音の話をちょっとでも 今なに聴いてんの? Erykah Badu

モータウン・レコードのアーティストを集中して聴いてみようとしているわけですが、最初のアーティストErykah badu(エリカ・バドゥ)です。

Wikiってみると
1971年2月26日生まれ
アメリカ合衆国テキサス州ダラス出身。
ヒップホップやR&Bにジャズを融合させたスタイル(ネオ・ソウル)で知られている。

映画を学ぶ為にルイジアナ州のグランブリング州立大学の黒人史カレッジに通った。
その後音楽へ集中する為に大学を辞め、サウス・ダラス文化センターで子どもに演劇・ダンスを教えたりと、いくつか仕事を掛け持ちした。
1997年デビュー・アルバム『バドゥイズム』発表。
全米2位のヒットとなり、第40回グラミー賞(最優秀R&Bアルバム賞および最優秀女性R&Bボーカル・パフォーマンス賞)や、ソウル・トレイン・ミュージック・アワードのR&B/ソウル・アルバム(女性)部門等を受賞。

音楽的にネオ・ソウル(ニュー・ソウル(Nu soul))と呼ばれることもあり、詩の面ではビリー・ホリデイに例えられることがある。
またルーツ・ロック(レゲエ)のバーニング・スピアと共演するなど、音楽的バックグラウンドは非常に豊富である。
都会的感性できわめて深い自己内面を歌ったエリカ・バドゥの詩は、聴く者に感情的な葛藤をもたらすことが多いとされる。

2004年から2005年にかけて日本の歌手のMISIAとコラボレートし、「Everything」をカバーしたり、MISIAのアルバム『MARS&ROSES』に参加。また愛知万博でジョイントライブを行った。

っという人です。
聴いてみるとソウルをベースにしたR&Bって感じで非常にお洒落。
どのジャンルのアーティストだと断言できない位置にいると思う。
激しくない、うるさくない、で作業中に聴いているとはかどる。
ネオ・ソウルなんてジャンルがあるとはねw
音楽はどんどん新しいジャンルが出来るから複雑で大変です・・・

歌詞の意味がわかれば良いのだけどね。


僕とうつ&統失 闘病記 2019.06.16 さり気なく寄り添う形

病名までは分からないが、同じメンタル系の病気を持っている人に会うことがある。
この人1人というわけじゃなく、数人の人とそれぞれ別の機会に会うことが数年の間に何回も有った。
こういうご時世ですから、メンタル系の人に会うこと自体珍しくないのですが、会ったからと言って何を話すわけではありません。
病気の事は絶対に触れない。
笑顔で少しだけ会話をするだけにとどまるけど、頑張ってほしいと心から応援しながらの会話である。
僕だって完治してないから、お互い大変だけど頑張っていきたいですね。って感じかな。

外で偶然に出会うわけですから、その人は外に出られるまでになっているという事。
まだまだ家から出られずに苦しんでいる人の方が遥かに多いはず。
こういう方達と話をしていると気付くことがあります。
皆さん、理解者が居るという事です。

僕のように1人でフラフラと出かける人は少ないのかもしれません。
パートナーだったり、家族だったり、誰かしらと一緒なことが多いように感じます。
その感じが、
心配だから付いて来ているというわけでもなく、
サポートしなくてはというわけでもなく、
せいぜい運転役を買って出てくれて、目的地に到着したら、後は本人の自由にさせているという感じなんですよね。
これ共通している。

すごくリラックスしている感があって、見守っている距離感が完全放置でもなく、うるさく口出しするわけでもなく、1人の人間として尊重されているなという雰囲気ね、雰囲気。それが伝わってくるのです。

この付かず離れずの絶妙な距離感と信頼感があるから、当人は外に出られるのかもしれないし、楽しみを見つけることが出来たのかもしれない。
僕だって家族の理解なしでは生活していく事ができない。
どれだけ救われている事か。

やはり僕も病人だけど病人としては向き合わず、いち個人として尊重してくれている部分が多々ある。
理解者がいてくれる。という事がメンタルに与える好影響は計り知れないと思う。
生きてみようか と思えるし、生きなければとも思う。

当人と家族、その絶妙な距離感が必要なのだと思う。
僕の病気は今の医学では治らないとされています。
薬でかなり抑えることが出来、一見すると普通の人のように見せることも短時間ならば出来るくらいでは有るけれど、薬無しで生活は出来ないし、一生あの時は病気だったねと振り返る事にはならない進行形。
一生家族に心配をかける存在になりそうだけど、それでも前に進もうとしている姿勢は見せていきたいと思う。
それについて、自分も頑張っているとは言わないし、家族もその様子について触れることは無いでしょう。

だから家族には感謝しないとね。
なかなか口に出して感謝を述べたりは出来ないのだけど、いつかちゃんと伝えたいなと思っています。

今日も畦道通信に来てくれてありがとう。

道草小噺 空気が読めない人々、心が無い人々

月に一度だけ行われるアコースティックバンドのライブを聞きながら食事ができるイベントに参加する事が楽しみになっています。
月に一度の外食、音楽と共にとても楽しみ。
が、今月は残念なお客がいたのでモヤモヤしています。

ライブは2時間なのですが、この間ずっと会話をしているオバサン4〜5人。
ライブを行っている人たちから2メールも離れていない場所で、曲やトークが聞こえづらくなるほどの音量で会話し続ける。
生ハムがどうとか、蒼井優が魔性の女だの、音楽に全く関係ない話を続けられ僕は苛々しっぱなし。
目の前で生演奏している人がいるのに、それが知人だと言うのに、視線をそちらに向けることもなかった。
歌っている人たちは、この人達をどういう風に見ていただろうか?
悲しかったはずである。

食事代以外取られないけれど、普通だったら生演奏が目の前で聴ける。
それも素人の練習の発表会ではなく、ハイレベルな演奏が無料なのだ。
料金を取る取らないは関係ないとしても、レコードを流しているだけの食事処じゃない。
CDでもないし、有線放送でもない、人間が構成を考え選曲し、練習をして、リハーサルをして、、気の利いたトークをして、空間を作ろうとしているのに、そういう人達の気持ちを踏みにじり、感じ取れないのか?空気が読めないのか?話したいと思ったことが同時に大声で口から出てしまう人種。
理解が出来ない。

2時間黙っていろとは言わない。
でも隣の人にだけなんとか聞こえるくらいの音量で話すのが常識だろう。
このオバサン達はテーブルの反対側まで聞こえる音量。
というか僕のテーブルまでうるさく聞こえるくらいだから、楽器やマイクで拾っている歌声と同じ音量で話していたことになる。

ミュージックチャージを取っていないのですが、500円でも取るようにするしか、こういう人を排除するなり、この場は音楽を楽しむ場所と自覚させる方法は無いのかもしれないという考えに至った。
入店する際に今夜は生演奏を聞きながら食事をしていただく趣向なので、500円チャージを頂いております。くらいの説明をする事になるから、イヤでも今夜、この場所は音楽を聞きに来る人が集まる場所だと意識するだろう。
それに、お金を払ったのだから、元を取ろうと音楽に耳を傾けるかもしれない。
ファミレスのBGMじゃない。
文字通りバックグランドミュージックじゃないからね。
人間が演奏していて、それこそがこの場のメインだからね。

生演奏を目の前で無料で見れるこの貴重なイベントの意味を理解出来ない、レベルの低い人達。
対照的に僕のテーブルに座った8人は、手拍子を打ち、一緒に歌い、ハモリ、笑って2時間を楽しんだ。
同じ部屋、まったく理解出来ない違う人種が居る事がカオスだった。
バンドの人から見ても、右半分がノリノリでマナーを知っているのに対し、左半分は全く別世界で騒いでいるだけの輩。

このオバサン達も僕のテーブルの人間が、私語を小さい声で最低限の会話しかせず、音楽を楽しんでいる事は視界に入っているはずである。
最初からは分からない事は有るだろう。
でも普通の人間だったらそこで演奏者たちに失礼、音楽を聴きにきている人たちに失礼、態度を改めよう、今、絶対にこの場で話さないといけない話題など無いのだと学習するはずなんだよ。
この空気の読めなさ。
ここはファミレスじゃねーつーの。
この2時間が終わってから、仲良し組でガストでも行って、ドリンクバー頼んで何時間でも話し込んでくれ。

いい加減にしてくれよ。
レベルが低すぎるこの人達に、怒りと悲しみを同時に感じている。
思いやりの心が無さすぎ。
自分が不快だったから怒っているのではない。
知人のバンドマンをコケにしてくれた事、いち人間が相手だという敬意を示さず、2時間という長い時間でも学習出来ず、侮辱し続けた事になにより怒りを覚えている。

今日も愚痴を聞いてくれてありがとう。