風来旅団 どこへゆく 1981.08 茨城県 鬼怒川

河原には結構連れて行ってもらった記憶がある。
水着などつけずに白いブリーフのままジャブジャブ遊ぶ。
今と違って川がヘドロ臭いという事は無かったように記憶している。
水が綺麗だったのだろう。
今の時代、川遊びなど危険なのでさせないのだろうけど、こういう自然の中で遊ばせてくれた事には感謝している。

僕が泳げるようになったのは小学校1年生の時なので、この時はまだ泳げない。
それでも水が怖いという考えは無かったね。
前世はアマガエル🐸だったのだろう。

夏とはいえ、川の水は冷たい。
風邪ひかない子だったから、こういうの平気。

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僕とうつ&統失 闘病記 2011.12 好調、不調の読み取れない日々

最悪の時期から、現在(2019)のだいぶ元気になるまでの昔話です。
症状を箇条書きにしてますので重い内容になります。

読める人だけ目を通してください。
()は当時の自分に今の自分がアドバイスしている文章です。
参考になればと思います。
そのうち元気な内容に変わっていきますが、この状態からここまで来たのかとプラスになる読み物にしてくれたら嬉しいです。

・病院に行ってきた。
 先生に「死にたくて死にたくて苦しい」と言うと・・・・・
 「ちゃんと薬飲んでくれないからしょうがない」と言われてしまった。
 先生はカルテに日付のスタンプを押しているので、
 僕が2週間近く薬を飲んでいない事がバレているらしい。
 言う事聞いて大人しく薬を飲んでいても一向に病気が治らないので、
 薬を飲むのがバカらしくなっている 
 とまでは言わなかった。
 ブログに闘病記を書いている事を先生に話したら
 「そこで死にたいって書きまくってるの?」と失笑された。
 応援コメントを書いてくれる人がいたり、同じ病気の人と情報交換して、
 助け合っていると説明したけれど、先生はブログに反対みたいだった。
 自殺したい人を集めて、練炭自殺でもすると思っているのだろうか?
 薬は昔の処方に戻る。
 朝:セレネース3mg、セルシン2mg、アキネトン1mg
 夜:セレネース3mg、セルシン2mg、アキネトン1mg、ジプレキサ10mg
 最近、死にたい衝動に駆られて、やってしまいそうだったので、
 大人しく薬を飲む事にします。
 闘病記の事を失笑された事がショックというか、むかつくというか・・・・

・友人の家にて忘年会を開く。
 アパート暮らしをしているのかと思っていたが、立派な一軒屋で驚いた。
 庭も広いし、家具も高そうな物ばかり。
 奥さんも子供もいて順風満帆。
 同い年の自分は、何をやっているのだろうという考えになった。
 忘年会自体は楽しく進み、
 仕事の事や、病気の事、弟の話になる事はなく一安心。
 みんなもう知っていて、気遣ってくれたのかもしれない。
(周りと自分を比べても何もならない事は間違いない。 今更どうがんばっても友人たちの人生のペースに追いつくことは無理だし、比べて落ち込んだり劣等感を感じたりする隙があるならば、もっと自分の人生を楽しく過ごすにはどうしたらよいか?を考えたほうが良い。 やりたい事をやる。出来ることをやる。周りの人の人生の進み方は、順調だけど当たり障りのない、普通の人間の生き方。 自分は白い目で見られようとも、自分が何者でどういう人生にしたいかは、自分自身が決めること。 孤独なのではない。)

(個人的に書いている日記から抜粋して闘病記をまとめているわけですが、12月の病状について書かれているのはこれだけ。 苦しいことを書く必要がないから調子が良いのかと思ったが、病院に行ったという話では、死にたい死にたいと言っていたようだし、酷すぎて何もかけなかったのか?
しかし、一日の生活内容も日記に書いているのだけど、眠ってばかりだったとも言えないようだ。 起きているから苦しいのだと思うけど、具体的に何が辛いのかが書かれていない。 謎の年末だ。)

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道草小噺 芋男

婆ちゃんの家に行っていました。
もう足が弱ってしまって買い物には行けないので、子供(父、叔母、叔父)、と孫(僕など)で買い物に行ったり外に連れ出して気分転換をしてもらう事を交代で行う事になったのですが、その、うちの当番の日だったわけです。
杖を使う事を何故か嫌うので、僕が手を繋いで歩いたのですが、
「Masaの手は温かいねぇ、蒸かし芋🍠みてぇだ」
の一言には爆笑。
多分、温度だけじゃなく、お肉の付き具合からホフホフした感触まで芋だったんだろうなぁ。
最高だぜ婆ちゃん。

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