僕とうつ&統失 闘病記 2018.12.03 入院43日目 風呂にて人生を考える

今日も身体が重い。
朝からずっと横になって過ごす。
入浴の日だったのだが、ドアをノックされて「お風呂どうぞ」と言われたくない。
動くのがキツイからである。
それでも声は遠慮なくかかってきて、動くまでに時間がかかり、もう無理かと思ったが、風呂は入らないわけにもいかないので何とか入る。

お爺ちゃん達がキビキビと身体を洗っている姿と自分を比べてしまい落ち込む。
生きるとはどういう事なのかを考える。
何だか集団で風呂に入る事は、生きる事について考えさせられる。
お爺ちゃん達の身体を見ては、何十年後かにはああいう身体になっているだろうとか。
自力で立てない人が抱えられて風呂場に連れてこられる様子は、色々と考えてしまう。
一番考えてしまうのは、普通に身体を洗っている元気な老人の姿だ。
自分はそこまでキビキビと洗えないし、何か人生について、生きる事について考えてしまう。
湯船に浸かっても、他の爺さんが洗っている様子ばかり見てしまう。

ため息を心の中でついて、ゆっくり呼吸をする。
体は芯から温まり、自分なりの充電が完了したら、着替えて部屋に戻る。
体を洗って、ぱりっとした格好をして、、、何か変わったのだろうか?
風呂に入ったと言うのに、リフレッシュできなくて、ウジウジ考えている自分は何なんだろう?
 
風呂から出ても、拘束されている男性が叫んでいる声がずっと聞こえ、
自分たちは看護師さんを困らせるだけの存在なのでは?と考えてしまう。
看護師さん達はどうしてこの職業を選んだのだろう?
大変な仕事だし、困った人たちばかりの対応に追われ、お金ではない何か使命感があるのではないか?
そういう物が自分には無いように感じる。
これがあるから頑張れるという物が無いように感じる。

風呂に入る度にこんなに落ち込んでいたら、やっていけないのですが、今日はそう考えちゃったよね。

今日も畦道通信に来てくれてありがとう。