デジモノ快談 真・無音狂想曲

ノイズキャンセリング機能付きのヘッドフォン🎧を購入して数日使用しまし、色々と分かりました。

一番は、田舎町だから昼夜問わず静かだと思っていた事が間違っていた事。
スズメ🐥の鳴き声、たまに通る車🚙の音、キーボード⌨️をタイプする音、マウスの摩擦音、時計⌚️の秒針の音、自分の呼吸音。
そして冷蔵庫の音。
小さい音でジーーっと鳴り続けているから自覚してなかったけれど、大きな音だった。

ヘッドフォン🎧を手のひらで触れると、その間だけ外音取り込みモードになるのですが、冷蔵庫の音にはビックリ。
こんな音の中で作業していたのかと気付く。
そして手を離すとまた無音の世界に戻りちょっとニンマリ。

色々困った😯事も出てきました。
家族が帰宅した事に気付けない。
ただいまって言っているはずだけど無視。
1階から何かしらの声かけがあっても聞こえないので完全無視。
いくら呼んでも返事が無いから、親が部屋まで入ってきて真後ろに立たれるまで気付かなかった。

親に後ろを取られた事で変な感覚になってしまいました。
誰か後ろに立っているんではないか?という不安です。
まるで怪談や心霊写真を見た日の夜に、部屋に何かいるんではないかという子供の頃のビビリ状態の再現です。
最初は振り返り確認していたのですが、一度として誰もいない。
今は手のひらで触り、外音を確認するだけになりました。
って、まだちょくちょく確認している事実があるわけですがw

アンビエントモードと言って音楽🎵を聴きながら外音も聞こえるモードで使用すれば、家族の帰宅や声かけには気付けるのですが、そうすると冷蔵庫の音が聞こえるというジレンマが。
親が帰宅したり親が起きている時間帯はこのモードを使う必要がありそう。

音楽を聴かずにノイズキャンセリングだけをオンにする事もできます。
電車の中で読書をする時は、図書館状態で重宝しそうですが、ウォーキングの時などは後ろから来る車🚙、自転車のベル🛎、ご近所の人の声かけなど聞こえなくなりますから、危険です。
無音になって初めて気付く微かな音で判断している事の多さ。
国道脇に家🏠があるわけでも無いので、ノイズキャンセリングの使いどころに戸惑う事が多いです。

そうそう、夜は音楽を聴きながら眠りにつくのですが、これまではスマホから有線のイヤホンで聞いていました。
これを今回のヘッドフォンで、しかも離れた場所にあるPC🖥からの音を聴きながら眠った事があります。
ワイヤレスなので5m以上離れても問題なく聴こえます。
ヘッドフォンを触る事で音量調節、曲飛ばしなど出来るので、真っ暗でも問題なく便利。
でも眠っていたらバッテリーが切れたんですね。
そうなるとPCとのペアリングが切れて、接続先第2候補のスピーカーから大音量で音が鳴り出した。
深夜だから飛び起きてPCまで走ったという事件がありました。
無線便利やなぁという優越感で聴いていたから、そのショックたるや(笑)😂。

ヘッドフォンのボタンを押すとバッテリーが残り何%か言ってくれるんだけど意外と減りが早い。
30時間バッテリー🔋が持つという触れ込みでしたが、15時間くらいかもしれません。
音量が大きかったり、ノイズキャンセリングを使っているからかな?
また夜中に切れるのは困るぞw
家に届いてからすぐ使い始めたので、フル充電してないのかもしれないです。

何気にに嬉しいのは、トイレ🚽に行く時も音楽を聞いていられる事ですね。
スピーカーからの音は離れれば小さくなり、正面以外から音が鳴りますが、ワイヤレスなのでトイレ中も正面からで音量一定のままです。
癖でトイレに行こうとする時にヘッドフォンを外そうとしてしまう事がありますw

トイレで気付いたのですが、完璧に音は消せないようです。
高音は消しづらいようで、水を流すゴーッという音は聞こえないですが、チョロチョロ流すような微かな音は聞こえます。
先日も姪っ子のキャッキャした声は少し聞こえたし、母の声もギリギリ聞く事が出来ました。
音楽流していたら姪っ子も母の声も聞き取れないですけれどね。
機械音や低音を消すのは得意なようで、父の声だけは完璧に消してしまうので、不公平(笑)

しかし、このヘッドフォンを買った最大の理由は、夜に大きな音で作曲作業がしたいからという事なので、それは大成功していると思います。
鍵盤の上や腕に有線がかかって弾きづらく気持ち悪いとか、有線を繋いでいる側だけ少し重いなどは無いですし、
軽いので長時間でも首が凝らないとか、
作曲している音だけを聴きながら集中して作業できるとか、
恩恵はかなりあります。

外音を聞く必要が意外と多かったのは、今回初めて気付いた事ですけどね。
ま、とても良い買い物をした事には間違い無いです。

今日もあぜ道通信に来てくれてありがとう。

僕とうつ&統失 闘病記 2010.12 家族の絆

最悪の時期から、現在(2019)のだいぶ元気になるまでの昔話です。
症状を箇条書きにしてますので重い内容になります。

読める人だけ目を通してください。
()は当時の自分に今の自分がアドバイスしている文章です。
参考になればと思います。
そのうち元気な内容に変わっていきますが、この状態からここまで来たのかとプラスになる読み物にしてくれたら嬉しいです。

・身体が少し重いが、気力でなんとかする。
 これくらいで動けなくなるわけにはいかない。
 2階でゴロゴロしていたいが、母を一人にするわけにもいかないので、
 無理をして1階で過ごす。
 うつ病になりやすい性格、なってしまった人に
 どうやって接するべきかのTV番組を、母が見始めたが、
 こういう番組は僕がいない所で見るようにしてほしい。
 一緒に見ていて、追い込まれるような、気持ち悪くなるような感覚になる。

・弟の写真の現像、隣町の有名スイーツ店で49日のお返しの予約など、
 結構あちこち行ったけど、
 そんなに疲れることもなく、昼寝もまったくせずに過ごせた。
 今日は調子が良かったのかな?
 弟の写真は全部で130枚くらいあり、それを全部現像してきた。
 母は写真を選んでいる段階で少し泣き出してしまったが、
 この写真で弟の祭壇を飾ってやるんだから・・・といって励ます。
 家に帰ってきてから父に写真を見せたら、父も泣き出してしまって、
 3人で軽く泣いた。
 でも最後はいい思い出ばかりだねと言って、笑顔になった。
 家族といとこに渡す写真は、遺影になっているピースをしている写真に決めた。
 爺ちゃんと弟、Masa、姉が写っている写真はコルクボードに飾る事にした。
 爺ちゃんの所に弟が行ってしまうまで、2週間になってしまったので、
 もっと弟と話をするようにしようと思う。

・今日は僕が外出するので、母が初めて家で一人になってしまう状態になった。
 母の友達がお線香をあげにきてくれて、少し気がまぎれたようだ。
 昨日、弟に謝るんじゃなくて、ありがとうって言おうって話をしたので、
 今日の母の顔は穏やかだった。
 こうやって良い思い出だけが残っていって、
 じょじょに辛かったり自分を責めたりするような気持ちが
 薄れていくんだろう。
 それよりも、姉がうつ病にならないか心配。
 弟にありがとうとはまだ言えないって書いてあった事も心配。
 このまま2週間が終わってしまったら、そのまま弟に
 謝ったり後悔したままの気持ちでずっと過ごす事になるような気がしている。
 姉には、僕は弟に
 「31年間も笑わせてくれてありがとう」
 「弟に会えて最高に幸せだったよ」って毎日言ってやるんだ と送った。
 弟は生まれてきて良かったと思えた事は無いって遺書に書いていたけど、
 産んでくれてありがとう、お父さんお母さんありがとう、感謝してます
 なんて人は一握りだと思う。
 みんな何かしら悩みや苦しみを持っているだろうし、
 弟だけが特別だったわけじゃないと思う。
 弟は弱かったからこんな事になってしまったわけだけど・・・・・
 弟は自分が生まれた意味を問い続けてきたかもしれないけど、
 僕は弟に幸せをいっぱいもらったと思っているし、
 本人の周りが感謝してくれたり、笑ってくれるなら、
 それだけでも生きている意味はあるような気がする。
 僕だってなんで親が離婚しそうになるような家庭の子に
 生まれてきたんだ?ってずっと思っていたけど、そうではなくて、
 僕が生きる事で、周りは幸せになっているのかもね って
 最近は思うようになった。
 残された家族の事を考えて死なないでほしいっていうのは、
 自分さえよければ、病気の本人がいくら苦しくても生きろっていう
 勝手な意見だと思っていたけど、違うよね。
 家族がいるからこそ生きないといけないんだと思ってる。
 僕は死なないよ。
 絶対に。
 弟に40年〜50年後に会ったら、こんな人生をおくったんだって自慢して
 うらやましがらせるんだから。
 もう誰一人欠けることなく、生きていくんだ。
 ずっとだよ。
 僕はそう思ってる。

・昨日の疲れが出たのか、朝コタツに移動して2度寝してしまった。
 起きてくるのが遅いからと母が覗きに来たらしいのだが、
 まったく気付かなかった。
 1階に降りてからもコタツでぐっすり眠り、今日はたっぷり休養と取った。
 体調が悪いのか?と両親に言われたがそんな事は無く、
 昨日の疲れが残っているだけである。
 つまり運動不足なのである。
 明日は弟の月命日。
 明日線香をあげにきたいと伯父が言ってくれた。
 家が一番近いとはいえ、家まで来てくれる伯父ちゃんには、
 本当に感謝している。
 両親と僕の3人で残り11回しかない弟との夕食を何にするか考える。
 弟が何が好きだったのかがすぐに出てこないのが、寂しいし、
 申し訳ない気持ちで一杯になるが、必死に考える。
 父が「俺が金だすから、寿司にしてやってくれ」
 「特上で頼んでやりたい」って言ったのを聞いて3人で泣いた。
 すき焼きや、鰻や、天ぷらや、生姜焼きをやってやる事になり、
 弟が隣で一緒にメニュー表を覗き込んでいて喜んでいるような気がした。
 気のせいじゃなく、本当に隣に弟がいるような暖かい感覚に包まれた。
 母は大変な夕食の準備を一人でやるつもりだったらしいが、
 自分だけ良い格好する気なのか?とツッコミ、僕も手伝う事にした。
 手伝うのは当たり前だと思っていたが、母はそこまではさせられないと
 思っていたらしい。
 兄らしい事は何一つしてあげられなかったので、
 弟の為になる事はなんでもしてやりたい。

・今日は一日中眠くて、1階のコタツで寝て過ごす。
 母が弟のご飯を作る事で気持ちの整理をつけ安定しているので、
 僕も安心して寝る事ができる。
 薬の影響なのか?なんなのか分からないが、とにかく眠い。
 夕方になると元気になるあたりが、相変わらずうつ病の症状だなと思い、
 少し落ち込む。
 伯父が朝起きたらもう家に来ていて、母との話し声が聞こえる。
 言っていたとおり、月命日の今日線香をあげに来てくれえた。
 甘い物も買ってきてくれた。
 ありがたいことだ。
 夕方には姉が一人でやってきて、線香をあげてくれた。
 姉はまだ「ありがとう」って言える気にはなれないと言っていた。
 僕たちのように、長いこと弟と一緒にいたとしても、
 やっと最近ありがとうと言えるようになったが、
 姉は家を出ているので、弟と接する時間がずっと少ないので、
 そう簡単には気持ちが切り替えられないのだ。

・身体が若干重いような気がする。
 伯母が来てくれた時も眠くて、あくびを何度もしてしまった。
 申し訳ない事をしてしまったと思う。
 どうして最近眠いのか原因は不明。
 夜は熟睡できてるし、薬の副作用で今までは眠くなったりしなかったからだ。
 戦後の沖縄で、医師免許をもたない町医者のドラマを見ていた。
 患者さんが遺書を残して失踪して、必死に探すんだけど、
 首吊ってる状態で見つかるシーンがあった。
 普通だったら首吊りのシーンは、浮いている足だけ映したり、
 ロープと頭だけ映したりするけど、
 特撮をつかってワイヤーなどを消しているらしく、
 全身が完全にロープ一本で吊られているように映っていた。
 直視できなくて、慌ててテレビを消した。
 遺書を見つけて探しに行く展開になった時にテレビを消すべきだった。
 ショッキングで、今はちょっと吐き気がして、手が震えるような感じがする。
 一緒に見ていた母は、途中から居眠りしていて、
 このシーンを見ることは無かったから良かった。
 辛い思いをするだけだし、取り乱して、不安定になりかねないからね。
 昔だったら、こんなシーンで吐き気がするような事は無かっただろうけど、
 今後ドラマや映画で遺書や自殺のシーンを目にする事があると思う。
 その時、今と同じような状態になってしまうような気がして不安だ。

・2階で3〜4時間寝ていいと言われたので、精神的に楽だった。
 毎日こうであると助かるが母が心配なので、それは無理だろう。
 弟の話を3人でした。
 母と僕の2人で話始めて、父は最初寝ていたが途中から起きて
 話に入ってきて、3人で話す。
 母は弟が遺書を見つけるであろう時刻から死亡推定時刻の21時までの
 2時間くらいの間、探しに来てほしかったのでは?と
 ずっと思っていたらしいが、それは違うと話をする。
 もし弟が自殺をする前に見つけたとして、
 家族4人で話合いでもしたとしたら、遺書を読まれてしまった弟は
 本当に居場所がなくなってしまい、
 今度は誰にも見つからないような場所に行って死のうとするだろうと話す。
 父がこのあたりから起きてきて、話に入ってきたのだが、
 父はひと月の間、ずっと弟は
 「親父、なんで来てくれなかったんだ」と言われているような
 気がしていたと泣きながら、話し始めた。
 僕と母が弟を見つけた可能性はあるけれど、
 もし母が弟が吊られた状態を見たら、気が狂ってしまうだろうと話す。
 見つけてやってもロープを切る物は持ってないし、
 警察が来てくれるまで待たないといけないし、
 警察が来ても、事件性の可能性も考え、すぐに弟は降ろしてくれないで、
 吊られた写真を撮ったりするだろう。
 1秒でも早く降ろしてほしいのに、1〜2時間弟の側で
 見ているだけしかできないというのは、母には耐えられないだろう。
 弟が亡くなった翌朝は朝霧がすごくて、散歩をしている人の目にも
 つかなかっただろうし、パトロールの人から直接警察に連絡が行き、
 地元の人に見つかることもなく処理してくれたのは、
 本当に良かった。
 弟は家族に見つけてほしかっただろうけど、
 遺族としては一番いい方法ですぐに見つけてもらって救われたと話す。
 父も自殺前に見つけていたら、弟はもっと苦しむという事を納得し、
 気分が楽になったと話をした。
 母は自分の育て方が悪かったとまた言い出したので、
 それは残された僕と姉にしてみると不愉快だと話す。
 自分は出来損ないだとうつ病で自分を責めてきたのに、
 子育ての方法が悪かったと言われるのは正直きつい。
 弟はもう戻ってこないけど、僕と姉は一生母の子供なんだし、
 これから出来なかった事、後悔している事を実践してくれと話す。
 弟の死から何かを学んで変わらないと、弟の無駄死になると言った。

・病院に行ってきた。
 僕はここ数ヶ月とても安定しているので、今日は自分の話はせずに、
 ほとんど姉の話をしてきた。
 姉の「消えたい」メールを、先生はかなり心配していた。
 僕がマメにメールしたり、この前も姉の家に母と一緒に押しかけて、
 元気か確認しに行ったのだけど、
 そういう時は元気にふるまってるだけの可能性があるって言われた。
 確かに、家にまで来てくれたら、落ち込んでるところは見せられない
 って心理は働くよなと思う。
 姉に会うといつもニコニコしていて安心させられるけど、
 それは無理してるんじゃないか?と今更になって気付いた。
 苦しかったら何でもメールしてって言っても、
 姉はメールを読む相手の事を考えて書いてるだろうから、
 100%吐き出してないと思う。
 頼りない弟かもしれないけど、何でもいいから吐き出してほしい と送った。
 それに対して、姉を納得させる答えを返せるかは分からないけど、
 誰かに気持ちをぶつけるだけでも違ってくると思う。
 それと、1月になっても姉が「消えたい」と思っている場合は、
 病院に連れて行くって話があるが、
 普通だったら初心予約の場合、3ヶ月待ちのところを、
 特別に早めに診察できるようにはからってくれると先生が言ってくれた。
 「なんとしても、もう家から死者を出すわけにはいかない」と先生言ってた。
 それは僕、父、母の3人の事を言ってるんじゃなくて、
 姉を死なせるわけにはいかないって事を言ってるわけだ。
 身内が自殺した場合、遺族がうつ病になってしまう事は多いのですか?
 って聞いたら、「多い」ってキッパリ言われた。
 だから姉が心配で心配でね。
 姉は精神化に通う事に抵抗があるかどうかは分からないけど、
 早くに行けば行くだけ治りも早いし、
 精神科は拍子抜けするくらいに、普通の病院と同じだよ。とメールする。
 1月になっても気分が落ち込んでるなら、
 「病院紹介して」って正直に言ってほしいと言った。
 僕は安定しているので、薬に変更は無し。
 朝:セルシン2mg、アキネトン1mg
 夜:セルシン2mg、アキネトン1mg、ピーゼットシー4mg、セレネース3mg。

・母が熱を出してダウンしてしまう。
 今の時期にうつると49日法要に出られなくなる可能性があるので、
 何としてもうつるわけにはいかない。
 2階にいたほうが良いと言われたので素直に従い、
 2階のコタツで寝て過ごす。
 僕と父は、かかるわけにはいかないので、家の中でも
 マスクをして生活することになった。
 弟が夢に出てきて、台所で一緒に料理を作っていた。
 8畳の部屋に行くと母がいて、弟が可哀想だから戻ってあげてと言われ
 台所に向おうとすると弟が影のように真っ黒になっていて、顔が見えない。
 夢はそこで終わったが、いつも弟の顔が見えないのは、
 弟がまだ苦しみから解放されてなくて、
 笑顔を見せられないからでは?と考えてしまう。
 母と父にその話をしたら、そんな事は無いと言ってくれた。
 弟は楽になっているとは思うけど可能性の話で、やはり考えてしまう。
 顔が見えないのも悲しいが、舞台がいつも昔の家というのも悲しい。
 今の家になってからの弟との思い出が無いからだ。
 もっと一緒にいたかった。
 話をしたかった。
 会いたいよ。

・日中2階で寝ていたら、弟がまた夢に出てきた。
 今回の弟は子供に戻っていた。
 今回は弟の顔がハッキリ見え、笑ってくれていた。
 それは何か意味があるのか?と考えてしまう。
 夢に出てくれると嬉しいが、目が覚めると寂しい感じがする。

・弟の骨壷を抱いて過ごす。
 夕食時も弟のお骨はリビングに連れてきて、弟が座っていた場所に置いて
 一緒に夕食を食べた。
 いよいよ、明日一日で一緒にいられるのは最後なので、
 明日も膝の上に乗せて過ごそうと思う。
 母の体調が良くなって良かった。
 日曜が終わるまで油断はできないので、マスクは外せないし、
 父も母とは別に寝ている。
 明日は、ケーキ屋に焼き菓子を取りに行かないといけないし、
 花瓶も探してこないといけない。

・眠くて、母と買い物に出かけている間も寝そうになった。
 母がホームセンターとスーパーで買い物をしている間は車に残り、
 寝させてもらった。
 家に帰ってきてからも1階のコタツで2時間くらい熟睡してしまった。
 1階で熟睡は珍しい。
 昼寝をするのが習慣になっているのか?
 日ごろの疲れが出てしまったのか? 分からないが、
 身体が日に日に重くなっているような感覚はある。
 薬は変わってないし、ちゃんと飲んでいるし、何か原因があるとすれば、
 やはり1階にいる時間が増えて、気疲れしている部分だろうか?
 でも、母のためになるべく1階にいてやるようにしたいし、
 就職がきまってからも仕事から帰ってきたら、
 すぐに1階に降りていくようにしたいと思ってはいる。
 それくらいはやれるだろうと思うし、やらないといけないと思う。
 弟のお骨と過ごす最後の夜になった。
 お骨を持ってきて、弟が座っていた場所に置き、一緒に夕食、
 おやつを食べる。
 その後、祭壇にお骨を戻したが、涙が溢れてきて、
 そのまま母と2人で話をした。
 その後父も加わり、最高の息子だった、親孝行いっぱいしてもらったし、
 いっぱいおいしい物を食べさせてくれた。
 ありがとう、ありがとうって何度も言った。
 母も僕も泣いていたが、寂しい涙じゃなくて、
 何で泣いているのか分からないような涙だった。
 母が「弟の前で約束して! 私より先に逝かないって」
 と言ってきた。
 僕は笑って、
 「弟の前で自分は生きるって誓っただろう?」ってまた言った。
 母は昨日も2階で寝ている僕に向って、Masa?いるの?って声をかけてきた。
 寝てるの?でも、何してるの?でも、降りておいで、でもなく、
 いるの?って聞くって事は、僕まである日いなくなってしまって、
 同じ事をするんじゃないか?という怖さがある証拠だろう?と聞いた。
 母はそれについて答えなかったが、軽く頷いていたように思う。
 その後は父が加わり、3人で弟の前に座り、話をした。
 「Masaには俺と母を送らせる事になるから、一番辛い思いを
 させてしまうけど、俺達は歳で逝くんだから、悲しむ必要は無い。」
 と言われる。
 さっき母よりも先に逝かないって約束をしたんだと母が父に話をして、
 そのとおりだって事になった。
 僕たち3人と弟と爺ちゃんの5人で酒を飲めるのは、
 50年後だねって話になり、最後に僕が墓に入る頃には
 母も日本酒が飲めるようになってるかもねと笑いあった。
 ただし、こういう話は姉にはしないようにと釘を刺される。
 そんな事は言われなくてもわかってる。
 いま姉が一番心配だから、少しでも傷つけないようにしたいし、
 孤立感を感じないようにさせてやりたいと思っている。

・弟の49日法要、100か日法要、納骨が終わった。
 前日にあれだけ泣いたのに、当日は起きてからバタバタと忙しく、
 あっという間に家を出発。
 婆ちゃんの家にもあっという間に着いてしまったような気がする。
 10:30に寺に到着したら、姉の家と叔父の家は先に到着していた。
 11時までに時間が30分あったので、待合室に一同が集まると、
 最後に初めて会う親戚のおじさんがやってきた。
 婆ちゃんから話は聞いていたおじさんはイメージ通りの
 人が良さそうな感じで、すぐに僕は挨拶に行った。
 長男のMasaですと言ってしまってから、
 もう長男だと自己紹介するべきでないと気付く。
 すぐに法要が始まった。
 お経が唱えられえ始めると、初めて弟にお経が聞かされている事で、
 本当に弟が死んでしまった事が分かり、涙が止まらなかった。
 母も泣いていたが、後になって理由を聞いてみたら、
 小さい頃からの弟の人生を思い出して泣いていたそうだ。
 お経は思ったよりも短く終わってしまって、
 あっさりと納骨しに行く事になってしまった。
 弟とお別れになる心の準備ができていないのに、事はどんどん進む。
 父がお骨を持ち、僕が塔婆を持ち、姪が遺影をもって移動する。
 墓の前に行くと、もう墓石はどかされていて、中を見ることができた。
 骨壷に名前が書かれている物もあり、弟の骨壷にはマジックで
 名前を書いていたので良かった。
 塔婆を立てる役を僕にやってほしいと言われ、快く引き受けるが、
 墓の裏側に回っている間に納骨は終わってしまい、気がついたら、
 蓋が閉められていた。
 今日弟の骨壷を一度も見ることなく、納骨が終わってしまった。
 姉は、あんな冷たくて暗い中に弟を入れるのが可哀想だったと
 後でメールしてきたが、僕や母はそういう気持ちは全く無く、
 爺ちゃんと一緒になれて、弟が嫌いだった地元から離れたこの地に
 眠る事ができて、本当に苦しみから解放されたんだと思っている。
 弟の骨壷は父の話によると、一番真ん中に置いてくれたそうだ。
 弟を囲むように、爺ちゃんやひいお婆ちゃんがいてくれると思うと、
 随分と救われる。
 法要が終わって行きつけの和食店に移動する。
 挨拶回りにも今回も行く事が出来た。
 父は挨拶を頑張ってこなし、大役を果たした。
 自分にああいうスピーチができるか?と言われたら出来ないと思う。
 その後伯父ちゃんの献杯が行われて、とてもいい49日法要になった。
 駆けつけてくれた皆に何か恩返しがしたいが、
 とりあえず何もしてあげられないので、
 今後何かあったらすぐに駆けつけるくらいの事はしたいと思う。
 母と話をしたのだが、今日一日を終えて気持ちがスッキリした。
 火葬場から弟のお骨を持ち帰り、食事した時にご飯が食べられ、
 おいしく感じたのと同じで、
 また気持ちが楽になり、軽くなったような感覚になる。
 弟にはもう会えない悲しさはほとんど無く、
 弟がやっと安らかに過ごせているという事を納得しているのだと思う。
 お骨から位牌になり、遺影がコルクボードになった事で、
 気持ちも明るくなった。
 いいコーナーが出来たと思う。
 これから弟と一緒に頑張っていかなかければと思う。
 自慢の兄貴になれるように努力をしていきたいと思う。

・畦道通信に2ヶ月前に弟を自殺で亡くしたという人からコメントがあった。
 発見されるまでに40日かかったとあったので、
 その間どれほど苦しかったか、良く分かる。
 弟は一晩だけ行方が分からなかったが、それでも家族は
 常に弟の事を考え、心配をする。
 暗くなれば寒いだろうと考え、天気が悪ければ濡れているだろうと思う。
 まして、亡くなって遺体になっているとしたら・・・
 と考えるようになったら、
 一日でも早くに見つけてやりたいと思うのは当然の事。
 このコメントに対して何と返したら良いのか、しばらく考えてしまった。
 まだまだ気持ちの整理などつかないでしょうが、
 何か苦しかったらまたコメント書いてくださいね。
 必ず返事書きますから。
 お互い少しずつでいいので、前に進みましょうね。 とだけコメントした。

・身体が日に日に重くなるような気がする。
 死にたくなったりはしないので、うつ病が悪化している感覚は無い。
 チビ達が家に来ているので、精神的に疲れているのが原因のような気がする。
 また、49日を終えて張っていた気が緩み、疲れが出てきたのかもしれない。
 いずれにしても、薬はちゃんと飲んでいるし、
 うつ病っぽくはないので、安心はしている。

・身体が重いし、眠気が強いので、22時に寝る事にした。
 どうして眠いのかは分からない。

・弟の遺体が見つかった場所と、僕が自殺未遂し倒れていた場所は
 100mくらいの距離しか離れてない。
 母と今日は一緒に愛犬の散歩に行き、現場近くまで行った時に
 その話になった。
 母には、僕の自殺未遂を「あれは自殺未遂だったんだ」と話したら、
 「知っている」という。
 倒れていただけなのに、何故それを知っているのか?と思ったら、
 家でうなされながら「死なせてくれ」と何度も言っていたらしい。
 それは記憶に無いし、初めて聞いた事だったので、驚いた。
 というのも、自分は死ぬのが馬鹿らしくなって家に帰ろうとしていた時に
 倒れていただけなので、死ぬつもりは無かったからだ。
 うなされながら「死なせてくれ」と何度も聞かされた家族は
 どんな気持ちをしたか考えると、申し訳なくなる。
 弟も死ぬのが馬鹿らしくなってくれなかったのだろうか?とも考える。
 弟の場合、ずっと思いつめて出した答えだから、
 ゆるぎない決心だったのだろうけど、僕のようになっていてくれればと
 考えずにはいられない。

(弟の死はとても辛い出来事で、今でも思い出して泣くことがある。 家族はこの記事の中にあるように、絆が強まる事になり、それは弟が命をかけて改善してくれた事だと思っている。 もうあれから9年が経つわけだけど、今だに悲しい気持ちは消えない。 こうして話をまとめていると、死なない決意をしたことを思い出す。 死にたいと思ってしまうのは病気のせいだけど、もっと僕の人生を歩まないといけないと強く思うようになった。 忘れていたことを思い出した感じだ。 もう泣くのはやめよう。 前へ前へ。)

道草小噺 天性のバランス感覚の彼女

月イチ一期一会の食事🍖ができるイベント参加の話には別の事がある。
もちろん食事の話だ。
毎月オリジナルメニューを食べられる物だから根強いリピーターが多数いるイベント。
料理を考えるのは20代の女の子だ。
彼女はパティシエ🍰で、作るお菓子の取り合わせを見れば、食べなくても才能がある人だと分かる。
もちろん味もレベルが高い。
定番の組み合わせに固執せず、半歩挑戦的な組み合わせの果実や味付けをする。
それが食べる前に絶対旨いよ、分かるもん と言う物ばかりなので、この才能にはやや嫉妬している。

このイベントは
 ・コーヒーだけ。
 ・スイーツとコーヒー。
 ・食事とスイーツとコーヒー。
と言うメニューが用意されるのだけど、食事も彼女が考える、作る。
食事は旬のものを取り入れつつ、やはり半歩先ゆく挑戦的なメニューが提供される。

パティシエなのに、料理の腕も良いのである。
っと言うかパティシエは料理ができるし、料理人はスイーツが作れるものだと僕は思っている。
才能ある人に共通するのはバランス感覚がある事。
それをセンスというのかもしれないけど、分かるように言うとバランスである。

バランス感覚がある職人は、出来ることも、挑戦することも、上手くミックスできてしまう、それもバランス。
味付けも足し算引き算のバランスだし、
盛り付けや味が相手にどう伝わるかという事と、自分がやりたい事の配分もバランス感覚が大切なのである。

彼女はこのバランス感覚が凄い。
作り方やレシピの知識があるだけでは出来ない感性がある。
嫉妬しちゃうのである。

どうしていつも発見や演出を生み出し続けられるのかを聞いてみたら、
趣味の範囲でやってます。
というやや天然だけど、そこにシビれる憧れる回答があった。
毎月新しい物を生み出す事の苦労やプレッシャーは全く無く、楽しんでやっている事が分かる。
それが料理すべてに現れているから、納得してしまった。
ゆとりがあるんだろうな。

天性の舌も必要。
向上心も必要。
好奇心と自分も楽しんじゃう姿勢はもっと必要なんだと思う。

彼女も好奇心があってキラキラしている人物だった。
来月も参加決定。

今日もあぜ道通信に来てくれてありがとう。