風来旅団 どこへゆく 1981.07 東京都 上野動物園

度々上野動物園には連れて行ってもらったようだが、覚えているのは断片的で、何度目に行った時の記憶だとかは、全く分からない。
この頃の写真を見ると笑ってしまうのだが、僕はいつもランニング姿でどこにでも行っていたようである。
弟などは自分で着る物は自分で考え納得がいかない物は着なかったらしい。
僕はというと服装には無頓着。
用意された物を素直に?何のこだわりも無く着たそうだ。

多分この時だが、ジャッキーチェンの図鑑を上野動物園で買ってもらった事は今でも罪の意識で覚えている。
当時パンダ外交もあったのか、カンフー映画もしょっちゅうテレビで放送されている時代。
ジャッキーをかっこいいと思っていた僕は、裕福な家庭じゃ無い事はわかっていながらも、母にジャッキー図鑑をおねだりした。
おねだりなど人生の2回しかした事が無いと記憶しています。
そのうちの1回がこれ。
いかにこの時のジャッキー図鑑欲しさがうかがえる。

図鑑といっても、今もあるのかな?子供向けの1ページが1ミリくらいある厚紙の図鑑で、ページ数にしたら少ししか無いのだけど、結構高かったのを覚えている。

ページ数も少ないし、1回見たらもう読まないのだが、だからこそ親には悪いことをしたと思っていて、今でも反省している。
あの図鑑は家に帰ってからどうなったのだろう?
全く思い出せないし、両親に図鑑の事を聞いても覚えていないと言われてしまった。

わがまま言って買ってもらったりしちゃいけないよね。

今日も畦道通信に来てくれてありがとう。

僕とうつ&統失 闘病記 2011.05 誰かが死ぬのではないかという心配

最悪の時期から、現在(2019)のだいぶ元気になるまでの昔話です。
症状を箇条書きにしてますので重い内容になります。

読める人だけ目を通してください。
()は当時の自分に今の自分がアドバイスしている文章です。
参考になればと思います。
そのうち元気な内容に変わっていきますが、この状態からここまで来たのかとプラスになる読み物にしてくれたら嬉しいです。

・今日は、GWで父が家にいる事もあり、寝ないで過ごした。
 PCでの作業を3時間くらいかけてやった。
 とても疲れた。
 集中力は続くが、体力面に不安がある。
 社会復帰はいつになるのだろう?
(体力は活動するようになったら自然と戻ると思う。 それよりも集中力が続いている事を褒めてあげよう。 いつも父に家にいられると心が休めないけど。)

・一日コタツで横になり、死ぬ事を考えていた。
 考えているが、死ぬのか?というと死なないという答えになる。
 母の事を考えたら、とてもじゃないが死ねない。

・姉も毎日死にたくて辛いそうだ。
 チビ達が抱きしめてくれて、死ぬに死ねないと書かれていた。
 姉は僕が死んでも誰も僕を責めないって書いてきたけど、
 そんな事は無いと思う。
 特に母はさらに自分を責めて自殺しかねない。
 そう考えたら、僕はやはり死ねないんだと思う。
(死ねなくなったことが良かったのか、苦しみが増えたのか、未だにわからないよね。 自分が何十年後かに死ぬ時になってやっと答えが出るような気もするから、今は生きよう死のうじゃなくて、とりあえずでいいから生きておく で良いんじゃないかな)

・姉が僕を心配してか家に来てくれた。
 「顔見せろ〜」と1階から大きな声で呼ばれたので、仕方なく1階に降りる。
 弟のせいで皆ボロボロになってフォローしあっている。
 弟は本当に馬鹿な事をしでかした。
 最近は弟に対して、ぶん殴ってやりたいとか、怒りがこみ上げてくる。
(弟に対して色々な感情が起こっては落ち込んで消えていったり日替わりでまるで違う感情になる。 それが辛い)

・ある川の橋を渡って出社している姉だが、今日もそこで自殺があったようだ。
 警察が沢山来ていて、早くに通った人達は死体が目に入ってしまったらしい。
 姉が通った時にはもう警察はいなかったようだが、
 休憩中に弟の一件を知らない人達が、その話を面白おかしく話していて
 姉は吐き気に襲われて、部屋を出てしまったようだ。
 今日はそれがあったから、お線香をあげに来たかったのだと話してくれた。
 トモ子にその話を僕からしたら、Masaは死なないでね と言われる。
 頑張りますとしか言えないと答えると母はとても心配していた。
 しかし、嘘をついて、大丈夫大丈夫というわけにもいかないだろって言うと
 それはそうだけどと言いながら母は泣いてしまって。
 自分自身この先どうなるかさっぱり分からない。
(家族の誰かが死ぬのではないか?と皆で心配しあっていたよね。 結局誰も死なずに今に至るわけで、この試練は乗り越えられたのか? 今でも思い出して泣いたりするけどね。 時間と共に随分と苦しみは少なくなったよ。)

・母が泣きながら部屋に入ってきた。
 話は僕の病状の事になり、今日は調子がよく、何とかなるんじゃないか?
 大丈夫とポジティブに考える事ができた。
 日替わりで体調が変わるから、この前は
 「がんばります」としか言えなかったと母に伝える。
 母は泣きながら、僕がいなくなったらやっていけないと言っていた。
 当たり前だ。
 息子2人も自殺で亡くしたら、母が平気でいられるわけがない。
 死のうとしていた自分が情けなく思えた。

・今日は比較的体調が良かった。
 しかし睡魔が凄く、ほとんど寝ていただけだが・・・・・

・弟が亡くなってから、もっとこうしておけばという考えが消えない。
 その影響からか、養護老人ホームに入っている、
 婆ちゃんに会っておこうと思うようになっていた。
 95歳、いつどうなってもおかしくない歳だ。
 もう亡くなった後に、こうしておけば という後悔はしたくないのだ。
 っというわけで、今日はこの婆ちゃんに初めて会いに行ってきた。
 もう風邪でもひいたら、即亡くなってしまうような状態になってしまい、
 家に連れてきて一緒に過ごすような事は出来なくなってしまったが、
 とりあえず、一つまた、前進したような気分になった。
 (何が前進なのか自分でも分からないが)
 この人がいたから、今の自分がある。
 そんな自分のルーツを探るような出来事だったし、命とは? とか
 両親の老後はどうなるのか? という不安、
 そして自分の今後など色々と考えさせられる時間だった。
 でもイイ事をしたのは間違いないので、ちょっと気持ちの整理がついたかな?
 いつもはコタツでゴロゴロしているだけの毎日だが
 今日の行いは合格点をあげようかと思う。
(命について考えることが当然増えたよね。 そして生きるとはどういう事なのか? どうあるべきなのか?考えるようになった。 答えなど分かっているのだが、実践していく事は大変だ。)

・昨日の疲れが今日になっても取れず、一日中横になっていた。
 体力をつけないと何もできない。

・病院に行ってきました。
 一日中死ぬ事を考えている事。
 その原因は弟の死が関係している事。
 寝起きが悪く、一日中横になっている事を先生に伝えました。
 活力が出るような薬に変えてみようという事になった。
 朝、セルシン2mg、アキネトン1mg、セレネース3mg
 夕、セルシン2mg、アキネトン1mg、セレネース3mg、セロクエル100mg
 前のカルテを読み返して自分と相性の良い薬だそうで、
 大きな副作用も無いかと思います。
 半年近く?以上?変わってなかった薬が変わるという事は、
 何か思惑があるんだろうと思う。
 まぁ、劇的に良くなるとは思えないけど、何かしら良くなる事を願います。
 下顎の感覚が麻痺して、涎が垂れたり、痙攣したりする副作用は
 無くなってほしいものだ。

・一日中横になって過ごす。
 明日髪を切りに行きたいが、9時に電話できるとは思えない。
 友人の出産祝いに本を買いに行かないといけないし、
 それも明日いけるとは思えない。
 身体が重い。

・友人の出産祝いの絵本を買いに行ってきた。
 その後、美容室にも電話する事ができ、今日は十分働いた感がある。
 たったこれだけの事で疲れてしまうのだから、
 本当に体力が落ちていると思う。

・髪を20cm切って、心機一転。
 心も軽くなった。
 姉が僕が髪を縛っている様子を見ると、弟が亡くなった時に
 縛った部分が震えていた事を思い出して、
 辛かったと言うことをやっと話してくれた。。
 そんなに辛い思いをしているなら言ってくれれば、すぐにでも切ったのに。
 姉はまだ何か苦しんでいる事を隠しているような気がする。
(家族で一番心配なのは姉だろう。 きっと色々とあるだろうが、家を出ているだけに一人だけで背負い込んでしまっているはず。 何でも話してほしいけど、姉も僕に気を使っているのだろう。 気遣い家族なんて本当の家族じゃないと思う。 何でも話そう。)

・朝4時に起きて、ほとんど寝なかった。
 いや結構寝たか。
 一日がとても長く充実していた。
 時間を持て余して、仕事でもしていればという考えにもなった。

・朝は身体が重く、友人のお祝いに行くのをやめようかとも思った。
 入浴して、時間が来るまでの間に身体の重さも取れてきて、
 病院に着いた頃には、身体が重かった事を忘れてしまっていた。
 何かを始めてしまうと、疲れを忘れて作業する事ができるので、
 もっと積極的に外に出ても大丈夫な気がする。
 ただ、外に出ると甘い物を買ってしまうので、そこは注意しないといけない。
 母の話だと、うつ病に甘い物は良くないらしい。
 聞いた事はあったのだが、やはり病気には良くないのかとガッカリした。
 リバウンドはしたくないので、なんとかコンビニに寄らないようにしつつ、
 外出するようにしてみたい。
 外に引っ張りだしてくれるような友人がいればいいのだが、
 そもそも友達が少ない。
 自分から、企画を考えて、誘う程の積極性が欲しい。
 別の友人夫婦を昼食に誘ってみようか?と最近考えているのだが、
 先日出したメールの返信が、少し遅れたりすると、
 嫌われているのかもしれないと考えてしまう。
 この前食事に誘ってもらった時に何かマズイ事でも
 言ってしまったのだろうか?
(女の子じゃないんだし、友達との繋がりが無くなったらどうしようと気をもむ必要はない。 自分の生きたいようにすればいい。 離れていく人は離れていくし、ちゃんと繋がるべき人は時間が空いても繋がっていけると思う。 もう少し自分に自信を持ててもいいよね。)

・昨日の友人との食事会の時からそうだったのだが、
 身体がだるく、立ちくらみがひどい。
 ファミレスに着いてからは、座った状態でも座りくらみがおき、
 意識が遠のいた。
 食事はしっかり取っているので、原因は新しく処方された
 セロクエルかと思い、ネットで薬について調べると
 予想通り副作用に立ちくらみが飲み始めにあるとあった。
 飲み始めとあったので、飲み続けるうちに改善されていくのだと思うが、
 今日の状態が続くのはちょっと厳しい。

・立ちくらみがひどい
 座っていたとしても、動悸が激しくなり、息をするのが辛い。
 新しく処方されたセロクエルが原因だが、
 1週間も飲み続けたら、副作用は無くなってくるだろう。
 一月副作用が続くならば、薬を変えてもらうように言うつもりだ。
 それほど辛い。

・眠くていくらでも寝られる。
 薬の副作用なのかどうかは、調べていないので分からないが、
 一日中横になっている。
 眠気と共に困っているのが、脈の速さ、いつもの倍近い速さで、
 息苦しくなってくる。
 梅雨が明けたら、愛犬の散歩は朝早くに行ってやらないといけなくなるが、
 起きられるかが心配である。

・今日も脈が速く、疲れやすい。
 愛犬の散歩にはなかなか行けなかったし、午後はゴロゴロしていた。
 脈は相変わらず速い。
 立ちくらみはあまり起こらないようになってきているので、
 少しずつではあるが、薬に慣れてきている様子だ。

・脈が速くて、疲れが抜けない。
 セロクエルを飲むようになってから、脈が不規則になったので、
 原因はこの薬だと思うが、立ちくらみの時のように
 時間が解決してくれるのだろうか?

・脈が速い。
 立ちくらみはほぼなくなり、あとはこの脈の問題だけになった。
 薬は処方された物を忘れることなく、ちゃんと飲む事ができている。

・一日中横になったり、眠ったりして猫のように過ごす。
 こんな調子で仕事ができるのか心配している。

(家族でお互いを労りつつ傷が少し癒えたのかもしれないね。 これからも弟の事で苦しむけど、時間が解決してくれるというのはこういう事に対して言う事なのだろう。 大きく落ち込むこともなく、体調的にはまずまず。 精神的に上下するのが極端になってしまっているけど、これは当然だし、時間の問題なんだと思う。 笑える日は必ず来るから大丈夫だよ。)

今日も畦道通信に来てくれてありがとう。

道草小噺 24分のイチ

24ふんじゃなくて、分数の話ね。
24個の内のひとつと言う意味です。
これはブログ執筆に毎日1時間かかっていると言う事です。

筆が遅いですよね。
時間をもっと有効に使わないとね。
長文を書いているわけではないのにね。
特に時間がかかるのが、闘病記過去編。
過去の日記をコピペして、アドバイスをする形で追記していく。
だけでは無く、過去の日記は文字化けしていて読めなかったりします。
iMacに変えたからかな?
ブラウザが最新になったからかな?
理由は分からないのだけど、とにかく一文字も読めない。
暗号です。
エニグマです。
宇宙語です。(写真参照されたし)
これをまず正しく日本語表示に戻してやる必要があって、そこで一手間。
それからコピペ、追記、誤字や人名などを書き換えチェックなどしていると1回の書き込みに1時間はかかってしまいます。

過去編をやってくれと誰に言われたわけでもないけれどね。
自分でやると言い出したのだから、最後までやり通したいのです。
2018年の後半からは通常の闘病記になるので、もう半分以上は書き込んだ事になるけど、あと半分。
少しのような気もするし、まだまだ物量があると言う気持ちもある。
書いて誰かの役に立っているか?と言う気持ちもありますが、いつか誰かの目に触れて役立ててくれると信じています。

それと小噺を毎日更新するようになって、アンテナを張る習慣が付きつつあります。
昔はこの状態に近かったように思います。
書くことを楽しむ気持ち。
作業になってしまって忘れかけていた事です。
これを思い出させてくれたのは、先日書いたItoiの話。
やはり楽しい文章を書かないとね。

闘病記過去編は書いていて辛い部分もあるのですが、
多くの人に助けられた過去の日記を読み返す(そんな事やっているから時間がかかるんだってば)ことでハッとする事が多いです。
連絡が途絶えてしまった人もいますが、もっと誠実に付き合っていればと反省したりしています。
また連絡取れるようになったりしないものだろうか?

話がずれて来てしまいましたな。
結構な時間を割いて畦道を書いていると言う話でした。
苦痛じゃなくて、書くことを楽しんでいると言う話でした。
文才は無いのだけどね。

今日も畦道通信に来てくれてありがとう。