あぁ、食い道楽 隠れ菓子 共通の趣味の人、いないかね?

美味しいケーキ屋が僕の住む町にはない。
トシ・ヨロイヅカにも、もう何年も行っていない。
スイーツは大好きだけど、身体は重いし、動ける日は別の事をやるようにしているから、食べ歩きとか全然出来なくてね。

自分の住む県の有名スイーツ処くらいは把握しておきたいものです。
1人でやるのもいいんだけど、共通の甘党さんいないだろうか。
会話も弾むし、情報収集も楽になる。
何より当日は楽しいしね。
男に甘党は少ないんだよなぁ。
かと言って女性を誘うってのも現実的じゃないしね。

家庭があったり、仕事が忙しかったりするよね。
否、言い訳だな。
休日を合わせて誘えば良いし、誰もいなかったら自分だけでも行動すれば良いのである。
時間がないのじゃなくて、時間は作るもの。
一生時間が無かったって言う事になるぞよ。
興味があるなら飛び込むべき。

今でしょ!って言葉は当時笑いが起こっていたけど、言葉の意味を考えると全くもってその通りなんですよね。
いつやるか?今でしょ!
思ったらすぐ行動してみる。
ダメだったらやめれば良いだけの事。
鼻からやらない、行動しないよりは100倍良い。

姉はパンが大好きで、休日は一日中パン屋巡りをしている。
時間は僕よりもはるかに無いのに。
ほんと自分はインドア派だよね。
少し外に出て楽しんでくるような事を見つけたい。
スイーツ屋巡りは最高なんだけどなぁ。

誰かいないかなぁ?

今日もあぜ道通信に来てくれてありがとう。

僕とうつ病&統失 闘病記 2011.01 不安定な日々

最悪の時期から、現在(2019)のだいぶ元気になるまでの昔話です。
症状を箇条書きにしてますので重い内容になります。

読める人だけ目を通してください。
()は当時の自分に今の自分がアドバイスしている文章です。
参考になればと思います。
そのうち元気な内容に変わっていきますが、この状態からここまで来たのかとプラスになる読み物にしてくれたら嬉しいです。

・眠いが薬の副作用ではなく、朝までTVを見ていたからだと思う。
 身体は少し重いが、動こうと思えばなんとか動けるし、問題ない程度だと思う。
 昼に起きていったら、愛犬の散歩に父と母が付いて来ると言う。
 弟の亡くなった場所を3人で見に行くという意味だとすぐに分かった。
 現場近くを父が探していた事が判明し父は泣いていたが、僕と母でなぐさめる。
 弟は助かる道は考えてなかっただろうし、
 もし父の懐中電灯の光を見たら、すぐに死んでいたかもしれない。
 もし半端な時間に助けてしまったら、植物人間になって
 一生弟の面倒をみる事になっていた可能性もあると話をした。
 どのみち、生きる気力が無いのだから、
 助けてもまた同じ事を繰り返すだけだし、
 どうする事もできなかったといういつもの結論に達する。
 弟の亡くなった場所と僕が自殺未遂をして倒れていた場所は近くだったし、
 僕の事は助けてくれたじゃないと話をすると、
 父は少し楽になったような顔になった。
(こうやって家族で支えあって生きていくしかないのだろう。 家族がそれぞれを心配して、誰かが死ぬんじゃないか?とビクビクして生活をしている。 この状態が無くなる時が来るのだろうか?)

・眠気が強くて、一日中寝ていたい。
 あまり寝ていてもまずいので1階に降りていっても、
 結局コタツで横になりゴロゴロしている。
 だったら2階に戻って布団で眠りたいと思うのだが、
 なかなかそうもできないので、困る。
 最近は毎日12時間くらい寝ていると思う。
 その他にコタツで寝ている時間があるので、イイ所無しで嫌になる。
 駅伝を見ている母が騒いでうるさいので、2階にもどり眠る事にした。
 弟が夢に出てきて2人で何かをやっていたが、よく思い出せない。
 しかし、弟は夢に出るたびに笑顔が増えてきている。
 それはとても救われる。
(僕だけの夢に出て来る弟、何か意味があるのか? 何か言いたいのか?
 死んでしまったら何も伝わらない。 生きていてほしかった。)

・朝コーヒーを飲んだからか、眠くならない。
 毎日コーヒーを飲んだら、眠る事なく動く事ができるのだろうか?
 眠くないのと、動けるかは別問題で、コーヒーは役に立たないとは思う。
 
・弟の墓参りに行ってきた。
 お寺に着くまで片道2時間もかかるが、弟はこの土地が大好きだったから、
 これでいいんだと思う。
 母は墓を前にして泣いていたが、線香をあげ墓を掃除して帰ろうとした時に
 他の家の墓に風車が飾ってあって、それが回っているのだ。
 1歳の子が亡くなったらしい。
 歩き出したような時期に亡くなったという事。
 一番可愛い時期に子供を亡くしたご両親はどんな気持ちだったのだろうか?
 弟は30代のオッサンだし、自分で結論を出した結果が自殺だったわけだけど
 1歳で亡くなった子は、もっと生きたかっただろうし、
 ご両親ももっともっと生きてほしかったはず。
 辛い人は沢山いるんだと考えないとね、
 泣いてる場合じゃないねという話になった。
 帰りの車の中で母が言い出した。
 最近読んでいる何冊かの本で、立て続けに自殺の話が出てくると。
 今まで読んでも気にならなかったのかもしれない。
 毎年3万人以上の人が自殺していて、その数は殺人事件の比じゃない。
 ドラマを見れば、○○殺人事件といった人が死なない話の方が
 はるかに少ない現状ですが、実際の日本をリアルに描写するならば、
 自殺の話は避けては通れないのかもしれない。
 風車の話も、本に自殺の話が多く出てくるのも同じ事で、
 辛い思いをしている遺族は相当な数いるわけだ。
 自分達だけが悲劇の中心にいるような考えはやめよう。
 みんな表立って遺族だとは言わないけれど、辛い思いをしている人は
 沢山いる。
 皆どん底の悲しみから立ち上がり生きているのだから、
 自分達にもできないわけはない。
 手探りで、元気に笑って過ごす方法を探しているような状態だが、
 きっと僕達にも出来るはずだ。
(ゆっくりとだけど前進できていると言う実感がある。 時間はかかるけどきっとやっていける。 頑張れる。)

・姉が家にやって来た。
 今日はチビ達がいないので、弟の話がじっくりできる。
 姉もそれを望んだのだろう。
 それに姉がまだ消えたいと思っているならば病院に連れて行きたいので、
 その辺りも聞いてみた。
 姉は誰にも迷惑がかからないならば消えたいと思うが、
 チビたちもいるし、自殺するような行動にはでないと言った。
 気分が落ち込んでしまう時もあるようだが、
 子供達の事を思えるようになってきているという。
 辛い気持ちにもなるが、それがうつ病の症状なのか、
 弟の死から時間が経ってないから辛いのかの区別がつかないという。
 僕もプロではないから、姉の状態は危険なのか判断はできないが、
 客観的にみれば、大丈夫そうに見える。
(姉は家を出ているから1人で弟の事を考えてしまい、誰も助けてくれない。
 その事で気持ちの整理をつけるのに時間がかかっているのだろうが、
 ここは家族が団結してやっていくしかないだろう。)

・母が就職活動で面接に2箇所行ってきた。
 それは良いのだが、その話を聞かされるのは辛い。
 自分は就職活動ができないからだ。
 母は興奮気味で話を続けて、僕が辛いだろうとまでは気が回らないらしい。
 具合悪いの?とは聞いてきたが、自分の話が原因になっているとまでは
 思えないらしい。
 でも母は何も悪くなく、僕が勝手に落ち込んでいるだけなのだ。
 強くならなくては。
 人は人、図々しく生きれるようにならないと!
(何でも考えすぎなのだろう。 自分は自分のペースで社会復帰すればいいのだと思う。 焦ることはない。 身内が働き出したからといって自分と比べられるわけではない。 ゆっくり進めばいい。)

・弟の遺品を整理する時に、身体が重くなってしまって身体が動かず
 働く事ができなかった。
 遺品の仕分けはなんとか出来たのだが、
 それを袋に入れたり、布団を縛ったりする作業は全く手伝えなかった。
 父も母もそれを分かってくれているのか、何も言わないで
 作業を進めてくれた。
 情けない反面、ありがたかった。
 年が明けたら部屋を整理しようと決めていたが気乗りしない。
 また遺書のようなショッキングな物が出てくるようで怖いのだ。
 布団、衣類、小物、生活用品などは全て処分する事になっている。
 着けていたアクセサリなどは姉と相談し、欲しいなら使ってやろうと思う。
 弟が亡くなったのだと、いまだに信じられないところがあるが、
 遺品整理は現実を突きつけられる作業。
 正直、この作業は辛かった。
 頭が回らなくなり、両親だけがキビキビと“いる物”“いらない物”を
 仕分けるが、僕だけ部屋の隅に立っているだけで、何も出来ない。
 やっぱり僕はうつ病なんだなと思った。
 追い込まれると何も考えられなくなって、動けなくなる。
 月命日なのでまたケーキを買ってきて、弟の前にお供えしたのですが、
 母が「こんなお供えじゃなくて一緒に食べたかった」と言い出して、
 大声で泣き始めた。
 「弟は一緒に食べてる時は嬉しいだろうけど、
 すぐに現実を突きつけられて、生きてる事が辛くなる。 
 もう弟は楽になったんだから、喜んであげようよ」と
 母に話しをして、少し落ち着かせた。
 母に限らず、ちょっとしたきっかけで涙が出てくるけど、
 遺品を整理して、また少しだけ前進したような気がする。
 こうやってちょっとずつ、死を受け入れ、立ち上がるしかないのだろう。
(身体が硬直して動けなくなってしまったのは、自分でも情けなくて、現実を受け入れられなかった。 弱い人間なのだろう。)

・弟の部屋にベットがやって来た。
 部屋を母が寝室として使うためだ。
 よくTVで遺族が部屋をそのままにしておくのを見た事が何度もあるが、
 それはやめようと話をしていたのです。
 そのままにしていても弟は帰ってこないし、その部屋を見ても辛いだけだ。
 12時0分で弟が止めておいた時計も動き出し、
 また少し前進できたように思う。
(ちょっとずつちょっとずつ傷は癒えていくんだと思う。 時間が解決するとはこう言う事なのだろう。)

・今日も昨日に引き続き身体が重く、2階のコタツでずっと寝ていた。
 カーテンも締め切っていて太陽の光を浴びるのは、愛犬の散歩の20分ほど。
 朝早起きして朝日を浴びるべきだが、それが簡単に出来るならやっている。
 できないのだ。

・身体が重く、録画したTVを見ることができない。
 寝ながらでも見ることができないのでしんどい。

・病院に行ってきた。
 少し死にたくなる話をすると、どうしてか?と聞かれたので、
 弟は楽になったから、自分も楽になりたいと言った。
 先生には死んで楽になるとは言えないと言われた。
 僕に死んでほしくないから、楽にはならないと言ったのだろうけど、
 それは辛い事である。
 安定剤を増やすと言われ、薬の量増えた。
 朝:セルシン2mg、アキネトン1mg、ピーゼットシー4mg、セレネース3mg
 夜:セルシン2mg、アキネトン1mg、ピーゼットシー4mg、セレネース3mg
 姉の様子は落ち着いてきているので、大丈夫そうだと伝えた。

・愛犬が起きだして布団から出て行ってしまったので、しょうがなく起きる。
 散歩に行き、その勢いで座らないようにして、
 LOSTの最終回を返却しに行く。
 あれだけ楽しみにしていたLOSTなのに、まったく見る気力が無い。
 日中はコタツでずっと眠っていた。
 明日も同じような一日になるような気がする。
 このままではいけないとは思うが、身体が動かないし、眠い。
 今日は死にたいと思う事は無かった。

・身体が重く、少しイライラしている。
 原因は不明。

・弟の一番の親友が家に来てくれた。
 家族が知らない空白の10年の一人暮らしの話を聞かせてもらった。
 弟は孤独ではなく、この友人としょっちゅうあっていたようだ。
 孤独では無かったと言う事だけで救われた。
 しかしそれだけの友人なのに、自分の弱い所は一切見せず、
 いつも笑っている顔しか思い出せないとも話していた。
 結局弟は誰1人にも、自分の悩みや追い込まれてしまった現実を
 話す事なく逝ってしまった事になる。
 弱い部分を見せられたらまた違った人生になっていたと思う。

・身体が重く、一日中寝ている。
 母ガ泣いていると、イライラしてしまった。
 気分が落ち込み、2階に戻りたくなる。
 先日の弟の友人から連絡があり、知人が弟の東京での写真を
 持っているという。
 ネットを介してそれをダウンロードした。
 楽しそうにしている弟の写真を見て、また涙が出てきてしまったが、
 東京で楽しくやってくれていた事がわかり嬉しかった。
 ずっと孤独だったのでは? 寂しかったのでは? と思ってしまうので
 こういう写真をみれるということはありがたい。

・姉が来た時に、僕が死にたくなっているんじゃないか?と聞かれた。
 弟に会いたくて、死にたくなると正直に話しをした。
 初めて母の前で死にたくなっていると言ってした。
 姉が心配して、後で家に電話をかけてきた。
 「もう骨を見るのは嫌だ」と母に言ったらしい。

・今日は体調も良く、LOSTのファイナルシーズンを
 3話連続で見ることができたし、
 姉が来た時もすぐに下に降りられたし、チビ達と一緒に遊ぶ事もできた。
 朝からきちんと薬を飲んだからかもしれない。
 あとは8時には起きたいが、いつも11時過ぎになってしまう。
 これをなんとかしたい。
 今日は死にたくなる事も無かったし、こういう日が続いてくれると嬉しい。

・一日中横になっている。
 昼まで寝て起きたら愛犬の散歩に行き、その後コタツで寝る
 夕食を食べたら、またコタツで寝る
 毎日こんな生活をしているばかりで、嫌になるが、どうする事もできない。


(弟が亡くなったことで、死にたくもなったけど、生きようとも思った。
 考えがまとまらず、情緒不安定になっているのが分かる。
 元気だったと思ったら突然泣き出したりもする。
 全部時間が解決してくれるのだろうか?)

今日もあぜ道通信に来てくれてありがとう。

道草小噺 多大な影響、Itoi

旧あぜ道通信では書いた事があるのだけど、畦道通信が理想とするサイトがある。
あるいは影響を否応にも受けたとも言える場所がある。
「ほぼ日刊イトイ新聞」 です。

糸井重里という方をご存知でしょうか?
本業はコピーライターですが、
ジブリアニメのキャッチコピーは糸井さんの仕事ですね。
もう第1線は退いていて、
今は面白い物を売ったり紹介したりする会社を運営しています。

今はここでしか買えない物を売る、一風変わった通販サイトになってしまいましたが、
昔は新聞というだけあって、文章と企画で勝負するかなり異端なサイトでした。
今で言うYouTuberのように、誰も考えもしない企画やアイデアを形にし、
対談や紹介を全て文章と写真だけで行なっていた、まさに新聞。

ほぼ日刊 と言いつつ、もう20年以上?毎日更新している。
更新も一つじゃなくて、毎日何かしら複数のコンテンツが更新され、
自分お気に入りのコーナーが更新されるとワクワクしたものだ。

糸井さんはトップページの
「今日のダーリン」と言うコーナーにサイト立ち上げ時から?
必ず長文でコラムのような物を書き続けていて、
これは通販サイトになった今でも伝統として続けている。

畦道通信が影響を受けた事は、
 ・毎日更新
 ・複数箇所更新
 ・文章で勝負
辺りでしょうか。

このサイトのようになりたくて、憧れて、今の畦道があります。
フェイスブックもツイッターもインスタグラムも、
皆写真や簡潔な文章で展開され、支持もされているのは分かっています。
分かりやすいし、長文を読む時間も無い程みなさん忙しい。
今時長文で勝負なんて逆行してはいるんだけども、
僕はブログにこだわりたいのです。
分かりやすい近況報告ではなく、
自分が考えている事、
自分が感じている事、
視覚的じゃなくて、頭の中を文字にして発信し続けたい。

僕だけのアンテナを張り続けて、今後も長文を書いて行こうと思います。
毎日。

今日もあぜ道通信に来てくれてありがとう。