重いような気がする。
 伯母が来てくれた時も眠くて、あくびを何度もしてしまった。
 申し訳ない事をしてしまったと思う。
 どうして最近眠いのか原因は不明。
 夜は熟睡できてるし、薬の副作用で今までは眠くなったりしなかったからだ。
 戦後の沖縄で、医師免許をもたない町医者のドラマを見ていた。
 患者さんが遺書を残して失踪して、必死に探すんだけど、
 首吊ってる状態で見つかるシーンがあった。
 普通だったら首吊りのシーンは、浮いている足だけ映したり、
 ロープと頭だけ映したりするけど、
 特撮をつかってワイヤーなどを消しているらしく、
 全身が完全にロープ一本で吊られているように映っていた。
 直視できなくて、慌ててテレビを消した。
 遺書を見つけて探しに行く展開になった時にテレビを消すべきだった。
 ショッキングで、今はちょっと吐き気がして、手が震えるような感じがする。
 一緒に見ていた母は、途中から居眠りしていて、
 このシーンを見ることは無かったから良かった。
 辛い思いをするだけだし、取り乱して、不安定になりかねないからね。
 昔だったら、こんなシーンで吐き気がするような事は無かっただろうけど、
 今後ドラマや映画で遺書や自殺のシーンを目にする事があると思う。
 その時、今と同じような状態になってしまうような気がして不安だ。

・2階で3〜4時間寝ていいと言われたので、精神的に楽だった。
 毎日こうであると助かるが母が心配なので、それは無理だろう。
 弟の話を3人でした。
 母と僕の2人で話始めて、父は最初寝ていたが途中から起きて
 話に入ってきて、3人で話す。
 母は弟が遺書を見つけるであろう時刻から死亡推定時刻の21時までの
 2時間くらいの間、探しに来てほしかったのでは?と
 ずっと思っていたらしいが、それは違うと話をする。
 もし弟が自殺をする前に見つけたとして、
 家族4人で話合いでもしたとしたら、遺書を読まれてしまった弟は
 本当に居場所がなくなってしまい、
 今度は誰にも見つからないような場所に行って死のうとするだろうと話す。
 父がこのあたりから起きてきて、話に入ってきたのだが、
 父はひと月の間、ずっと弟は
 「親父、なんで来てくれなかったんだ」と言われているような
 気がしていたと泣きながら、話し始めた。
 僕と母が弟を見つけた可能性はあるけれど、
 もし母が弟が吊られた状態を見たら、気が狂ってしまうだろうと話す。
 見つけてやってもロープを切る物は持ってないし、
 警察が来てくれるまで待たないといけないし、
 警察が来ても、事件性の可能性も考え、すぐに弟は降ろしてくれないで、
 吊られた写真を撮ったりするだろう。
 1秒でも早く降ろしてほしいのに、1〜2時間弟の側で
 見ているだけしかできないというのは、母には耐えられないだろう。
 弟が亡くなった翌朝は朝霧がすごくて、散歩をしている人の目にも
 つかなかっただろうし、パトロールの人から直接警察に連絡が行き、
 地元の人に見つかることもなく処理してくれたのは、
 本当に良かった。
 弟は家族に見つけてほしかっただろうけど、
 遺族としては一番いい方法ですぐに見つけてもらって救われたと話す。
 父も自殺前に見つけていたら、弟はもっと苦しむという事を納得し、
 気分が楽になったと話をした。
 母は自分の育て方が悪かったとまた言い出したので、
 それは残された僕と姉にしてみると不愉快だと話す。
 自分は出来損ないだとうつ病で自分を責めてきたのに、
 子育ての方法が悪かったと言われるのは正直きつい。
 弟はもう戻ってこないけど、僕と姉は一生母の子供なんだし、
 これから出来なかった事、後悔している事を実践してくれと話す。
 弟の死から何かを学んで変わらないと、弟の無駄死になると言った。

・病院に行ってきた。
 僕はここ数ヶ月とても安定しているので、今日は自分の話はせずに、
 ほとんど姉の話をしてきた。
 姉の「消えたい」メールを、先生はかなり心配していた。
 僕がマメにメールしたり、この前も姉の家に母と一緒に押しかけて、
 元気か確認しに行ったのだけど、
 そういう時は元気にふるまってるだけの可能性があるって言われた。
 確かに、家にまで来てくれたら、落ち込んでるところは見せられない
 って心理は働くよなと思う。
 姉に会うといつもニコニコしていて安心させられるけど、
 それは無理してるんじゃないか?と今更になって気付いた。
 苦しかったら何でもメールしてって言っても、
 姉はメールを読む相手の事を考えて書いてるだろうから、
 100%吐き出してないと思う。
 頼りない弟かもしれないけど、何でもいいから吐き出してほしい と送った。
 それに対して、姉を納得させる答えを返せるかは分からないけど、
 誰かに気持ちをぶつけるだけでも違ってくると思う。
 それと、1月になっても姉が「消えたい」と思っている場合は、
 病院に連れて行くって話があるが、
 普通だったら初心予約の場合、3ヶ月待ちのところを、
 特別に早めに診察できるようにはからってくれると先生が言ってくれた。
 「なんとしても、もう家から死者を出すわけにはいかない」と先生言ってた。
 それは僕、父、母の3人の事を言ってるんじゃなくて、
 姉を死なせるわけにはいかないって事を言ってるわけだ。
 身内が自殺した場合、遺族がうつ病になってしまう事は多いのですか?
 って聞いたら、「多い」ってキッパリ言われた。
 だから姉が心配で心配でね。
 姉は精神化に通う事に抵抗があるかどうかは分からないけど、
 早くに行けば行くだけ治りも早いし、
 精神科は拍子抜けするくらいに、普通の病院と同じだよ。とメールする。
 1月になっても気分が落ち込んでるなら、
 「病院紹介して」って正直に言ってほしいと言った。
 僕は安定しているので、薬に変更は無し。
 朝:セルシン2mg、アキネトン1mg
 夜:セルシン2mg、アキネトン1mg、ピーゼットシー4mg、セレネース3mg。

・母が熱を出してダウンしてしまう。
 今の時期にうつると49日法要に出られなくなる可能性があるので、
 何としてもうつるわけにはいかない。
 2階にいたほうが良いと言われたので素直に従い、
 2階のコタツで寝て過ごす。
 僕と父は、かかるわけにはいかないので、家の中でも
 マスクをして生活することになった。
 弟が夢に出てきて、台所で一緒に料理を作っていた。
 8畳の部屋に行くと母がいて、弟が可哀想だから戻ってあげてと言われ
 台所に向おうとすると弟が影のように真っ黒になっていて、顔が見えない。
 夢はそこで終わったが、いつも弟の顔が見えないのは、
 弟がまだ苦しみから解放されてなくて、
 笑顔を見せられないからでは?と考えてしまう。
 母と父にその話をしたら、そんな事は無いと言ってくれた。
 弟は楽になっているとは思うけど可能性の話で、やはり考えてしまう。
 顔が見えないのも悲しいが、舞台がいつも昔の家というのも悲しい。
 今の家になってからの弟との思い出が無いからだ。
 もっと一緒にいたかった。
 話をしたかった。
 会いたいよ。

・日中2階で寝ていたら、弟がまた夢に出てきた。
 今回の弟は子供に戻っていた。
 今回は弟の顔がハッキリ見え、笑ってくれていた。
 それは何か意味があるのか?と考えてしまう。
 夢に出てくれると嬉しいが、目が覚めると寂しい感じがする。

・弟の骨壷を抱いて過ごす。
 夕食時も弟のお骨はリビングに連れてきて、弟が座っていた場所に置いて
 一緒に夕食を食べた。
 いよいよ、明日一日で一緒にいられるのは最後なので、
 明日も膝の上に乗せて過ごそうと思う。
 母の体調が良くなって良かった。
 日曜が終わるまで油断はできないので、マスクは外せないし、
 父も母とは別に寝ている。
 明日は、ケーキ屋に焼き菓子を取りに行かないといけないし、
 花瓶も探してこないといけない。

・眠くて、母と買い物に出かけている間も寝そうになった。
 母がホームセンターとスーパーで買い物をしている間は車に残り、
 寝させてもらった。
 家に帰ってきてからも1階のコタツで2時間くらい熟睡してしまった。
 1階で熟睡は珍しい。
 昼寝をするのが習慣になっているのか?
 日ごろの疲れが出てしまったのか? 分からないが、
 身体が日に日に重くなっているような感覚はある。
 薬は変わってないし、ちゃんと飲んでいるし、何か原因があるとすれば、
 やはり1階にいる時間が増えて、気疲れしている部分だろうか?
 でも、母のためになるべく1階にいてやるようにしたいし、
 就職がきまってからも仕事から帰ってきたら、
 すぐに1階に降りていくようにしたいと思ってはいる。
 それくらいはやれるだろうと思うし、やらないといけないと思う。
 弟のお骨と過ごす最後の夜になった。
 お骨を持ってきて、弟が座っていた場所に置き、一緒に夕食、
 おやつを食べる。
 その後、祭壇にお骨を戻したが、涙が溢れてきて、
 そのまま母と2人で話をした。
 その後父も加わり、最高の息子だった、親孝行いっぱいしてもらったし、
 いっぱいおいしい物を食べさせてくれた。
 ありがとう、ありがとうって何度も言った。
 母も僕も泣いていたが、寂しい涙じゃなくて、
 何で泣いているのか分からないような涙だった。
 母が「弟の前で約束して! 私より先に逝かないって」
 と言ってきた。
 僕は笑って、
 「弟の前で自分は生きるって誓っただろう?」ってまた言った。
 母は昨日も2階で寝ている僕に向って、Masa?いるの?って声をかけてきた。
 寝てるの?でも、何してるの?でも、降りておいで、でもなく、
 いるの?って聞くって事は、僕まである日いなくなってしまって、
 同じ事をするんじゃないか?という怖さがある証拠だろう?と聞いた。
 母はそれについて答えなかったが、軽く頷いていたように思う。
 その後は父が加わり、3人で弟の前に座り、話をした。
 「Masaには俺と母を送らせる事になるから、一番辛い思いを
 させてしまうけど、俺達は歳で逝くんだから、悲しむ必要は無い。」
 と言われる。
 さっき母よりも先に逝かないって約束をしたんだと母が父に話をして、
 そのとおりだって事になった。
 僕たち3人と弟と爺ちゃんの5人で酒を飲めるのは、
 50年後だねって話になり、最後に僕が墓に入る頃には
 母も日本酒が飲めるようになってるかもねと笑いあった。
 ただし、こういう話は姉にはしないようにと釘を刺される。
 そんな事は言われなくてもわかってる。
 いま姉が一番心配だから、少しでも傷つけないようにしたいし、
 孤立感を感じないようにさせてやりたいと思っている。

・弟の49日法要、100か日法要、納骨が終わった。
 前日にあれだけ泣いたのに、当日は起きてからバタバタと忙しく、
 あっという間に家を出発。
 婆ちゃんの家にもあっという間に着いてしまったような気がする。
 10:30に寺に到着したら、姉の家と叔父の家は先に到着していた。
 11時までに時間が30分あったので、待合室に一同が集まると、
 最後に初めて会う親戚のおじさんがやってきた。
 婆ちゃんから話は聞いていたおじさんはイメージ通りの
 人が良さそうな感じで、すぐに僕は挨拶に行った。
 長男のMasaですと言ってしまってから、
 もう長男だと自己紹介するべきでないと気付く。
 すぐに法要が始まった。
 お経が唱えられえ始めると、初めて弟にお経が聞かされている事で、
 本当に弟が死んでしまった事が分かり、涙が止まらなかった。
 母も泣いていたが、後になって理由を聞いてみたら、
 小さい頃からの弟の人生を思い出して泣いていたそうだ。
 お経は思ったよりも短く終わってしまって、
 あっさりと納骨しに行く事になってしまった。
 弟とお別れになる心の準備ができていないのに、事はどんどん進む。
 父がお骨を持ち、僕が塔婆を持ち、姪が遺影をもって移動する。
 墓の前に行くと、もう墓石はどかされていて、中を見ることができた。
 骨壷に名前が書かれている物もあり、弟の骨壷にはマジックで
 名前を書いていたので良かった。
 塔婆を立てる役を僕にやってほしいと言われ、快く引き受けるが、
 墓の裏側に回っている間に納骨は終わってしまい、気がついたら、
 蓋が閉められていた。
 今日弟の骨壷を一度も見ることなく、納骨が終わってしまった。
 姉は、あんな冷たくて暗い中に弟を入れるのが可哀想だったと
 後でメールしてきたが、僕や母はそういう気持ちは全く無く、
 爺ちゃんと一緒になれて、弟が嫌いだった地元から離れたこの地に
 眠る事ができて、本当に苦しみから解放されたんだと思っている。
 弟の骨壷は父の話によると、一番真ん中に置いてくれたそうだ。
 弟を囲むように、爺ちゃんやひいお婆ちゃんがいてくれると思うと、
 随分と救われる。
 法要が終わって行きつけの和食店に移動する。
 挨拶回りにも今回も行く事が出来た。
 父は挨拶を頑張ってこなし、大役を果たした。
 自分にああいうスピーチができるか?と言われたら出来ないと思う。
 その後伯父ちゃんの献杯が行われて、とてもいい49日法要になった。
 駆けつけてくれた皆に何か恩返しがしたいが、
 とりあえず何もしてあげられないので、
 今後何かあったらすぐに駆けつけるくらいの事はしたいと思う。
 母と話をしたのだが、今日一日を終えて気持ちがスッキリした。
 火葬場から弟のお骨を持ち帰り、食事した時にご飯が食べられ、
 おいしく感じたのと同じで、
 また気持ちが楽になり、軽くなったような感覚になる。
 弟にはもう会えない悲しさはほとんど無く、
 弟がやっと安らかに過ごせているという事を納得しているのだと思う。
 お骨から位牌になり、遺影がコルクボードになった事で、
 気持ちも明るくなった。
 いいコーナーが出来たと思う。
 これから弟と一緒に頑張っていかなかければと思う。
 自慢の兄貴になれるように努力をしていきたいと思う。

・畦道通信に2ヶ月前に弟を自殺で亡くしたという人からコメントがあった。
 発見されるまでに40日かかったとあったので、
 その間どれほど苦しかったか、良く分かる。
 弟は一晩だけ行方が分からなかったが、それでも家族は
 常に弟の事を考え、心配をする。
 暗くなれば寒いだろうと考え、天気が悪ければ濡れているだろうと思う。
 まして、亡くなって遺体になっているとしたら・・・
 と考えるようになったら、
 一日でも早くに見つけてやりたいと思うのは当然の事。
 このコメントに対して何と返したら良いのか、しばらく考えてしまった。
 まだまだ気持ちの整理などつかないでしょうが、
 何か苦しかったらまたコメント書いてくださいね。
 必ず返事書きますから。
 お互い少しずつでいいので、前に進みましょうね。 とだけコメントした。

・身体が日に日に重くなるような気がする。
 死にたくなったりはしないので、うつ病が悪化している感覚は無い。
 チビ達が家に来ているので、精神的に疲れているのが原因のような気がする。
 また、49日を終えて張っていた気が緩み、疲れが出てきたのかもしれない。
 いずれにしても、薬はちゃんと飲んでいるし、
 うつ病っぽくはないので、安心はしている。

・身体が重いし、眠気が強いので、22時に寝る事にした。
 どうして眠いのかは分からない。

・弟の遺体が見つかった場所と、僕が自殺未遂し倒れていた場所は
 100mくらいの距離しか離れてない。
 母と今日は一緒に愛犬の散歩に行き、現場近くまで行った時に
 その話になった。
 母には、僕の自殺未遂を「あれは自殺未遂だったんだ」と話したら、
 「知っている」という。
 倒れていただけなのに、何故それを知っているのか?と思ったら、
 家でうなされながら「死なせてくれ」と何度も言っていたらしい。
 それは記憶に無いし、初めて聞いた事だったので、驚いた。
 というのも、自分は死ぬのが馬鹿らしくなって家に帰ろうとしていた時に
 倒れていただけなので、死ぬつもりは無かったからだ。
 うなされながら「死なせてくれ」と何度も聞かされた家族は
 どんな気持ちをしたか考えると、申し訳なくなる。
 弟も死ぬのが馬鹿らしくなってくれなかったのだろうか?とも考える。
 弟の場合、ずっと思いつめて出した答えだから、
 ゆるぎない決心だったのだろうけど、僕のようになっていてくれればと
 考えずにはいられない。

(弟の死はとても辛い出来事で、今でも思い出して泣くことがある。 家族はこの記事の中にあるように、絆が強まる事になり、それは弟が命をかけて改善してくれた事だと思っている。 もうあれから9年が経つわけだけど、今だに悲しい気持ちは消えない。 こうして話をまとめていると、死なない決意をしたことを思い出す。 死にたいと思ってしまうのは病気のせいだけど、もっと僕の人生を歩まないといけないと強く思うようになった。 忘れていたことを思い出した感じだ。 もう泣くのはやめよう。 前へ前へ。)

僕とうつ病&統失 闘病記 2010.11 弟を失って

最悪の時期から、現在(2019)のだいぶ元気になるまでの昔話です。
症状を箇条書きにしてますので重い内容になります。

読める人だけ目を通してください。
そのうち元気な内容に変わっていきますが、この状態からここまで来たのかとプラスになる読み物にしてくれたら嬉しいです。

・病院に行ってきた。
 前回病院に行った時は、まもなく弟が帰ってくるので、
 比べられるのではないか?と不安だと話し、
 先生に「弟は他人」という名言をもらってきたのだった。
 今回は、その弟が帰ってきてから2週間が経過し、
 今自分がどうなのかを話してきた。
 弟は全てが完璧で、僕に出来ない事を平然とやってのける。
 その話をより具体的に先生に話した。
 特に弟が作った料理を食べる事が辛いし、
 片付けもせずに自室に戻る時が辛いという事と、
 日中隣の部屋に弟がいると思うだけで居場所がなくなり、
 息が詰まるという事を重点的に話す。
 先生の答えはシンプルだった。
 「だって、できないんだからしょうながいじゃん」
 力が抜けた。
 精神科医らしからぬその言葉、その口調、その表情。
 この人に話した自分が馬鹿だったというわけではない。
 むしろ、この意見を自分は言ってほしかったのだという気持ちに
 自分でも初めて気付く。
 確かにそうなのである、やろうと思っても、家事は手伝えないし、
 部屋にこもりっきりだし、どう頑張っても弟のようにはなれない。
 こうも先生は言ってきた。
 「出世払いでいいじゃん」「できるようになってかっら恩返しすれば」
 またも力が抜けた。
 こうも先生は言ってきた。
 「弟とは別人。 生きるスピードも方法も違う。 比べる必要はないよ」
 この過激発言で有名な先生が、ここまでカウンセリングっぽい事を言うのは
 初めてかもしれない。
 話をしていて、心が随分と軽くなった。
 たしかに、無理な物は無理だし、それで苦しむ必要無い。
 今できる事を頑張るなり、治療に専念するしかないのだと、
 あらためて考える。
 それにしても、話を聞きながら、ずっと爪きりで爪を磨いていた先生。
 話は半分聞き流していたのかもしれない。
 この人というものは・・・・と軽〜〜〜〜〜〜くムっとなったのだが、
 それがまた、この人のゆるさを表しているし、
 真顔で「だって無理でしょ」と言われるよりはずっと救われたのだった。
 だからこそネットで賛否分かれる批評が飛び交う先生なのだが、
 僕にはこの病院が合っているような気がする。
 今回の先生には、随分と救われました。
 僕が弟を気にもとめなければ、全てが上手くいくのだ。
 やりたいようだから、やらせておけ くらいの考えにならないと、
 こっちの身がもたない。
 もっと神経を図太くしないと と、理想だけは持っている。
 薬は、「どうしようかなぁ〜 変えようかなぁ〜」とブツブツ先生が
 言っていたが、変わる事なく3ヶ月連続で同じ。
 朝:セルシン2mg、アキネトン1mg
 夜:セルシン2mg、アキネトン1mg、ピーゼットシー4mg、セレネース3mg
 「薬の作用も副作用も感じないんですけど・・・・」と伝えると、
 「効果は出てるよ。 表情が変わってきてる」と言われた。
 今日はニコニコして話すような内容じゃなかったはずだが、
 精神科医には分かる違いでもあったのだろうか?
 必死に辛さをアピールしようとしたから、目ヂカラはあったかもしれない。
 そこを見逃さなかったか先生。
 また、死なないように頑張ろうと思う。

・昨日の先生のアドバイスが効いているのか、
 弟が何をしようと気にならなくなってきている。
 まだ完全に他人事とは思えないが、随分と楽になった。
 やりたいんだから、勝手にやってろ そう思うようにしている。

・比較的身体が軽く、あまり寝ないで一日を過ごす事ができた。
 薬が効いているのだろうか?
 明日はまた逆戻りするかもしれないし、期待はしないようにするつもりだ。

・弟が遺書を残していなくなる。
 夕方弟が降りてこないからと母が部屋に行って遺書を見つけた。
 遺書には、中学の頃から死にたかった事や、
 自殺未遂を何度もしている事、未来に希望がもてないなどが書かれていた。
 遺骨は散骨してほしいや、臓器移植の意思なども書かれている。
 すぐに父が警察に届出に行って、その間に弟を僕と母で探す事にした。
 夜なので見つかるわけもなく、2時間くらいで帰ってきた。
 パソコンに何かを調べた履歴が無いかも調べたが、何も見つからない。
 部屋のゴミ箱をあさると、遺書の下書きや、臓器提供の意思や、
 第一発見者が父へ連絡が取れるようにするための
 電話番号などが書かれた物などが見つかる。
 恐らく、これと同じような紙を持って出ていると思われる。
 明日一日中探してやらないといけないので、
 夕食を食べようという事になったが、弟が作った煮物には手が出なかった。
 食事もほとんど喉を通らず、手の震えが止まらない。

・弟を探しに朝からあちこち探すが見つけてやれない。
 午後になってから警察から父に電話があり、弟と見られる人物が発見されたとあったようだ。
 その父から、外を探していた母と自分に電話があり、警察に身元確認に行く事になった。
 弟は検視室に眠るように横になっていて、冷たくなっていた。
 遺体の臭いを消すための薬品の臭いで気持ち悪くなる。
 父、母、自分の三人で警察官たちがいることもはばからず、大声で泣いた。
 弟が東京から帰省したのは人生を終わらせる為。
 家事や食事の用意をやっていたのは、最後の恩返しをするためだった。
 そんな弟を邪魔者扱いして、自分の居場所がなくなったと思っていた兄は最低だ。
 もう取り返しがつかないし、起こっている事が現実なのかも分からない。
 どうして救ってやれなかったのか。
 こんな事になるなんて。

・弟を火葬してくる
 叔父は息子達3人と来てくれた。
 火葬場で母が大泣きしている。
 弟の棺桶の顔の部分の蓋が閉められる時、
 「もう顔を見ることはできないのですか?」と尋ねる。
 当たり前の質問だったが、最後の時が少しでも先になるように声をかけたのだ。
 僕一人だけで弟の顔を見て、皆の前で声を出して泣いた。
 「お前の分も生きるからな」と何度も言って弟と約束した。
 火葬の扉が開き、それが閉まる時は辛かったが、
 火がついてしまってからは、もう気持ちが整理されはじめていた。
 待合室では、来ていただいた人たちに挨拶回りをした。
 病気の自分にそんな事ができるのかわからなかったが、
 最初に叔父の所にいって、手を繋いで話していたら、
 気分が救われたような気がした。
 その後、全員の席を回り話をした。
 集骨の準備が整いましたと連絡があり、骨を目にする前に母に話をした。
 これで弟は楽になれたんだし、
 今日からまた家で一緒に暮らせるようになるのだから と。
 さすがに骨を目の前にした母は大泣きしていたが、
 集骨をしてくれる人がとても丁寧に念入りにチリまで集めてくれて、
 本当に嬉しかった。
 母と何度もお礼を言って、火葬場を後にする。
 家に着くと、食事の準備が完璧に用意されていて驚く。
 しかし、お酒を頼むのを忘れていた事に気付き、
 いとこと一緒に酒を買いに行く。
 あまり話をしない人だし滅多に会わない人なので
 車の中は沈黙してしまうのかと思っていたら、
 このいとこが気を利かせて色々と話をしてくれた。
 僕たちは引きこもりのような生活をしてるから、
 それは変えていかないとね という話になる。
 Masaは趣味はあるの?と聞かれたが、無い。
 映画鑑賞もあまり行かなくなったし、サーフィンはやめてしまったという話をしたら、
 いとこもサーフィンは良いなと言う
 ちょっと驚いたが、いとこ自身も変わらないといけないと
 思っているんだろうと分かった。
 食事が終わると叔父をみんなでイジリ盛り上がる。
 いつ集まっても叔父を中心に話題が盛り上がる。
 それでとても救われた。
 弟が遺骨になってしまったら、もうこれ以上辛い事は起こらないし、
 これからは弟とまた一緒に寝られるので、気分がスッと楽になった。
 遺書を見つけてから数日、これまで食事が喉を通らなかったのに、
 美味しく食べる事ができて自分でも驚いた。

・病状は悪化していない、買い物などに出かけるのは身体がだるいが、
 何かしたいし、身体を動かしてる時の方が気がまぎれるから
 これで良いと思う。
 仏具店などを周り色々と買ってくる。
 夜に両親自分の三人でたくさんの事を話した。

・気が張ってるので、落ち込む事も眠くなる事も無い、
 明日から日中一人になってしまうので、心配ではある。

・弟が亡くなって初めて家で一人になった。
 悪いことを考えたり自分を責めたりして泣くのかと思ったが、
 そんな事は無く、眠ってしまった。
 眠ったら弟が夢に出てきた。
 デパートの子供が遊べる一角を2人で眺め、ニコニコしていた。
 いとこのお姉ちゃんと叔父に帰り道を教えないと と
 話している所で目が覚めた。
 一番仲が良かったのが僕だから、僕のところに出てきてくれたのでは?
 という話になった。
 
 元嫁が家に来てくれる。
 弟の前で泣いていたが、笑い話や思い出話も出て安心した。
 まだ実感がわかないし、信じられないと言っていたが、
 それはこちらも同じだと話す。
 色々な話になり弟の事を沢山思い出した。
 沢山のケーキの他に焼き菓子も沢山買ってきてくれて、
 沢山お金を使わせてしまった。
 途中から母が帰ってきて、4人で話をした。
 元嫁には幸せになってほしいと思っているんだという話をしたら、
 元嫁は大泣きしていた。
 ずっと申し訳ない事をしたと思って自分を責めていたという。
 元嫁には本当に幸せになってもらいたいと思う。

・コルクボードに飾ったり、いとこのお姉ちゃん、父、母に渡す弟の写真を探すが、その作業が辛い。
 身体が重くなるいつもの症状と、精神的に悲しくて辛いのとで、
 ぐったりしてしまう。
 あまりのんびりやってるわけにもいかないので、無理して作業をする。
 今日は僕の34歳の誕生日。
 弟の命日が近くて不謹慎だが、姉から生きててくれてありがとうとあり、
 ちゃんとお祝いはおこなってほしいとあった。
 友達からもメールがあり、何処かの国は本人におめでとうと言う他に、
 母親にありがとうと言うとありました。
 それはいい習慣だと、僕も母にありがとうと話した。
 母は34年前にお腹を痛めて生んだんだからと、鼻高々だった。
 母が笑ってくれて良かった。
 僕がしっかりしなければ。

・薬を飲み忘れがちだが、一日に飲む量は守っている。
 弟が亡くなってから、自分が死にたいと思う事は無くなった。
 弟がついていてくれるような気がして、力がわいて来るような気がする。
 ただし、喪中ハガキを書いたり、写真を整理しようとすると、
 すぐに身体が重くなってしまって、横になってしまう。
 病気が良くなったわけじゃなくて、発想が変わっただけ、
 気が張ってるだけなのだと思う。
 反動で落ちるように悪くならないかが心配だが、大丈夫なような気もする。

・5時に起きて婆ちゃんの家へ向う。
 4時半に起きて愛犬の散歩に行くはずが、携帯のアラームが正しく動かず、
 出発15分前に目が覚めた。
 散歩は中止しトイレだけにして、婆ちゃんの元へ向う。
 早めに着いてしまって、いとこのお姉ちゃんと婆ちゃんを
 慌てさせてしまったが、その分話をする事ができた。
 9時から寺で住職と話をして、弟の戒名を話し合う。
 几帳面で、明るいという事を伝える。
 1週間ほどで戒名を考えてくれるらしい。
 住職は弟と会った事がありますよね?と言ってくれた。
 背が高く、ひょろひょろしていてと言うと、なんとなく覚えていると
 言ってくれた。
 その後、近くの石屋に行き、49日の納骨時の打ち合わせをする。
 婆ちゃんの家に戻って、たくさん話をして、昼になったので、
 行きつけの和食店に寄ってから帰る事にした。
 遺骨だけを置いて家を空ける事は可哀想だと、留守番している母を
 一人にしている時間を短くしたかったのだが、姉が家に甥っ子と来てくれて
 一緒にお弁当を食べてくれた。
 姉に来てくれてありがとうとメールを送る。
 しかし、姉は弟が亡くなったのと同じ頃に近くの河原で
 自殺した人の苗字が姉の嫁ぎ先の苗字だったらしく、
 学校で「弟さんの事大変でしたね」と言われたそうだ。
 新聞を見て苗字が同じだから姉の弟だと思い込んだらしい。
 それを言ってきた人なりに、姉におくやみを言ったのだろうけど、
 新聞に姉と同じ苗字が載ってしまったばかりに、
 姉は今後も同じような事を言われるのだと思う。
 せっかく姉が元気になってきているのに、どこまで苦しめるのだと、
 やりきれなくなる。
 何かあったらメールして としか言えない自分が歯がゆい。

・伯父が今日も来てくれて、元気を分けてくれた。
 またケーキを買ってきてくれて、感謝感謝である。
 もうお金は使わないでいいと父が言っても、
 俺の気持ちだからとだけ言って聞き入れてくれない。
 弟はこれだけ愛されていた事を理解していたのだろうか?
 理解できていたら、自殺などしなかっただろう。

・姉が家に寄ってくれた。
 母の事が心配で、仕事中にも電話したそうだ。
 僕や母に言わせると、姉の方が何倍も心配なので、
 大丈夫なのか?と聞いたが、大丈夫だという。
 たぶん無理して明るくふるまっているのだと思う。
 姉が帰ってから、骨壷の入った箱を母が抱きたいと言いだした。
 今までは骨壷が怖いと言っていたから心配になったが、
 弟をこうして抱きしめられるのも49日まで。
 それ以後はもうできなくなるんだからと話をすると、
 母も泣きながらも落ち着きを取り戻した。
 ちょっと骨壷の蓋を開けてみたら、弟の頭蓋骨が見えた。
 生々しい骨を見ても、それが弟の物だとは信じられない。
 検死室で弟の遺体を見て、納棺士と一緒に納棺し、火葬場で骨を拾っても、
 それが弟なのだと認められない。
 東京に帰っただけで、またひょっこり帰ってきたり、
 トシ・ヨロイヅカの話をメールしてくるような気がする。
 ずっと遠くにいたから、悲しみが少しで済んでいるというわけだが、
 それは同時に弟はずっと孤独だった事を意味する。
 もっとしょっちゅう会いに行ってやるべきだった・・・
 そう後悔ばかりしている。

・母に早く病院に行ってほしいと言われる。
 先生に今の苦しみを吐き出してきて、アドバイスを
 もらってくるようにしてほしいそうだ。
 僕としては薬があと10日分あるので、まだ行くつもりは無かったのだが、
 母も父も同じ意見だったので、明後日の月曜に朝から行く事にした。
 遺書を発見した薄暗い夕方に、遺書を発見した母を一人にするのは心配だし
 月曜に行くしかない。
 友達に弟の戒名が届いたけど、弟の名前だと思えないし、実感が無いと送る。
 すると、毎日戒名とお経を3回唱えると弟の徳になって、
 49日に閻魔様に会って何処に行くか決める時に役立つって送られてきた。
 もう遺族は悲しむだけで、弟に何もしてやれないのかと思っていたので、
 何かをしてあげられるというだけで気持ちが軽くなった。
 母にもその話をしたら、笑顔を見せてくれた。

・龍馬伝の最終回を見た。
 龍馬が殺されるシーンを見るのは辛かったが、
 それよりも弥太郎が龍馬の死を知り、
 大切な人なんです、返してくれ というセリフが弟と重なって
 涙が溢れた。

・病院に行き弟が亡くなった話をしてきた。
 僕は今は元気で、気持ちも大丈夫だけど、今もし
 落ち込むような事になったらと思うと怖いので、
 薬が重くなっても構わないと話したが、今安定しているので
 薬を変えるのはリスクが高いので今までと同じ薬を処方された。
 弟はうつ病だったのでしょうか? と聞いたら、
 そうとは言い切れないという返事だった。
 僕も経験があるから良く分かるが、
 死ぬことで頭が一杯になっている時に、明るくふるまったり、家事をしたり、
 あれだけの遺書は書けないという話だった。
 僕と似たDNAを弟も持っているわけだから、
 僕と同じ妄想的な感じがあった可能性は高くて、
 いじめにあった事が人よりも強烈に植え付けられたんじゃないか?
 という話だった。
 もしどこかの精神科で治療を受けていたらまた違った事に
 なっていたかもしれないから、残念だ と言っていた。
 でも弟は、僕らに病気の話はしなかったわけだし、
 自分から病院に行く事もなかったわけだから、
 僕達はどうする事もできなかったと、母と話をしていた。
 もし遺書を見つけてから、弟が死ぬ前に見つける事ができて、
 その時は助けられたとしても、近いうちにまた、
 同じ方法で死のうとしただろうとも家族で話していた。
 だから、僕達はどうすることもできなかっただろうっていうのが先生の考え。
 死ぬ事を夏ごろから逆算して、行動に出ていたわけだし、
 それだけ楽になりたかったのだろうって先生言ってた。
 それは僕も同じ考えで、弟が楽になって良かったと思ってます
 とは伝えた。
 後は他にも喋ったような気がするけど、泣きながら話をしていたし、
 何を言ったのか言われたのか良く覚えてない。
 どうする事もできなかった という事。
 弟は楽になったんだ という事は良く分かった。


今日もあぜ道通信に来てくれてありがとう。