僕とうつ&統失 闘病記 2012.09 死ねないと考えながら身辺整理、心がバラバラに

最悪の時期から、現在(2019)のだいぶ元気になるまでの昔話です。
症状を箇条書きにしてますので重い内容になります。

読める人だけ目を通してください。
()は当時の自分に今の自分がアドバイスしている文章です。
参考になればと思います。
そのうち元気な内容に変わっていきますが、この状態からここまで来たのかとプラスになる読み物にしてくれたら嬉しいです。

・今日の午後は眠ることなく過ごす事ができた。
 まだ気温が高いので、愛犬の朝散歩に出る時間が5時台なので、
 その分早く寝ないといけないのだが、なかなか眠れない。
(5時台に起きて散歩に出かける。凄いことだよ。 今の自分でも出来るか?と言われたら厳しいかもしれない。それを毎日だもんね。愛犬の存在は大きいね。 また犬を飼ったら今の自分も変わることが出来るだろうか?後押ししてくれる存在になるだろうか?)

・昼間眠ってしまってはいけないと思い、
 数日前から22時には寝るようにしてきた。
 それでもうたた寝をしてしまうが、早寝早起きを実践している。
 ただ、過食の方は収まらず、全然ダイエットになっていない。
 なんとかして痩せたい。
(糖尿になってしまうので過食は本当に気をつけたほうがいい。 本気で食生活を見直さないと取り返しの付かないことになるよ。)

・生きようとしているのか?
 死のうとしているのか?
 今の所、死にたい気持ちの方が大きい
 自分は死にたいだけなのかもしれない。

・自分が死んだ後の影響について、ぼ〜っと考える。
 母と姉とおばちゃんが心配だ。
 心配だが、死にたい気持ちは無くならない。
 うつ病の根深さを思い知る。
 申し訳ない気持ちや迷惑をかける事は分かりきっているのに、
 死んで楽になりたい。
 全てから解放されたい。
(この病気の怖い部分は癌のように根深くて再発率が高いこと。 劇的な最後と遂げるわけでもなく、少しずつ死に近づいていく。 気持ちの持ちようでどうにかなる事も無いので、先生には全てを話すようにしたほうが良い。 症状や考えている事を全て伝えるようにしたほうが良い。 いつも全部は話さないで帰ってきているので、何でも話す習慣をつけよう。 カウンセリングも検討してみる方が良いのかもしれない。)

・海に散骨する方法を調べる。
 20万円もあれば家族皆で沖まで行って散骨ができそう。
 もっと調べて散骨してもらうようにしたい。
(死後の世界について調べたりしたけど、自殺者は地獄に行くとか、地獄ではないけど冷たく苦しい場所に行くことになって苦痛を味わい続けるとか書かれている事が多い。 誰が寿命で死んだのか自ら命を絶ったのかその瞬間を見ているのかと思うと、死後の世界があるかも怪しい。 死んだら無になるだけだというのが僕の考えだ。 自分の遺骨は海に散骨してほしいと思っている。 それは今も昔も変わらない。 自然にかえって色々な事から開放されたい。)

・死にたい気持ちが一日中あり、苦しい。
 TVで抗うつ薬が効かない体質の人が全体の3割もいると言っていた。
 自分はそれなんじゃないかと思う。
(薬は効いているのか?副作用で苦しんでいるのか?よく分からないよね。 飲まないと症状が出て、飲むと副作用で寝たきりになったり、記憶が無くなったりする。 何かしら変化が現れているのだから、きっと薬の効果は出ているんじゃないかな。)

・病院に行ってきた。
 遺書を書き終えている事。
 首を吊るためのロープを下見しに行った事。
 の2点を話した。
 ここ2ヶ月ほど薬が合っていたのか、いい波の時だったのか、
 病院では調子が良いと言っていたところでこの話だから、
 先生も首をかしげていた。
 確かに死にたいと思うおもいは弱くなった。
 でも、別人格が身辺整理を始めている。
 そしてそれをさらに別人格が第三者的に見ているような気がする。
 と話した。
 苦しくて仕方ないから死ぬしかないんです。と言うと。
 死後の世界が楽だとは限らないよ。
 死んだらどうなるか、だれにも分からないんだから。
 死んでみて、今よりももっと苦しくても、生き返ることはできないから。
 と話してくれました。
 2人目の自殺者が出ないよう、最大限説得をしてくれているのでしょう。
 それでも僕は死ぬような気がする。
 薬は、数ヶ月前の調子が良かった頃の物に戻された、
 朝:セレネース3mg、アキネトン1mg
 夕:セレネース3mg、アキネトン1mg
 就寝前:リーマス200mg×3錠、ジプレキサ10mg、ハルシオン0.25mg
(死後の世界など無いと思う。 だから死んでも良いという話ではない。 それよりも色んな自分が同時進行していて心がバラバラになっている事の方が問題かもしれない。)

・今日の愛犬はなぜだか、すごく愛おしい。
 特に何かをしているわけではないが、自分の子供のように可愛く思える。
 最近、自殺する日を考えてばかりだったが、
 今日は、この子の為にも生きていこうと考えることができた。
(この子が居なかったら自分はとっくに死んでいたのかもと思えるよね。 何度も救ってくれた。 癒やしてくれた。 犬を飼ったほうが良いのかもしれない。 金銭的に厳しいけど、飼ったら病気も良くなるような気がする。)

・落ち着いている。
 死にたいとはほとんど考える事が無かった。
 ただ、遺書の手直しは行った。
 死にたいとは考えないのに、遺書は書いているのだから、
 精神がおかしくなっている。
 最初からそうだったが、遺書を書いている時、
 何の気持ちも沸いてこない。
 死ぬのは怖くないし、悲しくもない、淡々と何も感じないこの感覚は、
 病気が悪化した時になるものなので、慣れっこである。
 外出するような習慣をつけて気持ちを切り替えていきたい。
(遺書を書くことが日常の普通になっている異常に気付いて、早くヤメて欲しい。 その時間にちょっとでも窓を開ける、出来るならば10分でいいから散歩に出かける事。身体を動かすこと。何か楽しみを探すことに時間を使って欲しい。)

・少し身体が重いが、車で1時間以上かかる場所まで買い物に行けた事に、
 手ごたえを感じる。
 毎日は無理かもしれないが、週に2〜3回は外出したい。
(週1回という低めの目標にしたほうが良いよ。 大きく出ると無理が生じるから。 月イチでも良いくらいです。)

・おばちゃんを見ていると、死んではいけないなと思う。
 あの人を、もう悲しませたくない。と思うからだ。
 ここ数日は、死んではいけないと思う方が、死にたいよりも強い。
 このまま行くわけがないので、期待はしない。
(生きよう、死のうという気持ちが日替わりで繰り返されるよね。 辛い事だよね。 生きようと思えるまでは苦しいけど、生きていれば笑える日が来る。 それは断言できる。)

・今日も体調が良く、死にたいと一度も思わなかった。
 しかし、どうせまたすぐに体調を悪くするのは分かっているので
 覚悟しておく。
 遺書は書いたが、貯金を下ろす事に数日かかるので、
 それがブレーキになって、死なないと思う。
(引っかかることを沢山残そう。
遺書を書いていない、貯金をおろしていない、スマホを解約していない、その他契約している物の解約、身辺整理、全部やらずに残しておこう。 死にたいだろうけど、死ねない状況を作る事。 自分も含めてもう誰にも死んでほしくない。家族全員がそう思っている。 死んではいけない、いけない。)

今日も畦道通信に来てくれてありがとう。

僕とうつ&統失 闘病記 2012.08 遺書を書く毎日

最悪の時期から、現在(2019)のだいぶ元気になるまでの昔話です。
症状を箇条書きにしてますので重い内容になります。

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()は当時の自分に今の自分がアドバイスしている文章です。
参考になればと思います。
そのうち元気な内容に変わっていきますが、この状態からここまで来たのかとプラスになる読み物にしてくれたら嬉しいです。

・しばらく会っていない友人から、明日バーベキューを家でやるから来ないか?と誘われた。
 参加するか迷ったが、参加する旨のメールを返信した。
 これもリハビリだと思って頑張ろう。
(難しい事は考えずに、気楽に参加してきたらいいんだよ。 誰も仕事の話なんてしてこないし、美味しいものを食べて、笑ってくればいい。 気持ちが乗らなければ参加しなければいいし、そうなっても自分を責めない事。 自分の体調と相談してわがままに生きたら良いんです。)

・友人達にBBQに誘われた。
 終始和やかに進んだのですが
 「○○の店の両親が自殺したらしい」という話になった。
 話自体はイイ。
 年間3万人も自殺で亡くなっているのだから、
 一県で毎日2人自殺している事になるからだ。話題にもなるだろう。
 問題は、その態度。
 皆、怪談話でも聞くかのように、半分冷やかして、
 「○○の店で死んだの?」とか
 「本当に○○で自殺があったんだってば」と、笑いながら話していた。
 身内に自殺者が出るって事は、
 こういう件にも耐えていかないといけないのかと愕然とした。
 友達が悪いのでは無い。
 自殺する者が悪いのである。
 自殺者がいなければ、こんな苦労も悲しみも味わわなくてすむのかだら。
 自殺者には馬鹿野郎と言いたい。
 お盆なので今日仏さまを連れて帰ってきました。
 帰ってきているのだろうけど、頭にきますし、悲しい。
 お前のせいでどれだけ、苦しめばいいのか?
 答えがあるなら教えて欲しい。
 10年苦しめばいいのか? 一生なのか?
 次は自分が死ぬ番だと考えたりしていたけれど、
 相当愚かな考えだよね。
 弟に対する怒りと、自分への戒め、色々と考えます。
(自死遺族になって初めて分かる事があるよね。 友人達は人の死をネタにするような人ではないし、どうしてもワイドショー的なノリになってしまうのはしょうがないと思う。 バーベキューなのにお通夜のようになってもしょうがないし。 そういうものだと割り切って弟の事は別問題のように何も感じないようになるしかないのかもしれないね。 悲しい事だけど弟の事で何も感じないようになっていかないと、やっていけないかもしれない。)

・病院に行ってきた。
 比較的死にたくなくなっている事と、昼間眠ってしまう事を話す。
 昼間、なんとかして眠らないですむようにできるといいねと言われる。
 そんなに簡単な事じゃないのだが・・・
 薬はほとんど変化無し。
  夕:アキネトン1mg、セルシン5mg
  就寝前:リーマス200mg×3錠、アキネトン1mg、セルシン5mg、
      セレネース3mg、ジプレキサ10mg、ハルシオン0.25mg
(ひと月就寝前の薬の量が増えた状態だったけど、昼夜逆転の生活は直っていない。 もっと自分を強く持たないといけないのか? 眠かろうと起きていることが辛かろうと、耐えて眠らないようにしていかないとこのパターンは直らないのか? 辛いことばかりだけど何とか打開策を見つけられると良いね。 今でも昼間は起きていられない日があるから、そう簡単には直せないだろうけど、こうありたいと思うことは大切なんじゃないかな。)

・コーヒーを飲んだからか?日中眠くならなくてすんだ。
 夜になってもあまり眠くないが、横になるしかないだろう。
 本当に、昼夜逆転の生活が治るのか疑問だ。

・最近、また死ぬ事ばかり考えている。
 遺書を書いたことが影響しているのだろう。
 生きるか死ぬかの考えから、いつ死ぬかに考えが変わり、
 何月に死ぬのが良いのかばかり考えている。

・遺書を書いているが、書いても書いても、謝罪は書ききれない。
 毎日遺書に加筆するのが日課になっている。
(遺書を書いたら死ぬことが馬鹿らしくなって前向きに生きていける人もいるだろう。 でも自分の場合は気持ちにブレは無く、淡々と死ぬ準備を進めてしまっているだけだった。 自分が何をしているのか、もう少し客観的に見てみよう。 恐ろしいことをやっているのだと考えられるかな? 周りに何と言われようとも生きるくらいの図々しさが欲しい。 死んだら終わり。 生きよう何としても。)

・今日も日中ずっと眠ってしまった。
 昼夜逆転の生活はまったく直らない。
 睡眠薬も効かないし、横になっても眠れない。
(どうしたら病気に勝てるのか? 何からやったら良いのか?分からないよね。 体調次第で出来たり出来なかったりするし。 分からないなら分からないで、思い付いたことは手当たり次第試してみるのも良いかもしれない。 でもこれもダメだったと落ち込まない事が条件。 次、次と気持ちを切り替えられるようになりたいね。)

今日も畦道通信に来てくれてありがとう。

僕とうつ&統失 闘病記 2010.11 弟を失って

最悪の時期から、現在(2019)のだいぶ元気になるまでの昔話です。
症状を箇条書きにしてますので重い内容になります。

読める人だけ目を通してください。
そのうち元気な内容に変わっていきますが、この状態からここまで来たのかとプラスになる読み物にしてくれたら嬉しいです。

・病院に行ってきた。
 前回病院に行った時は、まもなく弟が帰ってくるので、
 比べられるのではないか?と不安だと話し、
 先生に「弟は他人」という名言をもらってきたのだった。
 今回は、その弟が帰ってきてから2週間が経過し、
 今自分がどうなのかを話してきた。
 弟は全てが完璧で、僕に出来ない事を平然とやってのける。
 その話をより具体的に先生に話した。
 特に弟が作った料理を食べる事が辛いし、
 片付けもせずに自室に戻る時が辛いという事と、
 日中隣の部屋に弟がいると思うだけで居場所がなくなり、
 息が詰まるという事を重点的に話す。
 先生の答えはシンプルだった。
 「だって、できないんだからしょうながいじゃん」
 力が抜けた。
 精神科医らしからぬその言葉、その口調、その表情。
 この人に話した自分が馬鹿だったというわけではない。
 むしろ、この意見を自分は言ってほしかったのだという気持ちに
 自分でも初めて気付く。
 確かにそうなのである、やろうと思っても、家事は手伝えないし、
 部屋にこもりっきりだし、どう頑張っても弟のようにはなれない。
 こうも先生は言ってきた。
 「出世払いでいいじゃん」「できるようになってかっら恩返しすれば」
 またも力が抜けた。
 こうも先生は言ってきた。
 「弟とは別人。 生きるスピードも方法も違う。 比べる必要はないよ」
 この過激発言で有名な先生が、ここまでカウンセリングっぽい事を言うのは
 初めてかもしれない。
 話をしていて、心が随分と軽くなった。
 たしかに、無理な物は無理だし、それで苦しむ必要無い。
 今できる事を頑張るなり、治療に専念するしかないのだと、
 あらためて考える。
 それにしても、話を聞きながら、ずっと爪きりで爪を磨いていた先生。
 話は半分聞き流していたのかもしれない。
 この人というものは・・・・と軽〜〜〜〜〜〜くムっとなったのだが、
 それがまた、この人のゆるさを表しているし、
 真顔で「だって無理でしょ」と言われるよりはずっと救われたのだった。
 だからこそネットで賛否分かれる批評が飛び交う先生なのだが、
 僕にはこの病院が合っているような気がする。
 今回の先生には、随分と救われました。
 僕が弟を気にもとめなければ、全てが上手くいくのだ。
 やりたいようだから、やらせておけ くらいの考えにならないと、
 こっちの身がもたない。
 もっと神経を図太くしないと と、理想だけは持っている。
 薬は、「どうしようかなぁ〜 変えようかなぁ〜」とブツブツ先生が
 言っていたが、変わる事なく3ヶ月連続で同じ。
 朝:セルシン2mg、アキネトン1mg
 夜:セルシン2mg、アキネトン1mg、ピーゼットシー4mg、セレネース3mg
 「薬の作用も副作用も感じないんですけど・・・・」と伝えると、
 「効果は出てるよ。 表情が変わってきてる」と言われた。
 今日はニコニコして話すような内容じゃなかったはずだが、
 精神科医には分かる違いでもあったのだろうか?
 必死に辛さをアピールしようとしたから、目ヂカラはあったかもしれない。
 そこを見逃さなかったか先生。
 また、死なないように頑張ろうと思う。

・昨日の先生のアドバイスが効いているのか、
 弟が何をしようと気にならなくなってきている。
 まだ完全に他人事とは思えないが、随分と楽になった。
 やりたいんだから、勝手にやってろ そう思うようにしている。

・比較的身体が軽く、あまり寝ないで一日を過ごす事ができた。
 薬が効いているのだろうか?
 明日はまた逆戻りするかもしれないし、期待はしないようにするつもりだ。

・弟が遺書を残していなくなる。
 夕方弟が降りてこないからと母が部屋に行って遺書を見つけた。
 遺書には、中学の頃から死にたかった事や、
 自殺未遂を何度もしている事、未来に希望がもてないなどが書かれていた。
 遺骨は散骨してほしいや、臓器移植の意思なども書かれている。
 すぐに父が警察に届出に行って、その間に弟を僕と母で探す事にした。
 夜なので見つかるわけもなく、2時間くらいで帰ってきた。
 パソコンに何かを調べた履歴が無いかも調べたが、何も見つからない。
 部屋のゴミ箱をあさると、遺書の下書きや、臓器提供の意思や、
 第一発見者が父へ連絡が取れるようにするための
 電話番号などが書かれた物などが見つかる。
 恐らく、これと同じような紙を持って出ていると思われる。
 明日一日中探してやらないといけないので、
 夕食を食べようという事になったが、弟が作った煮物には手が出なかった。
 食事もほとんど喉を通らず、手の震えが止まらない。

・弟を探しに朝からあちこち探すが見つけてやれない。
 午後になってから警察から父に電話があり、弟と見られる人物が発見されたとあったようだ。
 その父から、外を探していた母と自分に電話があり、警察に身元確認に行く事になった。
 弟は検視室に眠るように横になっていて、冷たくなっていた。
 遺体の臭いを消すための薬品の臭いで気持ち悪くなる。
 父、母、自分の三人で警察官たちがいることもはばからず、大声で泣いた。
 弟が東京から帰省したのは人生を終わらせる為。
 家事や食事の用意をやっていたのは、最後の恩返しをするためだった。
 そんな弟を邪魔者扱いして、自分の居場所がなくなったと思っていた兄は最低だ。
 もう取り返しがつかないし、起こっている事が現実なのかも分からない。
 どうして救ってやれなかったのか。
 こんな事になるなんて。

・弟を火葬してくる
 叔父は息子達3人と来てくれた。
 火葬場で母が大泣きしている。
 弟の棺桶の顔の部分の蓋が閉められる時、
 「もう顔を見ることはできないのですか?」と尋ねる。
 当たり前の質問だったが、最後の時が少しでも先になるように声をかけたのだ。
 僕一人だけで弟の顔を見て、皆の前で声を出して泣いた。
 「お前の分も生きるからな」と何度も言って弟と約束した。
 火葬の扉が開き、それが閉まる時は辛かったが、
 火がついてしまってからは、もう気持ちが整理されはじめていた。
 待合室では、来ていただいた人たちに挨拶回りをした。
 病気の自分にそんな事ができるのかわからなかったが、
 最初に叔父の所にいって、手を繋いで話していたら、
 気分が救われたような気がした。
 その後、全員の席を回り話をした。
 集骨の準備が整いましたと連絡があり、骨を目にする前に母に話をした。
 これで弟は楽になれたんだし、
 今日からまた家で一緒に暮らせるようになるのだから と。
 さすがに骨を目の前にした母は大泣きしていたが、
 集骨をしてくれる人がとても丁寧に念入りにチリまで集めてくれて、
 本当に嬉しかった。
 母と何度もお礼を言って、火葬場を後にする。
 家に着くと、食事の準備が完璧に用意されていて驚く。
 しかし、お酒を頼むのを忘れていた事に気付き、
 いとこと一緒に酒を買いに行く。
 あまり話をしない人だし滅多に会わない人なので
 車の中は沈黙してしまうのかと思っていたら、
 このいとこが気を利かせて色々と話をしてくれた。
 僕たちは引きこもりのような生活をしてるから、
 それは変えていかないとね という話になる。
 Masaは趣味はあるの?と聞かれたが、無い。
 映画鑑賞もあまり行かなくなったし、サーフィンはやめてしまったという話をしたら、
 いとこもサーフィンは良いなと言う
 ちょっと驚いたが、いとこ自身も変わらないといけないと
 思っているんだろうと分かった。
 食事が終わると叔父をみんなでイジリ盛り上がる。
 いつ集まっても叔父を中心に話題が盛り上がる。
 それでとても救われた。
 弟が遺骨になってしまったら、もうこれ以上辛い事は起こらないし、
 これからは弟とまた一緒に寝られるので、気分がスッと楽になった。
 遺書を見つけてから数日、これまで食事が喉を通らなかったのに、
 美味しく食べる事ができて自分でも驚いた。

・病状は悪化していない、買い物などに出かけるのは身体がだるいが、
 何かしたいし、身体を動かしてる時の方が気がまぎれるから
 これで良いと思う。
 仏具店などを周り色々と買ってくる。
 夜に両親自分の三人でたくさんの事を話した。

・気が張ってるので、落ち込む事も眠くなる事も無い、
 明日から日中一人になってしまうので、心配ではある。

・弟が亡くなって初めて家で一人になった。
 悪いことを考えたり自分を責めたりして泣くのかと思ったが、
 そんな事は無く、眠ってしまった。
 眠ったら弟が夢に出てきた。
 デパートの子供が遊べる一角を2人で眺め、ニコニコしていた。
 いとこのお姉ちゃんと叔父に帰り道を教えないと と
 話している所で目が覚めた。
 一番仲が良かったのが僕だから、僕のところに出てきてくれたのでは?
 という話になった。
 
 元嫁が家に来てくれる。
 弟の前で泣いていたが、笑い話や思い出話も出て安心した。
 まだ実感がわかないし、信じられないと言っていたが、
 それはこちらも同じだと話す。
 色々な話になり弟の事を沢山思い出した。
 沢山のケーキの他に焼き菓子も沢山買ってきてくれて、
 沢山お金を使わせてしまった。
 途中から母が帰ってきて、4人で話をした。
 元嫁には幸せになってほしいと思っているんだという話をしたら、
 元嫁は大泣きしていた。
 ずっと申し訳ない事をしたと思って自分を責めていたという。
 元嫁には本当に幸せになってもらいたいと思う。

・コルクボードに飾ったり、いとこのお姉ちゃん、父、母に渡す弟の写真を探すが、その作業が辛い。
 身体が重くなるいつもの症状と、精神的に悲しくて辛いのとで、
 ぐったりしてしまう。
 あまりのんびりやってるわけにもいかないので、無理して作業をする。
 今日は僕の34歳の誕生日。
 弟の命日が近くて不謹慎だが、姉から生きててくれてありがとうとあり、
 ちゃんとお祝いはおこなってほしいとあった。
 友達からもメールがあり、何処かの国は本人におめでとうと言う他に、
 母親にありがとうと言うとありました。
 それはいい習慣だと、僕も母にありがとうと話した。
 母は34年前にお腹を痛めて生んだんだからと、鼻高々だった。
 母が笑ってくれて良かった。
 僕がしっかりしなければ。

・薬を飲み忘れがちだが、一日に飲む量は守っている。
 弟が亡くなってから、自分が死にたいと思う事は無くなった。
 弟がついていてくれるような気がして、力がわいて来るような気がする。
 ただし、喪中ハガキを書いたり、写真を整理しようとすると、
 すぐに身体が重くなってしまって、横になってしまう。
 病気が良くなったわけじゃなくて、発想が変わっただけ、
 気が張ってるだけなのだと思う。
 反動で落ちるように悪くならないかが心配だが、大丈夫なような気もする。

・5時に起きて婆ちゃんの家へ向う。
 4時半に起きて愛犬の散歩に行くはずが、携帯のアラームが正しく動かず、
 出発15分前に目が覚めた。
 散歩は中止しトイレだけにして、婆ちゃんの元へ向う。
 早めに着いてしまって、いとこのお姉ちゃんと婆ちゃんを
 慌てさせてしまったが、その分話をする事ができた。
 9時から寺で住職と話をして、弟の戒名を話し合う。
 几帳面で、明るいという事を伝える。
 1週間ほどで戒名を考えてくれるらしい。
 住職は弟と会った事がありますよね?と言ってくれた。
 背が高く、ひょろひょろしていてと言うと、なんとなく覚えていると
 言ってくれた。
 その後、近くの石屋に行き、49日の納骨時の打ち合わせをする。
 婆ちゃんの家に戻って、たくさん話をして、昼になったので、
 行きつけの和食店に寄ってから帰る事にした。
 遺骨だけを置いて家を空ける事は可哀想だと、留守番している母を
 一人にしている時間を短くしたかったのだが、姉が家に甥っ子と来てくれて
 一緒にお弁当を食べてくれた。
 姉に来てくれてありがとうとメールを送る。
 しかし、姉は弟が亡くなったのと同じ頃に近くの河原で
 自殺した人の苗字が姉の嫁ぎ先の苗字だったらしく、
 学校で「弟さんの事大変でしたね」と言われたそうだ。
 新聞を見て苗字が同じだから姉の弟だと思い込んだらしい。
 それを言ってきた人なりに、姉におくやみを言ったのだろうけど、
 新聞に姉と同じ苗字が載ってしまったばかりに、
 姉は今後も同じような事を言われるのだと思う。
 せっかく姉が元気になってきているのに、どこまで苦しめるのだと、
 やりきれなくなる。
 何かあったらメールして としか言えない自分が歯がゆい。

・伯父が今日も来てくれて、元気を分けてくれた。
 またケーキを買ってきてくれて、感謝感謝である。
 もうお金は使わないでいいと父が言っても、
 俺の気持ちだからとだけ言って聞き入れてくれない。
 弟はこれだけ愛されていた事を理解していたのだろうか?
 理解できていたら、自殺などしなかっただろう。

・姉が家に寄ってくれた。
 母の事が心配で、仕事中にも電話したそうだ。
 僕や母に言わせると、姉の方が何倍も心配なので、
 大丈夫なのか?と聞いたが、大丈夫だという。
 たぶん無理して明るくふるまっているのだと思う。
 姉が帰ってから、骨壷の入った箱を母が抱きたいと言いだした。
 今までは骨壷が怖いと言っていたから心配になったが、
 弟をこうして抱きしめられるのも49日まで。
 それ以後はもうできなくなるんだからと話をすると、
 母も泣きながらも落ち着きを取り戻した。
 ちょっと骨壷の蓋を開けてみたら、弟の頭蓋骨が見えた。
 生々しい骨を見ても、それが弟の物だとは信じられない。
 検死室で弟の遺体を見て、納棺士と一緒に納棺し、火葬場で骨を拾っても、
 それが弟なのだと認められない。
 東京に帰っただけで、またひょっこり帰ってきたり、
 トシ・ヨロイヅカの話をメールしてくるような気がする。
 ずっと遠くにいたから、悲しみが少しで済んでいるというわけだが、
 それは同時に弟はずっと孤独だった事を意味する。
 もっとしょっちゅう会いに行ってやるべきだった・・・
 そう後悔ばかりしている。

・母に早く病院に行ってほしいと言われる。
 先生に今の苦しみを吐き出してきて、アドバイスを
 もらってくるようにしてほしいそうだ。
 僕としては薬があと10日分あるので、まだ行くつもりは無かったのだが、
 母も父も同じ意見だったので、明後日の月曜に朝から行く事にした。
 遺書を発見した薄暗い夕方に、遺書を発見した母を一人にするのは心配だし
 月曜に行くしかない。
 友達に弟の戒名が届いたけど、弟の名前だと思えないし、実感が無いと送る。
 すると、毎日戒名とお経を3回唱えると弟の徳になって、
 49日に閻魔様に会って何処に行くか決める時に役立つって送られてきた。
 もう遺族は悲しむだけで、弟に何もしてやれないのかと思っていたので、
 何かをしてあげられるというだけで気持ちが軽くなった。
 母にもその話をしたら、笑顔を見せてくれた。

・龍馬伝の最終回を見た。
 龍馬が殺されるシーンを見るのは辛かったが、
 それよりも弥太郎が龍馬の死を知り、
 大切な人なんです、返してくれ というセリフが弟と重なって
 涙が溢れた。

・病院に行き弟が亡くなった話をしてきた。
 僕は今は元気で、気持ちも大丈夫だけど、今もし
 落ち込むような事になったらと思うと怖いので、
 薬が重くなっても構わないと話したが、今安定しているので
 薬を変えるのはリスクが高いので今までと同じ薬を処方された。
 弟はうつ病だったのでしょうか? と聞いたら、
 そうとは言い切れないという返事だった。
 僕も経験があるから良く分かるが、
 死ぬことで頭が一杯になっている時に、明るくふるまったり、家事をしたり、
 あれだけの遺書は書けないという話だった。
 僕と似たDNAを弟も持っているわけだから、
 僕と同じ妄想的な感じがあった可能性は高くて、
 いじめにあった事が人よりも強烈に植え付けられたんじゃないか?
 という話だった。
 もしどこかの精神科で治療を受けていたらまた違った事に
 なっていたかもしれないから、残念だ と言っていた。
 でも弟は、僕らに病気の話はしなかったわけだし、
 自分から病院に行く事もなかったわけだから、
 僕達はどうする事もできなかったと、母と話をしていた。
 もし遺書を見つけてから、弟が死ぬ前に見つける事ができて、
 その時は助けられたとしても、近いうちにまた、
 同じ方法で死のうとしただろうとも家族で話していた。
 だから、僕達はどうすることもできなかっただろうっていうのが先生の考え。
 死ぬ事を夏ごろから逆算して、行動に出ていたわけだし、
 それだけ楽になりたかったのだろうって先生言ってた。
 それは僕も同じ考えで、弟が楽になって良かったと思ってます
 とは伝えた。
 後は他にも喋ったような気がするけど、泣きながら話をしていたし、
 何を言ったのか言われたのか良く覚えてない。
 どうする事もできなかった という事。
 弟は楽になったんだ という事は良く分かった。


今日もあぜ道通信に来てくれてありがとう。