風来旅団 どこへゆく 1986.05 栃木県益子町 いちご狩り

りんご狩り、ぶどう狩り、梨狩り、など色々とあるけれど、いちご狩りが一番ポピュラーでしょうか?
土地にもよるのかな。
関東は気候的にいちご狩りが定番です。
まだ栃木県がいちごで全国一になる前の時代だけど、この当時からいちご農家はたくさんあったようです。

基本的に僕は果物嫌いなんですけどね。
酸っぱかったり、手がベタベタになったり、種があったりね。
苺は全て兼ねてるじゃないか(笑)

よーし、いちご食べまくってやる!元とってやる とは子供なので思わなかったですが、5個も食べたらもう要らないって感じだったなぁ。

それにしても、上は長袖トレーナーなのに、下は半ズボンっていう格好多くないか僕。
無茶苦茶な格好だよ。
興味のないことには無頓着な性格はこの頃からあったみたい。

アホみたいな顔していちご食べてますアピール。
本物のアホ。

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風来旅団 どこへゆく 1986.03 福島県 羽鳥湖スキー場

スキー⛷にはよく連れて行ってもらいました。
深夜3時に家を出て、夜が明けていく空🌄を見ながら高速をひた走ります。
7時くらいにスキー場に到着して、魔法瓶に入れてきた熱湯を使い日清カップヌードルのカレー味🥤ラーメンを食べるのがお決まり。
この頃からカレーは好きだったようである。

運転をしてきた父は1時間くらい仮眠を車内でとって、僕たちはその間駐車場で雪合戦をしたりした。

スキー場がオープンするとスキー板をレンタルで借りる。
カップヌードルを食べるのも、レンタルなのもお金が無かったからでしょう。
成長が早い子供に板を買うというのも無駄と思ったのかもしれない。

まだスノーボード🏂が無い時代。スキー場は今のゲレンデよりも急斜面の場所が好まれたように思う。
上級者のコースには、モーグルのようなコブがあったりね。
今はボードユーザーの為にコブってあるのだろうか?
上手く住み分けが出来ているのかな?

さて写真を見ると頭のすぐ上をリフトに乗ったおじさんが移動していたりとちょっとシュールな絵だったりします。
大人がおとなしく座って次々と山の上に運ばれていくのは、ちょっと面白い。
弟はまだ小さくて、リフトに乗るのが苦手。
リフトって乗った時は一瞬進むのが止まるから、反動でブランコのように揺れるんだよね。
その揺れで弟はリフトから落ち、板が深雪に刺さり脱出不可能状態。
家族はもうリフトに乗ってしまっているから、救助できず、助けを求めることもできず、ただただ山頂に運ばれて行くのでした(笑)
山頂で弟が救助隊に出してもらって、遅れて追いつき、またスキー再開。

弟はやはり小さいのでパラレルとか出来なくて、板をハの字にして直滑降。
どのコースでもそれ一本で滑る。
この羽鳥湖スキー場にはトランペットコースという物があり、今もその名前は受け継がれてそのまま残っているようである。
今見たら上級者用コースなのね。
確かにかなりの急斜面で恐怖を覚える角度なんだけど、弟は直滑降。
後ろからやってきて、ブレーキもかけずに皆を追い抜いて行って、あっという間に小さくなって行く。
グオぉ〜弟キター、もう去って行った。っていつもそんな滑り。

お金が無いのでホテルに泊まる事は一度もありませんでした。
全て日帰り。
早朝に出て、午後少し滑って、早めに帰って、夜に帰宅。
父は相当疲れただろうけど、楽しい思い出。
朝焼けの空、カップラーメンの湯気、転んだ時のパウダースノー、帰りの高速で聴く音楽、全て覚えているよ。
両親には感謝ですね。

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風来旅団 どこへゆく 1986.01 茨城県大子町 袋田の滝

前に栃木県日光市の華厳の滝に記憶はすっかり無くなってしまったが行ったようだという写真をUPしましたが、この袋田の滝に行ったのは覚えている。
那智の滝、華厳ノ滝、に続く袋田の滝は、日本三大名爆です。
前にも書いたけど、誰が3つを選んだの?って感じです。
選ばれた理由も分からないし。

さて袋田の滝ですが、3段になって落ちる見応えのある滝で、ストンと落ちるだけの滝と違ってどっしり構えたような印象がある。
冬になると滝が凍る事は有名で、この氷の壁をクライミングする人がいたりして、運がいいと見る事ができる。
子供ながらに動き続ける水、落ちる水がどうやって凍るのか謎であったが、今も謎である。
氷の内側では滝は流れ続けているわけでしょ?
ちょっとずつ水しぶきが凍って滝を覆っていくのだろうから、すごい事である。

温暖化した現在でも滝は凍るようです。
滝は階段状になっているので、脇を歩いて落ちていく水を近くから見る事ができます。
正面からも見れますが、今はエレベーターが出来て、上の段の滝を見やすくなっているとか。
ストンと落ちず穏やかに水が流れるので、かなり近くから見る事ができる滝で、いい滝だと思います。

この大子町の林檎🍎はかなり美味しい事で有名で、ここの林檎を食べたら青○の林檎は食べられなくなります。
話がズレました・・・

それにしてもズボンは履かないのね自分。
1月だというのに半ズボン。
滝が凍っているんだよ?極寒だよ?
真っ黒に日焼けした足が物語るように、1年中足は出す主義みたい。
今じゃ寒がりで、コタツ🍊が無いと越冬できないのにね(笑)

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風来旅団 どこへゆく 1985.06 茨城県つくば市 つくば科学万博’85

当時、つくば科学万博は物凄い人気だった。
学校の授業でも万博のテーマに沿って紙新聞的📰な物をグループで作って競い合ったり、TV📺でも毎日のように特集が組まれ各パビリオンの紹介を日替わりで行なっていたりした。

斬新な形の建物が多く、それらは皆ピカピカで汚れひとつ無く、未来は明るいというメッセージが会場全体から伝わってくるようだった。
全部でいくつの企業が参加していたのか分からないが、1企業1アトラクション?建物?を作るわけで相当なお金がかかっている事は子供ながらに理解していた。
時代がバブル期だった事もあり、楽観的な丼勘定で建てられたような雰囲気がどの館にもあった。

デカイTVがあってね。
ちょっとしたビル🏢くらいのサイズがあったからね。
今の時代だったらLEDでどれだけ大きな画面でも作れてしまうだろうけど、この当時ブラウン管の時代だから、確か小さな画面を並べてひとつの映像を流すようにしていたとかだったかな。
この巨大TVに手を振るとその子の画像を画面に映してくれて、すぐに振り向いて写真を撮ると、画面と本人が1フレームに収まるなんて事も出来たりした。
そういう裏テクみたいな事ができるという情報もTVでやっていて、ちょっとした『熱狂』みたいな物があった。

この時期に学校🏫で1枚のハガキ✉️を書いた。
未来の自分に送るタイムカプセル💊だ。
学校で書いて、それを万博側(郵便局📮だけど)が管理し続けて、16年間後に届けるっていうのが驚くよね。
学校ぐるみで万博応援してたもんな。
ハガキの宛先は自宅だが、届くのは2001年。
21世紀になった年の元日🎍である。
ハガキには、このハガキが届いたら、またクラスメイトで小学校に集まろうという物だった。
集まる日付も書いてあったけど、本当に小学校に行った人はいたのだろうか?

さて、YouTubeで科学万博を検索してみたら映像がありました。
当時の様子が少しでもわかっていただけると嬉しい😌

写真は後ろにFUJIの文字があることから、富士通パビリオンだと思われる。
この館が何を展示していたかは思い出せないが、結構お気に入りの場所だったように思う。

全てが活気付いていた時代。場所。
もう一度戻ってみたい年代です。

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当時の会場、各パビリオンの風景↓
今見てもワクワクするデザインの建物ばかりだ


風来旅団 どこへゆく 1985.04 茨城県水戸市 森林公園のトリケラトプス

恐竜大好きっ子だったので、この公園は大のお気に入り。
中でもトリケラトプスが一番好きでした。
こんなツノを持った生き物がティラノサウルスと戦ったりしたのかなぁ。

初代ジュラシックパークにもトリケラトプスは出てくるのですが、病気で横になっているだけだったので、非常に残念でした。
呼吸をしていて、お腹が大きくなったり小さくなったりする描写は嬉しかったけど、立ち上がって欲しかったなぁ。

今、この公園はどうなっているのだろうか?
恐竜たちもかなりお年を召されているだろうから、登ったりはできなくなっている可能性もある。
撤去されたかもしれないしね。
ちょっと気になるなぁ。

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