僕とうつ&統失 闘病記 2009.04 ついに聞けた先生の本当の見立て

最悪の時期から、現在(2019)のだいぶ元気になるまでの昔話です。
症状を箇条書きにしてますので重い内容になります。

読める人だけ目を通してください。
()は当時の自分に今の自分がアドバイスしている文章です。
参考になればと思います。
そのうち元気な内容に変わっていきますが、この状態からここまで来たのかとプラスになる読み物にしてくれたら嬉しいです。

・3日前あたりから薬を飲んでいないので、今日になって吐き気がする。
 一日中横になってしまった。
 薬をやめても生活できるのでは?と安易に考えてしまったことが原因だ。
 薬があるから、普通の生活ができることがわかった。
 薬を飲まないで生活できる日は、本当にくるのだろうか?
 それができないと、社会復帰は厳しいのではないか?
 今度病院に行ったら、少しずつ薬の量を減らせるかを聞いてこようと思う。
(薬は必要。 というか必須だと思い知ることになっていくのだけど、薬を飲みながらでも社会復帰は出来るはず。 薬に助けてもらいつつ社会復帰をするでも良いのではないかな?)

・今日は病院に行ってきた。
 ボランティア活動の説明会に出た後の最初の病院なので、
 先生に色々と聞きたいことがあった。
  ・薬無しの生活は可能か?
  ・病気は治るのか?
  ・治ったら、その証明書のような物を書いてくれるか?
  ・バイトなどの仕事をどれだけの期間働く事ができれば、
   完治したと判断してくれるのか?
 などである。
 まず、「去年の2月辺りからボランティアに参加したいと思っていた」
 という切り出しをした。
 すぐに先生の態度が変わった。
 患者が言いたい事を言い終わるまで、反論はせずに、言わせてあげよう。
 終わってから、それは無理だと宣告しよう。
 という雰囲気が途中でわかってしまった。
 まず、薬無しの生活は可能か?についての答え。
  先「無理。薬はこれからもずっと飲まなくてはならない。」
  M「一生ですか?」
  先「そうです。」
  M「量を段々と減らしていったら、
    それでも普通に生活できるかもしれないのでは?」
  先「リスクが高すぎる。
    分かっていると思うが、今の状態になるまでに何年も時間がかかった。
    それを試してみようくらいの気持ちで減らしてしまうと、
    この何年が無駄になり、また何年もかけて元に戻すという
    事態になる可能性が高い。」
  M「病気が完治したら、一筆書いてもらう事は問題ないですよね?」
  先「君の場合、反復性のうつ病で、完治するのは無理に近い。
    うつ病の中でも一番自殺率が高いタイプだ。
    それに分裂症の症状もでている。これが完治する事は無い。
    だから一筆書くことは無いし、嘘を書くこともできない。
  M「仕事で結果をだしたら、治ったと判断してくれても
    いいのではないですか?」
  先「仕事をするようになったら分かると思うが、
    人が出来る事が自分にできないと分かると思う。
    仕事というのは沢山を早く正確にやらないといけないが、
    君の場合、普通の人の倍の時間がかかってしまうだろう。
    君の脳は健康だった時の8割の量になっている。
    その2割の細胞は死んでしまっていて、脳細胞は元に戻らないから、
    君はこの8割で生きていくしかない。
    今、やれるように思えるのは薬の力を借りているからであって、
    自分の力ではない。」
  M「海外に行くのは、どうしても無理という事なんですね?」
  先「日本で働くのも、苦労するだろうという状態。 海外は無理だ。」
 と、こんな感じで食い下がったんだけど、薬が無いとやっていけない現実と、
 病気が治らない現実から、海外なんて無理であるという感じでした。

  先「黙って応募したとしても、バレるだろう」とも言われた。
 ショックだったのは、残った脳細胞で生きていくしかないという話。
 先生に言われなくても、なんとなく分かっていたんだけどね。
 旅行のしおり作りなんて3日もあれば完成するような物なのに、
 一月近くかかっている。
 朝起きて作ろうとしても、頭がついてこない。
 発病前が100だったら、今は60〜70くらいだと思う。
 薬を飲んでいてもだ・・・・・
 だから8割の脳でやっていかないとという話は 
 やっぱりねという感じだった。
 
 先生はこう締めくくった
  「失った脳も、何年という時間も、去って行った人も、
   だれも肩代わりしてはくれない。」
  「全部自分に返ってくる事だし、あまりもう遠回りはできないよ。」と。
 仕事に関しては、病気だという事を、伏せてやること。
 これは言われなくても分かっていたが、もう一つ付け加えられた。
  「ボロボロになるまで働かないように!」
  「少しでも苦しくなったら、すぐに仕事を辞めるように!」
  「一度ボロボロになってしまうと、次にまた仕事につこうという
   状態になるまでに、相当な時間がかかってしまうから。」
 だそうです。

 こんなにアッサリと終わってしまうのか?
 と自分に問いかけながら帰って来ました。
 でも、諦められない。
 そんな簡単に終わってしまうような気持ちで、言い出したんじゃない。
 本気でやってみたいと思っていたのだから。
 海外ボランティアがダメでも他にもNGOは沢山ある。
 どれか一つでも大丈夫な所があるかもしれない。
 先生も前例が無いから無理だと言っているだけで、
 やれる人も1人くらいはいるのかもしれない。
 頭が回らなくても、死ぬ気で努力すれば、食らいついていけるかもしれない。
 何かきっと方法があるはずだと思うようにして、
 今晩は気持ちを落ち着かせようとしています。
 まだ、諦めねーぞ。
(先生が自分をどう診ているかがわかる話だった。
 自分の今後の事、この病気のパターンからして残された選択肢の話。
 悔しかったしショックだったし、どうしようもないのか?
 今思えば先生の言った事は本当だったし、人と同じように働くことが
 いかに困難な道か痛いほど良く分かるようになってしまった。
 今はどうやってこの頭で社会に戻るかを考えているよ。
 色々と選択肢が無くなっていく怖さのような物は
 今後も増えて行くことだろうけど、自分のやりたい事をやって
 笑って生きられるようになる道を見つけれれると良いね。
 今も暗中模索だよ。)

・久々に死にたいと考えている。
 ここで死んでも何もやり遂げてないと思い、死なないように考える。

今月日記書き込みが少なく3件だけというね。
日記を書くのをサボっているのか、体調が良いのか?分からないけど
ちょっとこの調子だと困っちゃうよね。

今日も畦道通信に来てくれてありがとう。

シネマにドラマ 現場のお宝 R2-D2のコースター

スターウォーズのお宝を勝手に公開し、勝手にほっこりするマニアックな話場、現場のお宝のお時間がやってまいりました。
毎月月末はお宝の日ですと勝手に決めました。

今回のお宝は「R2-D2のコースター」です。
頂き物なんですが、人気のドロイド、R2-D2が描かれています。
このコースターをくれた人はR2大好きでして、かなりの数のR2を所有しているのです。
小い物から1分の1スケールの物まで?有るらしく、倉庫の上の方に巨大なR2がぶんながっている写真を見せてもらった事もあります。
もはやR2が好きすぎて、R2を置く場所が無いというね。
R2が変形して中にジオラマみたいなセットが出てくる小さなオモチャも見せてもらったりしました。
レア過ぎる(笑)

最初のスターウォーズから皆勤賞のR2。
何にも出来ないのに口だけで世渡りしているC-3POとのコンビは最高。
この2ショットを見るとスターウォーズを観ているなぁとじんわり感じる次第であります。

この友人はこれだけR2が好きなのにC-3POには興味が全く無いというのも面白いところであります(笑)
スターウォーズは人によってお気に入りキャラが全くかぶらないのも面白い現象でして、悪役が好きな人、この友人のようにロボットだけを好きな人もいます。
僕は、前回のジャバ・ザ・ハットのようにブサイクキャラが好きなので、やはりかぶりません。

人それぞれの楽しみ方を受け止めるだけの濃さがあるのがスターウォーズだったりするのです。

それにしてもコースターとしては使えないですよね。
コーヒーの染みでも着いたら立ち直れないのでね。
飾って楽しんでおります。

今日も畦道通信に来てくれてありがとう。

僕とうつ&統失 闘病記 2009.03 少ない記録

最悪の時期から、現在(2019)のだいぶ元気になるまでの昔話です。
症状を箇条書きにしてますので重い内容になります。

読める人だけ目を通してください。
()は当時の自分に今の自分がアドバイスしている文章です。
参考になればと思います。
そのうち元気な内容に変わっていきますが、この状態からここまで来たのかとプラスになる読み物にしてくれたら嬉しいです。

・”うつ病、闘病記”だが何時まで続けるべきか、最近考えるようになってきた。
 「もう薬は必要ありません。卒業です。」と言われるまで
 書こうかと思ったのですが、最近感じているように、
 一生薬は手放せないかもしれない。
 そうなるといつまで書くべきか・・・・
 誰かから相談を受けて、アドバイスしたり、
 一緒になって頑張ろうという人がいるわけではないから、
 終わらせるのは自分の気持ち次第。
 終わりを考えるようになるほど回復してきたわけだが、
 どこかで「今回でとりあえず最終回です。」とさせたい。
 再発したら、「やっぱり駄目でした。テヘ。」とか言って
 復活する可能性もありますが。
 病気が治ったら終わりにするのではなくて、
 いつまでに社会復帰して終わりにさせよう。
 と考えなくてはいけないような気がする。
 そうだなぁ、今年中に終わりになるようにしたいです。
 できる、できない、は分からないが、目標です。
(いつまでに社会復帰しよう 良い事なのかよくない事なのか分からない感じです。 頑張るのは素晴らしい事だけど、いつまでに復帰しないと と焦ると良い方には行かないような気もします。 闘病記は続けた方が良いだろうというのが今の考え。 誰かの役には立っているだろうという願いもあります。)

・今月の病院に行ってきました。
 少し死にたくなる時があったが衝動的には弱い部類に入るから、
 心配は無いと伝えました。
 日中寝てしまっているので朝から元気に活動できるように、
 就寝前のセロクエルが増量しました。
 というか倍の量になったんだけど(笑)
 副作用は感じてないし、倍になったとしてもまぁ良いかという感じです。
 そして先生の口からついに「痩せたよね」と出ました。
 今まで全く気付いて無かったのに、急に理解したのね。
 まぁいっか。
 ちょっと勝った気分ですな(笑)
 それと「平成の吉田拓郎みたいだな」と言われ笑われた。
 終始なごやかムードで、雑談をして終わったという感じ。
 順調である。
 しかしフォーク全盛時代の拓郎を僕が知るはずもない。
 例えが古すぎるよぉ(笑)
(体調が良いし、今の薬との相性も良さそうだね。 ロン毛をいじられるのも面白いかもしれないね。 なんであんなに長くパーマをかけていたりしたのだろうね笑 ま、やりたい事は何でもやった方が良いと思う。)

(今月も書き込みはこれだけ、何かしら書いてくれていると面白いんだけどね。
 体調が良かったということか。
 来月はどのようになっているか想像もつかないし、覚えていないけれども、
 頑張って欲しいと、まるで他人のように見ています。 頑張れ!)


デジモノ快談 今更Twitterなのだ

最近ツイッターが気になっている。
僕のブログを見ると分かると思うけど、毎日長文である。
ツイッターとは真逆ね。
手短に情報を流すツイッター。
フェイスブックも短めの情報を載せる人がほとんどだし、Instagramなんて写真に語らせちゃって、本文なんておまけみたいなもの。
ブログは時代に逆行しているけれど、僕はこの文字で伝える事。
それもニュースの見出しみたいにさらりと読めるものよりも、掘り下げて自分なりの想いを載せたい。

ツイッターに興味を示しているのは、情報収拾のためがメイン。
僕が書くことはないでしょう。
有意義な事を書く人をフォローして、情報を早く集めたい。
それが理由です。
読むだけでもアカウントって必要なのか?
そう言うレベルからのスタートです。

フォローしたい人は何人かいるんだけど、僕は書かない事でSNS疲れにはならないようにしたい。
時間泥棒だと思っている節があるからねSNSは。

さてツイッターはどうやったら出来るのか、調べてみます。
本当に始めるのか!?

今日も畦道通信に来てくれてありがとう。

僕とうつ&統失 闘病記 2009.02 そろそろなのでは

最悪の時期から、現在(2019)のだいぶ元気になるまでの昔話です。
症状を箇条書きにしてますので重い内容になります。

読める人だけ目を通してください。
()は当時の自分に今の自分がアドバイスしている文章です。
参考になればと思います。
そのうち元気な内容に変わっていきますが、この状態からここまで来たのかとプラスになる読み物にしてくれたら嬉しいです。

・病院に行ってきた。
 死ぬことをほとんど考えなくなった事や、気力が充実してきた事などを先生に伝える。
 先生の表情を見れば、自分の状態が一目瞭然なのだが、安心してくれたようです。
 この人は、安心して見てられるって表情をしてました。
 実際自分も安心して自分を見てられる。
 仕事の話も出たのですが、体重が70kgになったらやると言った。
 「セロクエルが効いているようだから、増量しましょう」となりました。
 セロクエルを飲む前から体調は良くなっていたから、今の状態は薬のおかげとは言い切れないのだけど、セロクエルが全く効いてないとも言えないので、薬はしっかり飲もうと思います。
 副作用も出てないし、飲んどいて損は無いだろうと思います。
 洋服を買いに行けるようになったり、飲み会に参加したり、
 髪型を思いっきり変えてみたりと、今までだったらできなかった事が
 できるようになった。
 これが自信となっているのが分かります。
 今は、ここまではできる、あれもできる とできる事を再確認しているような状態です。
 洋服も髪型も、そしてモバイルPCを買う事も、すべては外に出るためにやった事。
 自分再発見の為に、次は何をしようかな? という事を考えるのが楽しくなってきた。
 ホント大進歩だよなぁ、ついにここまで戻ってこれたという喜びを感じてます。
 あと、周りでずっと心配してくれた人達に感謝する毎日です。
 そう言えば、先生に「どっかのミュージシャンみたいな頭になってきたな」と言われました。
(色々と充実してきているね。 外に出るためにしてきた事がやっと身を結び始めている感覚は嬉しいよね。 先生は目は笑っていない感じだったけど、一緒に話をして笑ってくれるような感じにはなってきているし、この調子で行けると良いね。 自分のことながら応援する気持ちです。)

・姪と甥と遊んだりする事ができない。
 自分が親になったら、手をあげてしまうかもしれない。
 自分は親にはなれない。
 自分は姪甥とは近づかない方が良いように思う。
 子供が怖いのは、ずいぶん良くなったと思っていたが、
 まだまだ治っていないようだ。
(自分は親にはなれないという考えは2019年の今でも変わりません。
 やはり親になる責任を果たせないだろうし、孤独死するのも構わないと思っています。 ただ姪甥は何も悪く無いので話をするくらいは構わないのだけどね。)

・死ぬ事を少し考えてしまった。
 やはり病気はゼロにはならないらしい。
 落ち込んだ。

・近況を包み隠さず公表することで、周りの人達に現状を知ってもらっても良いのではないか?という気持ちで書き始めた闘病記
 しかし面白い事に、身内は誰一人として畦道通信を読んでいない。
 そして、僕が体調を口頭で家族に話す事も一切無いし、話す必要も無いと思っている。
 どうしても暗くなるし、病状を聞かせるとどうしても気を遣わせてしまうからである。
 病院に行くと、「両親はどんな感じですか?何か言ってきませんか?」などと聞かれるが、毎回答えに困る。
 「子供に無関心です。」と、本当のところを言ってしまおうかと思うが
 「口には出しませんが、体調が良くなってきている事を感じ取ってると思います。」くらいの事を言うようにしている。
 親友には、体調の事を話すのだが、「5のうち3くらいの体調である。」といつも話す。
 5になる事は、無いだろうと思う。
 4になる事はあるだろうか? 自分でも分からない。
 病気になって5年半になるが、元気だった頃の感覚が思い出せないのだ。
 元気とは何か? というような感じ。
 随分と体調は良くなったが、発病前と同じになったか?というと、「わからない」というのが正直なところである。
 体調はわからないが、頭はもっと切れていたように感じる。
 もっと速く、たくさんの事を、理論立てて、丁寧に考えられていたはずである。
 正直、体調よりも、昔の頭の切れを取り戻したいが、おそらくこっちは元に戻らないような気がしている。
 8割くらい頭が回るようになっただけでも、良しとしないといけないのかもしれない。
 今、少しずつ外に出るように自分を持っていっているし、ダイエットが成功したら、簡単な仕事を始めるつもりである。
 ”昔の元気だった頃に戻る”のではなくて、”別の人生を歩み始めるのだ”と最近は思うようになった。
 ようするに、そろそろ着地地点を考える時期に来ている という感覚があるのである。
 100%回復しなくても、病気を持ったままでも、ここまでで良い というラインをそろそろ引く時期なんだと思う。
(病気を持ったままでも構わずに活動をする。 もうこれ以上の回復は望まない。 今の僕はそういう考えになりつつあります。 100%の回復なんて無理なのだと思います。 だからこの書き込みを見たとき、既に同じような境地になっている事に驚いています。 体調が悪いのに無理をする事はないけれど、ある程度のところで社会復帰しないといけないのだと思います。 頑張れ自分)

(今月も日記の書き込みが少なかったので、体調がきっと良かったのでしょう。 だいぶ回復してきたので、この調子で社会復帰できると良いね。 頑張って!)

今日も畦道通信に来てくれてありがとう。